第1364回 時間が無い時代から時間に追われる時代への転換。

現代社会は、「神話なんか生きていくうえで役に立たない」と思っている人が大半だが、白川静さんが、岩波新書の『漢字』の中で、人間と神話の関係において実に深い内容のことを、簡潔に書いている。

「神話の時代には、神話が現実の根拠であり、現実の秩序を支える原理であった。人々は、神話の中に語られている原理に従って生活した。そこでは、すべての重要ないとなみは、神話的な事実を儀礼として繰り返し、それを再現するという、実修の形式をもって行われた。神話は、このようにして、つねに現実と重なり合うがゆえにそこには時間がなかった。

 語部たちのもつ伝承は、過去を語ることを目的とするものではなく、今かくあることの根拠としてそれを示すためのものであった。しかし、古代王朝が成立して、王の権威が現実の秩序の根拠となり、王が現実の秩序者としての地位を占めるようになると、事情は異なってくる。王の権威はもとより神の媒介者としてのそれであったとしても、権威を築き上げるには、その根拠となるべき事実の証明が必要であった。

 神意を、あるいは神意にもとづく王の行為を、ことばとしてただ伝承するだけでなく、何らかの形で時間に定着し、また事物に定着して事実化して示すことが要求された。それによって、王が現実の秩序者であることの根拠が成就されるのである。この要求にこたえるものとして文字が生まれた。そしてまたそこから歴史がはじまるのである。」

 この白川静さんの文章には、「神話が現実の秩序を支える時代」→「王の権威が現実の秩序の根拠である時代」への移行のことが書かれている。

 神話の時代は、過去も現在も重なり合うもので、そこには時間がなかった。人間は、常に、永遠の今を生きていた。

 しかし、統一王朝ができると、その世界の秩序の根幹となる王の権威化が必要となり、その根拠となる事実の証明による説得力が必要になった。そして、それらの人間行為が文字化された時、神話の時代とは異なる新たな歴史が始まった。

 このことは、王の権威が他の権威になったとしても、それが現実の秩序の根拠である場合は同じであり、現代でいえば、科学がそれに該当する。

 白川さんは、歴史の転換期に「文字」が果たす役割について述べておられるが、「王の権威が現実の秩序の根拠」となる時、文字以外にも、必要なことが幾つかあった。

 その一つが正確な暦だ。

 現代は、世界の大半がグレゴリオ暦を採用しているが、人々の営みは暦にそって行われているので、同じ暦を使用する地域は、同じ秩序世界の一員ということになる。

 イスラム諸国は、太陰暦ヒジュラ暦を使っており、その世界において、西欧社会の理屈は通らない。

 古代においても、正確な暦と王権の影響力が及ぶ範囲は、密接につながっており、正確な暦を制定することが、王朝の役割でもあった。

 日本に正確な太陰太陽暦が入ってきたのは、6世紀以降のことで、日本書紀の記録では継体天皇の息子である欽明天皇の頃だ。訓読み日本語が創造され、文字を使った官僚組織が出来上がった時期とも重なってくる。

 なので、日本における「神話の時代」と、「王権の時代」の分岐点は、西暦500年頃ということになり、その時に即位した第26代継体天皇が、やはり、初代天皇だと考えられる。

 そして、王の権威を現実の秩序の根拠とするため、文字と暦以外に行われたことがあって、それは、規則的な聖域の配置だ。王の権威が及ぶ範囲として、中国の万里の長城のように城砦を築いて囲い込むという発想もあるが、日本は島国で海という天然の城砦に囲まれているので、そういう発想にはならなかったようだが、たとえば、東西に一直線に並ぶライン上に、重要な聖域が配置されていたりする。

 千葉県の九十九里浜に鎮座する玉前神社は、鳥居が真東を向いていて、春分秋分の日の日の出を迎える形になるが、玉前神社では、ここを東の起点として、真西に、富士山、伊吹山、元伊勢の皇大神社などが並び西の端に出雲大社に到るということをアピールしている。

 しかし、西の端は、出雲大社ではなく、出雲大社から夏至の日に太陽が沈む方向5.5kmのところの日御岬神社が正しい。

 出雲大社奈良時代以降に築かれた大国主命の聖域だが、日御岬神社は、スサノオ とアマテラスが祭神で、その起源はかなり古い。

 その根拠は、もともとの聖域は、現在の場所の対岸の経島で、この周りは海の底に沈む祭祀遺跡である。そして、経島は、別名、日置島である。

 実は、玉前神社から富士山を通って島根に到るライン上には、幾つか、「日置」の地が残っている。

 そして、この「日置氏」が、暦と関わっている。

 近畿においても、太陽の道として知られている三輪山大神神社二上山、伊勢斎宮跡などを通るラインにおいても、二上山の西の日置荘を通る。

 そして、島根県の出雲地方の神門郷に日置氏が派遣されたのは、欽明天皇の時代だという記録が出雲風土記に残っている。

(世界大百科事典 /株式会社平凡社)には、「出雲の日御碕神社の神官が日置一族であった。このことは,日置氏が文字どおり太陽祭祀にかかわりある氏族であり、日置部が日祀部(ひまつりべ)とともに古代天皇の日神的権威を奉斎し、全国に鼓吹することを職掌とした宗教的部民であったと考えられる。」と解説されているが、日置と暦に関する説明がない。百科事典が解説するように、日置は、日神的権威を全国に広める役割はあったものの、「太陽祭祀」を行っていたかどうかは根拠がない。ただし、火と関わる祭祀、そして日置の地が強い火力を扱う須恵器の生産拠点だったことは考古学的にもわかっており、武器生産にも関わり、軍事力も備えていたと思われる。暦を全国に普及させる時に、その地域を軍事的に治めることも必要だったからだ。

 民俗学者折口信夫は、とくに根拠を示すことなく、「古代より天皇は日置暦というものを持っていた。それを司っていたのが日置氏だった」と書いている。日置氏が暦に関わっていたことは私も同意するが、古代の天皇が日置暦というものを持っていたというのは違っていると思う。
 日置氏というのは、高句麗からの渡来人をルーツとしており、日置氏が司っていたのは、欽明天皇の時代に、大陸からもたらされた正確で普遍性のある太陰太陽暦だろうと思う。
 ちなみに、私たちがよく知っている浦島太郎の説話は、暦に関する象徴的な物語であり、浦島太郎は、日置の人である。

 丹後風土記では、浦島子は、「与謝の郡、日置の里の人で、月読神を太祖としている」。と書かれている。

 浦島太郎の物語は、「助けた亀に乗せられて」云々と後の時代に修正がなされているが、オリジナルによると、日置の出身である浦嶋子が釣りをしている時に、五色の亀が現れて美女に変身する。そして彼女は天上界から来たと言い、「共天地畢。倶日月極」、つまり「天地のこと全てと、月日の永久の次元をともにしよう」と誘う。

 浦島太郎が訪れる竜宮城は、酒と食と娯楽に満たされた場所というより、「時間の区切りのない世界」ということであり、それは、上に述べた「神話の時代」と同じである。

 そして、浦嶋子が両親のことを思い出して帰りたいと言った時、浦島子に会った時に亀に変身していた美女は、「棄遺一時」と悲しむ。この「一時」とは、道教思想の「太一」のことを指していると思われる。

 「万物の出づる所は、太一に造(はじ)まり、陰陽に化す」。つまり、分別のない状況、現実世界で我々が体験しているような、一方向に流れる“時間”ではなく、過去も現在も分化していない状態のこと。

 すなわち、地上の現実的分別や時間を超えた世界を捨ててまで、日置の里に戻りたいのかと、美女は嘆いている。

 美女の引き留めにもかかわらず、浦島子は、王の権威が現実の秩序の根拠となっている世界に戻ってしまう。

 浦島子の太祖が月読神であるというのも、暦がシンプルな太陰暦から始まって、より複雑な太陰太陽暦に移行したという歴史的背景がある。

 また、美女が、地上世界でなぜ五色の亀に変身していたかというと、古代においては、王の権威が現実の秩序の根拠となっている時においても、「神意を事物に定着して事実化して示すことが要求された。」ために、亀卜(亀の甲羅に熱を加えて、生じたヒビの形状を見て占う方法)が重要視されており、その神意を表すものの象徴として五色の亀が登場しているのだろう。

 現代社会は、スケジュール管理が社会秩序の維持や、経済活動のために必須である。

 ヨーロッパなどを旅していると、北に行けば時間に厳密で、南に行けば時間にルーズになるとよく言われるが、時間に厳格なところは、人間が冷たいと感じることもある。

 時間に追われて何かをするだけの人生と、時間を忘れるくらい没頭することの多い人生。

 おそらく前者は、神話なんか役に立たないと切り捨ててしまうだろうが、後者は、神話の内容を現在に引き寄せて今という状況を省みることができるような気がする。

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