第1268回 日本の全ての場所に、古代の聖域がある。

 ここ数ヶ月に取材を行なった岐阜や四国、房総や常陸の写真をくわえて、「ピンホールカメラで撮る日本の聖地」のサイトを更新しました。

https://kazesaeki.wixsite.com/sacred-world

 このサイトでは、これまで撮影してきた場所を地図で確認できるようにしているけれど、これを見ると、まだまだ隙間だらけ。

www.google.com

 2016年10月から、ほとんどこのプロジェクトにかかりっきりだけれど、日本全体から見れば、まだ一部でしかない。

 当たり前のことだかれど、日本の全ての場所に、古代の聖域がある。

 それ以前、風の旅人を作っていた時には、北海道や東北、九州、沖縄周辺の離島など、日本のほとんどすべての地域を訪れてはいる。

 そのなかには、恐山、三内丸山、久高島、屋久島、宮古島大神島阿蘇桜島、高千穂、国東半島など、もう一度必ず行かなければならないところも多くある。

 けっきょく、かつて訪れることは訪れてはいるものの、何も理解できていないところばかり。

 海外もそうで、20歳の時より、ヨーロッパの全て、アフリカや中南米、中近東、中国辺境、バヌアツやパプアニューギニアなどの太平洋の島々、北極圏に至るまで訪れることは訪れているが、けっきょく何も理解できていない。

 まあ、これらの旅を通して、一つだけはっきり言えることは、人間というのは、氷点下50度になるような場所でも、標高3000mでも、密林の中でも砂漠のオアシスでも、海の上でも、よくもまあこんなところに住んでいられるなあ」と感嘆するような場所でも、生き続けているということだ。

 適応力というのか、慣れというのか、耐性というべきなのか、他の生物と人間が大きく異なるところは、この生存領域の広さだろう。

 そして、どの場所にも、人間の歴史がある。

 人間を理解するためには、この歴史の理解を避けて通るわけにはいかない。

 世界中を訪れていても、理解の不足が大きいと感じるのは、それぞれの地域の歴史を通した人間のリアリティが、不十分だからだ。

 今そこにある現象は、突然そこに現れているのではなく、過去から連綿と続いている歴史の上に重ねられて現れている。

 

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ピンホール写真で旅する日本の聖域。

Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。

www.kazetabi.jp