第1381回 神話は史実ではないが、単なる空想の産物でもない。

神話は史実ではないが、単なる空想の産物でもない。かといって、権力者による自己正当化の物語でもない。

 神話は、古代における秩序形成のために創られたコスモロジーである。

 コスモロジーというのは、自分たちが生きている世界をどう解釈し、その世界でどう生きるかを考えて実践していくための世界観や人生観のフレームとなるものだ。

 そして、その神話のコスモロジーを説得力あるものにするための工夫が地上に具現化されており、それが各地に残されている聖域である。聖域の場所は、そこが何らかの史実の場だというケースもあるかもしれないが、多くの場合、神話世界を、地上の現実に重ね合わせるために設定されている。

 その一つが、岡山の山中にある石上布都魂神社である。

石上布都御魂神社。(岡山県赤磐市スサノオ が八岐大蛇を討伐した十握剣が、最初、祀られていたところとされる。背後の磐座が御神体

 ここは、スサノオ が八岐大蛇を討伐した時に使った十握剣を最初に祀っていた場所とされる。

 十握剣は、その後、奈良県天理市石上神宮で今日までずっと祀られている、ということになっている。

 天理の石上神宮は、岐阜県伊奈波神社を聖域とするイニシキイリヒコが最初に神剣を祀るために奉斎したことになっており、その後、その役割は、物部氏に引き継がれた。

 十握剣が祀られていたとされる石上布都魂神社は、式内社で、備前国一宮だから、どれほど立派な神社かと思えば、山の中に鎮座していることもあり、それほどの規模ではない。

 この聖域は、神社のある大松山山頂(標高約250m)の磐座が本殿であり御神体である。

 

石上布都御魂神社。(岡山県赤磐市スサノオ が八岐大蛇を討伐した十握剣が、最初、祀られていたところとされる。この磐座が御神体

 また、スサノオが八岐大蛇を切った十握剣というのは、イザナギが、イザナミの死の原因となったカグツチを切り殺した剣でもある。

 なぜ、この岡山の山の中に、十握剣という神話の中でも特に重要な位置を占める神剣が祀られたことになっているのか?

 実は、この岡山の石上布都魂神社は、出雲の日御崎神社、出雲大社スサノオ が八岐大蛇を討伐した場所とされる斐伊神社、スサノオ が降臨した場所とされる出雲の磐船神社を結ぶライン上にあり、このラインは、冬至のラインなのだが、これを延長すると、淡路一宮のイザナギ神宮に到る。

 そして、淡路のイザナギ神宮から真東170kmのところが伊勢神宮なのだが、伊勢神宮は、八岐大蛇の体内にあった草薙剣が、祀られていた場所である。

 神話の中では、ヤマトタケルの東征の時に伊勢神宮に仕えていた倭姫命草薙剣ヤマトタケルに授け、ヤマトタケルの死後、愛知の熱田神宮で祀られ続けていることになっている。

 三種の神器となって皇居にあるとされる草薙剣は、その形代、つまりコピー製品だ。

 倭姫命は、アマテラス大神をどこに祀るべきかと各地を巡幸したが、その場所が元伊勢であり、出雲の日御崎神社と富士山を結ぶ東西ライン上の丹後の皇大神社は、その代表的な場所である。

 神話のなかで、スサノオは、十握剣で八岐大蛇を切り殺したわけだが、その十握剣は、八岐大蛇の体内にあった草薙剣とぶつかって欠けてしまった。スサノオは、これは奇妙なものだと感心してアマテラスに献上した。つまり、十握剣と草薙剣は、性質の異なる剣ということになる。

 そして興味深いことに、淡路のイザナギ神宮と、スサノオが降臨したとされる出雲の磐座神社を結ぶ冬至のラインの真ん中に、岡山の石上布都魂神社がある。

 この冬至のライン上には、スサノオ が八岐大蛇を討伐した場所とされる出雲の斐伊神社なども配置されているが、さらに不思議なことに、この冬至のラインを淡路のイザナギ神宮から東に伸ばすと三重県熊野市で、ここには、イザナミの墓とされる花の窟があ

り、すぐ近くにはイザナミカグツチを祀る産田神社が鎮座している。

 神話の中でスサノオ は、イザナギから夜の食国または海原を治めるように言われたが、それを断って母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されたが、熊野市の花の窟は、イザナミのいる根の国への入り口ということになる。

花の窟。イザナミの墓とされる。

 出雲の日御崎神社は、上の宮の祭神がスサノオ で、下の宮の祭神がアマテラスなのだが、この日御崎神社から、斐伊神社、磐座神社、岡山の石上布都御魂神社、淡路のイザナギ神宮、熊野市の花の窟まで、冬至のラインにそって、スサノオ や十握剣に関わる重要な聖域が並んでいるのだ。

 これは偶然なのではなく、大宝律令が制定され、古事記日本書紀が作られた時に、計画的に配置された聖域なのだろう。

 古代、日本にとって時代の大きな転換点となったのが、701年に制定された大宝律令だ。

 大宝律令が、その後の日本の統治制度の要になるわけだが、この法律は、唐の方式をそのまま使用したものである。

 一般的には、唐を見習ってと説明されるのだが、白村江の戦い(663年)での大敗の後、遣唐使は派遣されておらず、唐の最新の知識や技術を取り入れる機会が十分にあったわけではない。遣唐使は、この大宝律令制定の後に、行われたのだ。

 しかも、天武天皇は、一人も大臣をおかずに、この改革を断行したとされる。普通に考えれば、白村江の戦いの後、唐から軍人とともに多くの知識人や技術者が日本にやって来て改革を行ったと考えた方が自然であり、史実としても、日本書紀には、郭務悰に率いられて2000人が来日したことなど、白村江の戦いの後に幾たびか、かなりの人数で唐や新羅から人間が送り込まれた記録が残されている。

 それはともかく、701年の大宝律令は、日本の新たな秩序形成の起点になるわけだが、この法律が施行された時の天皇文武天皇である。この文武天皇の陵墓は、伊勢神宮イザナギ神宮を結ぶ東西ライン上の、ちょうど真ん中にある。さらに、この場所は、近畿最南端の潮岬と若狭湾の御神島を結ぶ近畿のど真ん中のライン上で、藤原京平城京も、この南北のライン上にある。

 さらに、近畿の東側においては、伊勢神宮と富士山を結ぶラインも冬至のラインである。そして、富士山と出雲の日御崎神社を結ぶ東西のライン上に、石上神宮で神剣を奉斎していたイニシキイリヒコの聖域である伊奈波神社や、元伊勢の皇大神社ヤマトタケルの死の原因となった伊吹山などがある。そして驚くことに、富士山とイザナギ神宮、出雲の日御崎神社と伊勢神宮を結んだラインが交差する場所が、ドンピシャで平城京なのだ。

 日本列島に描かれた白鳥のような図の要に、律令体制の中心地が置かれている。

 しかも、この平城京の位置は、淡路のイザナギ神宮と、イザナミの墓とされる熊野市の花の窟から、ほぼ同距離である。

 出雲の斐伊川流域は砂鉄の宝庫であり、吉備は鉄鉱石の産地で飛鳥時代から奈良時代にかけて国内で最も製鉄遺跡が集中した場所だった。そして、淡路島にも、五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡や、舟木遺跡など、弥生時代後半における国内最大規模の鉄器工房跡が発見されている。

 淡路島は、対岸の明石川加古川を遡ったところの三木や西脇の周辺に豊かな鉄資源があり、水上交通で淡路に運ばれて鉄製品が作られたのだろう。弥生時代には国内の鉄資源が利用されず、大陸から輸入された鉄を日本国内で加工していただけというのが学会の通説だが、仮にそうだとするならば、加古川由良川を結ぶラインは、日本一標高の低い分水嶺であり、日本海経由の大陸との交易路でもある。 

 荒ぶる神であるスサノオの行動は、一つの世界の終焉を示しており、十握剣は、その歴史的転換に関わる新しい産業技術や知識と言える。

 それに対して、八岐大蛇の体内にあった草薙の剣は、新しい秩序世界にとって、鬼とされる側の象徴であるが、日本の歴史においては、征伐された鬼は丁寧に祀られることで守護神となるという伝統があった。

 日本の歴史における新しい時代の秩序形成は、新しくもたらされた価値体系だけで成されるのではなく、古くからの価値体系をバランスよく織り込むことで成され、その複合化こそが、新しいコスモロジーだった。

 ゆえに、八岐大蛇の体内にあった草薙剣が祀られた場所は、当初は、皇祖神アマテラス大神の聖域である伊勢神宮だった。

 そして、この草薙剣が、ヤマトタケルの神話のなかで国土平定の際の守護神となり、三種の神器となる。ヤマトタケルのこの物語も、過去における史実ではなく、時代の転換期の象徴化だと思われる。

 日本の歴史上、神話上の物語が、史実として起きたわけではなく、日本に新たな秩序化が起きた際に、その秩序化を象徴する物語が作られ、その物語を地上に現実化するために聖域の位置決めが成された。

 それが行われたのは、律令制の始まる奈良時代なのだが、この体制は、明らかに白村江の戦いにおける戦勝国であった唐の影響下で実行された。

 不思議なのは、太平洋戦争後においても、戦勝国アメリカは、敗戦国である日本の従来の体制を全て壊して新しく作り直すつもりでGHQを送り込んだわけだが、日本という国を知るにつれて天皇制など従来の仕組みを生かした方が良いと判断するに至ったわけだが、中国の歴史上最高の文明を誇っていたと評価される1300年前の唐においても、同様の判断が成されたらしいことだ。

 日本というのは、幾たびかの渡来人の波が重なりあって形成されてきた国であり、単一民族主義、純血主義はそぐわない。

 新旧を調和させるダイナミズムこそが日本文化の核心であるとも言え、その文化の中で整えられていくマインドこそが、日本人のアイデンティティというか、”日本教”といえるものかもしれない。

 

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