第1391回 始原のコスモロジー


 
始原のコスモロジー 日本の古層Vol.4の納品日が決まりました。

12月15日(金)です。

 現在、ホームページで、お申し込みの受付を行っています。

 出版に合わせて(タイミングが良かっただけですが)、12月16日(土)、12月17日(日)に、東京の事務所で、ワークショップセミナーを行います。詳しくはホームページに。

www.kazetabi.jp

 

 日本の古層をテーマに、今回で4冊目ですが、このたび作り終えた実感として、2003年に「風の旅人」を創刊した時から、人がどう評価するかは別として、自分としては、今回の「起源のコスモロジー」のようなものを作るために、ずっと試行錯誤しながら、心の旅を続けていると、改めて思いました。

 風の旅人は、多種多様な執筆者と写真家の力を借りて一つの場を作っていましたが、ジャンルや経歴は関係なく、「FIND THE ROOT」と「森羅万象と人間」というテーマにそって、一つの織物を作るような感じで、それに相応しい言葉や写真を選んで編集をしていた。

 風の旅人の場合、対象が世界全体で、宇宙、自然、歴史、現代文明、芸術から何から何までだったので、いろいろな人の力が必要だった。

 今は、日本だけに焦点を当てているけれど、「FIND THE ROOT」と「森羅万象と人間」というテーマは変わっていない。

 日本の場合も、いろいろな人の力を合わせればいいのだけれど、「歴史」とか「神話」とか「日本文化」のジャンルは、専門の垣根で分断されていて、それらを合わせると、カタログ雑誌のようになってしまうという懸念がある。

 私のイメージでは、全てを合わせてグツグツ煮て、スープのようにしたい。

 自分の経験値で、「FIND THE ROOT」と「森羅万象と人間」というテーマで、日本の古代を調理したい。

 人は、長年生きていると自分の経験値というものがあり、それは自分にとってのリアリティで、他人が、それを正しいとか間違っていると言えるようなものではない。

 経験値に基づくリアリティの違いは、人によって違う。そして経験と結びついていない知識は、けっきょく誰かが言っていることの借用でしかない。

 私の場合、20歳の時に海外の放浪に出た時から、自分が探し求めてきたのは、「FIND THE ROOT」だった。ROOTSではなく ROOTだったのは、根元を問いたいということ。「根元」という言葉を、哲学的な意味での「存在」という言葉に置き換えた方がいいかもしれない。

 別の言葉で言うならば、「自分はどこから来て、どこへ行くのか?」ということ。

 その当時から、私は、学者、写真家、ジャーナリストなどの特定ジャンルの専門家になりたいと思って旅をしていたわけではなかったので、旅先で出会う人に、「あなたは何をしている?」とか、「あなたは何になるために旅しているの?」と聞かれるたびに、困ってしまった。

 そして、いろいろな経験を重ねて、とりあえず編集人というポジションになったが、出版社に所属している編集者と私では、やり方がまったく違うということに、風の旅人の創刊時、北海道まで水越武さんの写真をセレクトするために行った時にわかった。

 私は、水越さんの仕事場で4時間くらい一人にしてもらって、膨大な写真に目を通して、その中から実際に使う写真と、展開を決めて、予備は2、3点くらいに留めて、20枚入りのスライドファイル一枚を水越さんに見せて、これを持ち帰りたいと言った。

 すると、水越さんは驚いて、「それだけでいいのですか?」と。というのは、一般的に編集者は、自分で選ばずデザイナーまかせなので、もっと大量に写真を持っていくのだという。そうすると、写真家としても一点しかないオリジナルのポジフィルムなので、全部渡すわけにはいかず、デュープをとって、それを渡すのだそう。

 私の場合、その時点で掲載すべき写真を厳選していたので、オリジナルを持ち帰っていいということになった。それ以来、風の旅人では、オリジナルのポジを使うことが当たり前になった。写真印刷のクオリティが高いと評価された理由の一つは、そこにあったと思う。

 一般的に、編集者は、写真家とデザイナーの仲介者だけれど、私は、自分のなかにある「FIND THE ROOT」と「森羅万象と人間」というテーマに相応しい写真を、自分で選んで組んできた。

「日本の古層」に舞台が変わってからは、この分野で自分のリアリティに響き合う写真が世間にはあまり見当たらないので、自分で撮影をせざるを得なくなった。

 このリアリティの違いは、写真技術が上手か下手か、目の付け所が優れているかどうか、センスがどうかといった違いによるものではなく、方法の問題で、ピンホール写真でないと私のリアリティと響き合わず、ピンホールカメラで、古代に通じる写真を撮っている人が他にいないので、自分で撮り続けている。

 そして、言葉は、ピンホール写真に誘発されている。ピンホール写真というのは、その現場で三脚を立てて長時間露光で撮影することになるし、どこに三脚を立てるか、あちこち歩き回って、周りの気配とかの感じで決めていくので、現場体験とその記憶が濃密になる。

 それは、取り替えのきかない自分のリアリティだから、そのリアリティに基づいて思考を紡いでいくと自分の言葉にならざるを得ず、自分で書くしかない。

 もちろん、専門家が書いていることに目を通すけれども、歴史の調査や分析が目的とかではないし、邪馬台国論争のような理論武装をして議論に勝つことが目的でもなく、風の旅人と同じで、「FIND THE ROOT」と「森羅万象と人間」というテーマで、自分なりの方法で、日本の古層を掘り進めているだけ。

 この宇宙は、ミクロとマクロは相似形。

 そして、古代も現代も相似形。このリアリティを、どう伝えるかという意味において、今回の「始原のコスモロジー」は、一歩進んだような気がする。

 

 

 

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また、本の発行に合わせて、12月16日(土)、17日(日)、東京にて、ワークショップセミナーを行います。こちらも、詳しくは、ホームページにて。

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