第1159回 ピンホールの眼と、日本の古層

 

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 Sacred world 日本の古層」に掲載されている写真は、全てピンホールカメラで映したもの。

 一般的な写真撮影は、被写体を探して狙い撃つ性質があり、「撮影する」を英語にすると、shootとなる。カメラのシャッターは拳銃の引き金に等しい。

 しかし、私たちは、いつも獲物を狙うような目で風景と向き合っているわけではない。

 どちらかというと、私たちは、風景を見るのでなく眺めるように暮らしている。そして、無意識のうちに、そこに漂うものや蠢くものを感知して、記憶化している。

 フランス語のデジャ・ビュ(既視感)のように、わけもなく懐かしいと感じることについて、フロイトは、自分では実際に体験していなくても、夢の中ですでに観ているからだと説明した。しかし、理由はそれだけとは限らず、人生の中で、無意識のうちに記憶化している情景が膨大にあるからだとも言える。

 私たちの意識は、個人の自我や社会の常識と強く結びついているが、無意識は、自分個人の生涯には収まりきらない人類の潜在的記憶と呼ぶべきものと結びついて反応している。

 ピンホールカメラはシャッターやファインダーがなく、0.2mmほどの針穴を長時間開くことで写す道具なので、意識的に何ものかを撃つのではなく、無意識のうちに何ものかを招き入れるという感覚の写真行為となる。

 その結果、有名でフォトジェニックな歴史的建物ではない当たり前の自然物が、とても懐かしく、かけがえのないものだと実感される。

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 水の流れ、岩、大樹、森、湖、山々、そして海。姦しい人の世よりも、悠久の時を刻む地球のリズムが、私たちの記憶に働きかける。

 ピンホールの眼は、忘れたもの、見えないものを考えさせる古くて新しい扉。

 現代社会で物事を判断する時、数かぎりない分別の尺度で選別するが、森羅万象は互いに優劣はなく、等価に連関して存在している。そして歴史は単なる過去の記録ではなく、私たちを育み、私たちが還っていくところである。そんな当たり前のことすら私たちは忘れているが、何かしらのきっかけで森羅万象の摂理と歴史の摂理が重なって見える時、私たちは、自分という存在もその一部であることを、それとなく察することができる。

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 Sacred Worldというのは、天国のような特別な場を指すのではなく、世界の普遍性を反映する根源的な場のことであり、その根源性は、森羅万象の中を生きる全てのものに等価に行き渡っている。

 Sacred world 日本の古層 Vol.2が完成しました。

 書店流通には通さず、ホームページだけで販売しています。

 

 

2021年7月5日発行  sacerd world 日本の古層 vol.2   ホームページで販売中

www.kazetabi.jp

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