第1255回 じっと見入ることと、目に見えない波動のこと。


 先週、愛媛の今治でピンホール写真について講演を行なった時、会場で法螺貝を吹いた。

 私が法螺貝を始めたのは、写真家のエバレット・ブラウンが、私のそばで法螺貝を吹いた時に、私の心身が強く共鳴したことがきっかけだが、エバレットもまた、私と同じく日本の古層をテーマにしており、湿板写真という古典技法で撮影活動を続けている。

 彼は、スコットランドケルトの血を引くアメリカ人だが、日本に深く関心を寄せ、一般の日本人以上に日本の民俗とか歴史に詳しい。

 彼は、撮影を行う前に、その場所で法螺貝を吹く。地霊を呼び起こすのだと言う。

 私は、スピリチュアルなことはよくわからないが、私が法螺貝を吹くことを始めてしばらく経った時、エバレットと一緒に法螺貝を吹いていて、彼が吹いた時に私が手にしていた法螺貝が強く震えるのを感じて、とても納得するものがあった。

 その時、彼が吹く法螺貝の螺旋状の形態から送り出された空気の波動が、私の手の中にある螺旋状の形態の法螺貝と強く共鳴したのだ。

 すると、法螺貝の構造というのは、実にシンプルに森羅万象の構造に通じているので、法螺貝の送り出す波動は、森羅万象と共鳴現象を起こしているはずだ。

 聴覚を司る感覚器官である蝸牛管もまた、渦巻き構造をしている。

 聖域の樹木で、しめ縄のように激しく捩じれながら上に伸びているものをよく見かけるが、あれはおそらく、磁場など土地のエネルギーの流れにそって成長しているからだろう。自然界のエネルギーは、銀河宇宙もそうだが、渦巻き状の構造なのだ。

 だから、法螺貝の波動は、宇宙そのものと共鳴現象を起こす力がある。山伏が山中で法螺貝を吹いてきた理由や、過去において、戦場で法螺貝が吹かれていたのも、その波動の力が認識されていたからだろう。

 エバレットが、法螺貝によって地霊を呼び起こすと言っているのは、ただの思い過ごしではなく、その場所のエネルギーに働きかける何かしらの力があることを感じているからだ。そして、湿板写真というのは、デジタルカメラのような電気信号ではなく化学反応によって画像が写る仕組みなので、法螺貝の波動現象が、写真にも影響を与える可能性がある。

 こうして私が説明していることは、人間の目には見えていないことなのだが、人間というものは、皮膚感覚があり、その皮膚感覚ではなんとなく感じていることが多い。

 しかし、古代人に比べて現代人は、その皮膚感覚を重要視していない。その理由は、なんとなく感じる皮膚感覚を科学的に証明できていないからだ。そのため、現代人は、目に見えているものばかりに優先権を与える。そして、カメラの技術進化は、目に見えるものを、より明確にすることの競争を繰り返している。

 私が、ピンホール写真の講演で法螺貝を吹いたのは、法螺貝というのは、他の楽器よりも、シンプルに、皮膚感覚に訴える力があるからだ。法螺貝の音の波動は、きちんとした曲になっていなくても、聞き入ってしまう力がある。

 私がピンホール写真をやっていて不思議でならないのは、ブラックボックスに開けられた穴は、0.2mm程度という肉眼でも確認できない小ささ(太陽やライトの方に向けて背後から光を当てないと確認できない)なのに、画像が写ることだ。だって、その小さな穴を通して人間の目で風景を見ようとしても、ほとんど見えない。

 つまり、人間の目そのものは、実はそんなに優秀ではない。

 人間の目と、ピンホールカメラの違いは、長時間露光だ。どんなに小さな穴から入ってくる光でも、長時間露光し続けることで画像は定着するが、人間の目というのは、瞬間的な判断しかできない。もしくは、一つのものに、じっと見入ることに、慣れていない。じっと見入ることに慣れていないのは、現代人に特有のことかもしれないが、じっと見入ることで浮かび上がってくるものの存在に、現代人は気づかないでいる。

 そもそも、じっと見入ることで良さがわかるものが、あまり商品化されていないし、商品化されていたとしても、ぱっと見の良さの商品に負けてしまう。

 ブランド服と、伝統的な着物の違いとか、デザイン優先で電気窯で焼いた陶器と、薪だけを使った焼締の陶器の違いとか、身のまわりを見渡せばいくらでも例はある。そして、もしかしたら人間づきあいにおいても、そういうことが起こっているかもしれない。当人は意識していなくても、感性は、習慣やトレーニングによって変わってくるから。

 私は、写真家ではない。だから、私が行なっているピンホール写真は、写真家の1技法とか1スタイルということではなく、私が追求しているテーマと向き合うためには、この方法でやるしかないから、やっている。

 なぜなら、古代のことなど現代の私たちの生活から遠く離れたことにおいては、ぱっと見ただけでは何もわからない。じっと見入ったり聞き入ったり、考えこんだりする長時間露光のようなプロセスを経て、それまで見えていなかったものが見えてくる、聞こえてくる、わかってくるということが多い。

 多くの人は、現代や未来のことに関しては自分の人生と直接的につながっていると感じて興味を持つが、過去のことは、自分とは無関係で自分の人生に役に立たないと思っている。
 しかし、過去のことは、複雑で錯綜とした回り道を経て自分とつながっている。その道があまりにも複雑だからといって、そこから目を背けていると、今この瞬間の営みが寄る辺ないものになってしまうような気がして、それこそが、現在日本の本質的な問題なのではないかと、私は思うようになった。
 近代文明の行き詰まりが、温暖化問題と重ねられて、いろいろと論じられるが、根本的には、世界との向き合い方、時間との付き合い方の問題であり、そのことが変わらなければ、新しいエコ商品と呼ばれるものが、次々と入れ替わっていくだけだろう。

 

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