第1241回 記憶のリアリティと、人間の良心

7月1日に発行したSacred world  VOL.3について、写真界で最も尊敬する一人である野町和嘉さんが、言及してくれた。

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「風の旅人」佐伯剛さんの写真集、SACRED WORLD Vol.3が届いた。

https://www.kazetabi.jp/ 

 神話と史実の間合いがピンホール写真の白日夢のような描写のなかに彷徨っている印象。

 物語の始まりにある高知県足摺岬や臼婆は、写真をはじめた高校時代から度々通った場所で、実家からバイクを飛ばして30分の距離だった。

 時間を経た昔の記憶が、ちょうどピンホール描写に近い印象で脳裏に残っていたこともあり、不思議な懐かしさとともにしばし眺めた。

 ページをめくった、足摺の断崖を降った白山洞窟のこの場所では、濡れた岩で滑り、

買って間もないキャノネットを海に落としてしまい、途方に暮れた。

 代わりに買ったレンズ交換式の中古カメラ・ニッカ3Fを使いこなしたことで写真の世界が一挙に広がり今につながった、という経緯もある。

 60年近く昔のあの顛末を、白日夢写真ののなかに思い出させてもらった。

 これも写真の力?なのだろう。-

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 「神話と史実の間合い」というのは、まさに私が、日本の聖域を、あえてピンホール写真で捉えようとしている意図と重なっているので、その思いが観る人に伝わっていることは、とても嬉しい。

 また、60年も前の少年時代の足摺岬の記憶が、私が撮ったピンホール描写に近い印象で脳裏に残っていて、不思議な懐かしさとともにしばし眺めたという言葉もまた、励みになる言葉だ。

 なぜなら、個人的なことであれ人類史的なことであれ、ふだんは意識していなくても記憶の深いところに残っているものに働きかける表現を私は目指しているからだ。

 人間にとって、記憶のリアリティは大きな意味を持つと私は思っている。

 記憶のリアリティは、人間の判断や決断に大きな影響を与える。

 そして、記憶のリアリティこそが、生きてきた証とも言える。

 誰しも良い記憶ばかりではなく、切なく、悲しく、辛い記憶もたくさんある。しかし、幸福すぎる記憶が、今を生きる人間を幸福にするとは限らない。むしろ、失われてしまったものが、今の自分を苦しめることが多いのだから。

 ただ、悲しいことであれ、嬉しいことであれ、記憶のなかで一生懸命で誠実であった自分に対しては、切ないほど愛おしさを感じる。

 それは、自分のことと限らず、人類史の記憶においても同じだ。

 自分の知らない誰かが、過去において、一生懸命に誠実に行った形跡が残るものは、人の心に愛おしい感情を呼び起こす。その感情は、人間の良心であり、人間に対する信頼をつなぎとめる力でもある。

 国家愛などという言葉が安易に使われることがあるが、その愛が、愛おしさというよりは、自己顕示欲や自己承認欲を満たす居心地さにすぎない場合がある。贔屓のスポーツチームの勝ち負けによって狂喜したり憎悪の感情が生まれたりする状況が、そうだろう。負けた悔しさで乱闘が起きるのは、愛国心で戦争が起きるのと大して違わない。

 また、自分を飾り立ててくれる相手を「愛している」という場合と、なぜか自然に、その対象を支えたい気持ちがにじみ出てくる相手を「愛している」という場合の違いがある。

 自分を飾り立ててくれる相手を愛しているという時、だいたい、その理由も説明できる。

 しかし、自分のことではなく、相手のことの方が大事になる愛情の場合は、理由をうまく説明できないケースが多い。周りからすれば、なんであの人を、などと言われることだってある。つまり、理性では計算できない何かなのだ。

 たぶん、そうした心理には、自分個人の、もしくは人類の記憶が影響しているのではないかと思う。

 記憶というのは、愛おしい感情と結びつく性質があるのだ。

 現代人は、現代と近未来のことばかりを気にして、そこを飾り立てることに忙しいが、それが本当に末長く記憶に残るものになるかどうか?

 人は誰でも死ぬが、記憶の中に生きていた証は残る。

 実績とか経歴とかは、記憶ではなく記号だ。記号は、死者を飾ってくれるかもしれないが、人々の心にしみじみとした愛着を呼び起こさない。 

 

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Sacred world 日本の古層Vol.3は、6月29日に納品されますので、すでにお申し込みいただいている方から順に発送していきます。

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