第1341回 飛騨の地が発する太古の地球の息吹。


約1500万年前、ユーラシア大陸の端っこの部分が南北に引き裂かれ、大陸とのあいだに内海ができて日本列島の原初の形となった。

 引き裂かれた南の大地の端っこが岐阜県で、この東側に、太平洋から押しつけられた新たな大地が次々と火山活動を活発化させ、八ヶ岳、富士山、伊豆半島、伊豆諸島となった。

 日本列島における大地の新旧の境目にある岐阜県は、地質的には極めて興味深いところで、日本の大地がどのような構造になっているか、複眼的な視点で教えてくれる。

 日本は一般的に火山国として認識されているので、火山噴火によって生じた大地の上に暮らしていると多くの日本人は思っている。しかし、たとえば近畿や四国や東海には、火山が一つもない。

 現代日本人の半分が、関東ローム層の上に住んでいるが、関東ローム層は、風で舞い上がった火山灰が降下したもので、現在でも一年に0.1mmから0.2mmずつ積もっているようだ。

 だとすると、縄文時代の始まりの1万年前からは、1m、堆積していることになる。

 日本列島の形成は約1500万年前とされているが、関東ローム層の上だと、せいぜい1万年の大地の歴史しか感じることができない。

 岐阜県は、大雑把に分けて、北部の飛騨帯と、南部の美濃帯に分けることができるが、飛騨帯の歴史は、気が遠くなるほど古い。もともとは、海の底に堆積した砂、泥、石灰質だが、20億年前を最初に何度も熱変成作用を受けており、約1億8000年前に、かなり強力な変成作用を受けたため、現在の岩石の形成年代として、この時期としている。

 岩石が熱変成を受けるのは、海底プレートの上にのった堆積岩が、大陸プレートに引き込まれ、二つのプレートがぶつかり合う部分のエネルギーを受けるからだ。そのようにして形成された変成岩は、隆起して地上に現れている。

 現在も、太平洋プレートは、一年に数センチずつユーラシア大陸に向かって動き続けている。

 そして、岐阜県南部の美濃帯は、2億年前から1億5000万年前のジュラ紀、恐竜が栄えた時代に形成された堆積岩だ。

 といっても、日本列島の中ではなく、太平洋の3000mから4000mの海底にプランクトンの死骸が堆積し、海底の圧力で硬い岩石となり、それが一年に数センチずつユーラシア大陸に向かって動き、ユーラシア大陸にぶつかって乗り上げるようにして形成された。

 この写真の飛水峡は、美濃帯の典型的な大地だ。木曽川と飛騨川の合流点から、飛騨川を少し遡ったところにある。

 そして、この飛水峡から、20億年前という最近まで長いあいだ日本最古として認定されていた岩が発見された。

 これは、大陸で20億年前に形成された岩が礫となって川に流され、海底の深いところに転がり、まわりのプランクトンの死骸が岩石(チャート)になっていく2億年の歳月をともに過ごし、再び、チャートの中に紛れ込むようにして地上に現れたということであり、この岩に含まれた時間の層が、あまりにも複雑で、あまりにも長い。

 いずれにしろ、飛騨帯も美濃帯も、はるか古い時代の大地ということになるが、その地質が、剥き出しになって現れているところは限られている。

 というのは、約8000万年前から約6000万年前までの2000万年のあいだに、超大噴火が起こり、その時の土石流などで岐阜県の大地の多くが覆われたからだ。これが、濃飛流紋岩と呼ばれるが、岐阜県の聖域となっている位山の巨岩群や、金山巨石群は、この時に形成された岩で、その後の長年の風化作用によって硬い岩盤だけが残ったため、人間の想像力を刺激する異様な景観を見せている。

位山山頂付近の巨石群

 この新しい大地でさえ、恐竜の大型化が進み、絶滅の道を辿る約8000万年前から約6000万年であり、十分すぎるほど古い。

 岐阜県は、大地そのものが古すぎるためか、現在は、御嶽山から西には火山は存在しない。

 御嶽山が、千島列島、北海道から続く東日本火山帯の西の端にあたる。

 それゆえ、比較的新しい時代の火山活動の痕跡を見ることができないのだが、地球が、巨大なエネルギーを備えた実態であるということが、非常にリアルに伝わってくる場所だ。

 とくに、岐阜県は、日本で最も大河が集中するところでもあり、豊かな水を湛えた川が、比較的新しい時代に積もった柔らかい地層を削り、洗い流していくため、超古代の岩盤が剥き出しになり、そのため、地球のエネルギーを実感しやすい土地になる。

飛騨川

 北海道から東北、群馬や長野や山梨など、縄文王国と呼ばれるところは、例外なく火山のそばで、地球のエネルギーを直に感じ取れるところだ。

 そして、火山から離れてはいるものの、地球のエネルギーをダイレクトに感じる地形を誇る飛騨も縄文王国である。縄文の祭祀道具である石棒の数がもっとも多いところが飛騨だ。

 縄文人は、地球のエネルギーを神として感じる感受性を備えていたのだろう。

 縄文文化が栄えた飛騨だが、律令制の時代には、隠岐対馬壱岐など島国と同じく最下等の下国とされ、租庸調など税金の負担を減らされるをかわりに、木工、大工職人を出すことを義務付けられた。

 理由は明確で、山で覆われた飛騨は、米の産地ではなかったからだ。

 近代以降、港のそばの平野部に築かれた大工業地帯を中心に交通網が張り巡らされ、それにそって人間は集まるようになった。

 そのことによって人間のコスモロジーは、工業製品と交通網という人工物のなかだけで完結するようになった。

 そして、時おり、休暇の時に、日本各地を旅行することがあっても、目に映る風景は、テレビモニターの画像と変わらないものとなっている。

 なぜなら、それらの風景の価値を計る基準が、世界遺産とか、ガイドブックのお勧めなど、人工基準だからだ。

 人工基準というのは、たかが数年、数十年のものであり、そうした現代の時間基準をはるかに超えた領域へと思いを馳せないかぎり、常に変化し続ける人工基準に右往左往するばかりになる。

 

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