古代出雲のことは、出雲大社だけ訪れても何もわからない。
出雲大社は、8世紀以降に律令制が始まってから、国内の祭祀秩序を形成するにあたって何かしらの意図をもって作られた聖域だが、それでも1300年ものあいだ重要な聖域であり続けたわけで、これほどの長期間にわたって人々が本気で大切にしてきた神聖なる空間は、日本以外の世界の他の場所に、それほど存在するわけではない。だから出雲大社は、現代文明の価値観に覆われた世界の中で、かなり特異な気配を醸し出している。
そして、重要なことは、1300年前、なぜこの場所に「出雲大社」という聖域が設置されたかだ。
出雲大社の隣に、摂社の命主社(いのちのぬしのやしろ)がある。造化三神の一柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)が祀られているが、巨岩の前に建てられており、古代の磐座が聖域だったと考えられる。社の前には、推定樹齢1000年といわれるムク(椋)の巨木がある。1665年、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、下から銅戈(どうか)と硬玉製勾玉が発見された。ともに古代の祭祀道具だが、銅戈は北部九州産、勾玉は新潟県糸魚川産の可能性が高く、北部九州、北陸と交流があったことを物語っている。
銅戈(どうか)と硬玉製勾玉は、弥生時代に遡る祭祀道具なので、出雲大社が築かれた時代よりもはるかに古い。
出雲大社は、島根県の出雲という場所に存在していた勢力が作り上げたのではなく、近畿で律令体制を築きつつある人たちによって、何かしらのシンボル的な意味合いをもって、この古代からの聖域に作られた。
神話の中でも、出雲大社の祭神であるオオクニヌシは、国譲りの代償として「天日隅宮」と呼ばれる大きな社の造営をしてくれるよう求め、これが「出雲大社」であるとされる。また、出雲大社の神職の祖は、アメノホヒとされ、この神は、アマテラス神の子神として位置付けられる。
出雲の話になると、一般的に、ヤマト王権VS出雲勢力のように語られ、出雲政権がヤマト王権に打倒されたように思われている。
しかし、神話で描かれているのは、戦いではなく、国譲りであり、新しい秩序に最後まで抵抗したのは、東国にあたる諏訪大社の祭神のタケミナカタである。
そして、古い秩序と新しい秩序を分ける概念は、タケミカヅチがオオクニヌシ に対して述べる「ウシハク」から「シラス」への移行だ。
ウシハクというのは、一人の強い者が独占する社会で、シラスとは、共有社会と理解されている。現代で言えば、資本主義社会から共産主義社会への移行だが、マルクスが階級闘争による変革を論じたため、こうした変化は、すべて戦いを経て行われるものだと現代人は思い込んでいる。
しかし、日本の古代における変革は、国譲りによって成された。もちろん、こうした記録も、勝者が自分を正当化するため、奪い取ったのではなく譲られたと改変したのだと、疑い深い人は主張し続けるだろう。
しかし、日本以外の国における体制転換後の社会において、打倒された側の神が、日本のオオクニヌシ のように大切に祀り続けられているだろうか?
現代でも日本各地にオオクニヌシをはじめとする出雲系とされる聖域は数多くあり、アマテラスやタケミカヅチなどの天孫系とされる神社よりも、地元との結びつきが強いところが多い。
一般的に、神社は願い事をするところではなく、神様に対して感謝を伝える場だと言われるが、天孫系の神社においては、感謝の祈りを捧げるものの、出雲系の神社は、なぜか現世利益の願い事をするところが多い。
神話の中のオオクニヌの「国つくりの物語」は、スクナヒコとの協働も含め、明らかに産業化の過程を示している。国が豊かになるために産業化が必要なのは、今も昔も変わらない。明治維新以降の富国強兵や、戦後の高度経済成長の時代のように、競争によって産業力は高まる。
しかしながら、その競争によって、勝者と敗者が生まれ、強いものが独占する状況になってくる。オオクニヌシ の国が、タケミカヅチによって「ウシハク」とされたのは、こうした状況だったからであり、古代においても現代と似たところがあった。
「ウシハク」というのは、誰もが現世のご利益のために厳しい競争を繰り広げる社会であり、日本神話は、この競争状況を否定しているわけではなく、必然のプロセスとして受け止め、しかし、ある程度、産業化によって豊かになったところで、価値観の転換が必要だということを示しており、それが、アマテラスの治世に象徴される「シラス」なのだろう。
あまねく照らし出す太陽の光のように、恩恵は行き渡らなければならない。
しかし、この国譲りによって、オオクニヌシは、消えてしまうわけではなく、その存在感を維持し続け、時々、疫病などの祟り神として現れる。
その祟りを鎮めるのは、たとえばオオタタネコ。この神は、オオクニヌシもしくは事代主という出雲系の神を祖に持ち、「須恵器」に象徴される新技術の使い手である。
疫病や天災などにおいて、ただ神頼みをするだけでなく、人智を尽くして対応せざるを得ない局面があるということだ。
神話が伝えているのは、地域間の対立や闘争ではなく、パラダイムの転換だと思う。
そして、日本という国のユニークなところは、パラダイムの転換が起きても、従来のコスモロジーが闇に葬られるのではなく、新しいコスモロジーの多層構造の中に組み込まれるところにある。
このメカニズムが日本の歴史をわかりにくくしているのだが、これは、0か1の対立構造の単純思考ではない日本ならではの深い知恵を反映したコスモロジーでもある。
「禍福は糾える縄のごとし」という独特の幸福観も、このコスモロジーの延長上にある。
日本においては、祟り神は守神となる。邪霊を防ぐために、邪霊が入ってくる門に鬼が配置されるのである。
こうした複雑さを面白いと思えるかどうか?
現代社会では、何事も割り切って、スッキリさせようというバイアスがかかるが、そうした単純化は心の耐性を弱くする。自分の期待通りに物事が進まないと、激しく落胆するしかなくなるからだ。
「ものは考えよう」という柔軟な思考は、日本の歴史文化の土壌で育まれてきた。
幸福というものが、現代社会のように地位やお金をはじめ画一的な基準で設定されて、その設定に心が縛られてしまうことほど、実は不幸なことはない、ということに気付けるかどうか?
日本の歴史の真相を知ることの意義の一つは、こうした単純思考から脱出するためなのだが、その歴史が、たとえば「古代出雲」VS「ヤマト王権」とか「藤原氏の陰謀」とか、あまりにも単純化された図式で説明される傾向にあることが、歴史を学ぶうえで一番の問題だと思う。
5月20日と21日に京都で行うワークショップセミナーでは、古代日本の秩序化に関わる精神的コスモロジーの真相にも迫ります。
ワークショップセミナーの詳細・お申し込みは、こちらまで。
__________________________________________________________________
ピンホール写真とともに旅して探る日本古代のコスモロジー。
Sacred world 日本の古層Vol.1からVol.3、ホームページで販売中。
_____________________________________________________________