第1340回 ピンホールカメラで世界と向き合う時に見えてくる古くて新しいコスモロジー。

 夏至を境に、今日から1日ずつ日が短くなっていく。

 私は、ピンホールカメラで写真を撮っているので、日没時間はとても気になる。

 日が短くなると、取材中もゆっくりと昼食をとっていられない。だから、夏至になると、少し切ないものを感じ、冬至になると、翌日から1日が長くなっていくのだと、少し気持ちが明るくなる。

 電灯がなかった古代は、活動時間に影響を与える一日の長さにとても敏感だったはずだ。冬至夏至が強く意識されていたことは間違いなく、たとえば伊勢神宮宇治橋が、冬至の日に真ん中から太陽が上ることなど、広く知られている。

 話は変わるけれど、日本各地に、謎の巨石物体と言われるものが多数存在している。

 古代史が好きな人は、縄文時代に巨石文明があったと考えている人も多い。巨石文明の定義は、人工で巨石を組み合わせたり加工したりして建造物を作るということで、秀麗な山でさえ、縄文時代に作られた人工ピラミッドだと主張する人もいる。そういう人工技術を備えているから、「文明」だということになる。

 実際問題として人工か自然なのかわかりにくいものも多いが、この写真の飛鳥にある益田岩船は明らかに人工の建造物で、巨石文明論者は、これこそが謎の古代建造物の証拠だと胸を張る。

 この益田岩船に関しては、四角の穴に祭壇の柱を立てたとか、別の巨石と組み合わせて、さらに大きな建造物を作ったなどと、松本清張をはじめ好き勝手な説が色々と論じられてきたが、昨年の春、この益田岩船の近くで、修復と考古学的調査の終了を経て公開された八角墳の牽牛子塚古墳(斎明天皇の古墳であることを有力視されている)の石室と同じ構造であることがわかった。

 斉明天皇と、間人皇后の女性二人のご遺体を入れるために巨石に二つの穴が穿たれた。

 益田岩船は、この石室の建造途中に何かしらの理由で放棄され、別のところで作られたものが、代わりに古墳に収められた。

 その時代は、7世紀後半で、この50年後には東大寺大仏が作られているし、この50年前には法隆寺が作られているから、益田岩船の建造技術は、ミステリーでもなんでもない。

 それくらいの技術は、その時代、十分に備えていた。このすぐ近くには、6世紀に作られ、日本最大の石室を持つ真弓鑵子塚(まゆみかんすずか)古墳もあるが、この古墳は、出土品などから渡来系の東漢氏のものと考えられている。

 穴太衆で知られる滋賀県大津市坂本の石工集団も、渡来系の技術者集団をルーツに持っている。

 日本の歴史において、血統的に明らかに渡来系の母を持つ桓武天皇宇多天皇がいるので、渡来系かそうでないかの区別はあまり意味がないが、少なくとも、日本各地で見られる多くの人工的建造物が、縄文時代の巨石文明でないことは確かだ。

 なかには、江戸時代どころか、明治以降に、地元の愛好家によって作られたものだってある。とくに、冬至夏至の太陽とピンポイントで重なるように作られたものは、注意が必要だ。地球史レベルでは、地球の自転運動の歳差によって古代と現代では北極星の位置もズレており、古代中国で編まれた星座「星官」では、現在の北極星は真北ではない。だから、冬至夏至の太陽光線の向きも変わってくる。

 伊勢の夫婦岩の二つの岩のあいだに富士山が位置して、その場所に、夏至の日、太陽が昇る。そのために、夫婦岩は特別な聖域になっているが、そうなったのは、それほど太古の昔ではないと私は思っている。

 伊勢の宇治橋の建造も、平安時代後期であると考えられ、それ以前は、五十鈴川の浅瀬を渡っていたと記録が残っている。

 もちろん、1000年前でも十分に昔なのだが、それでも、この時代と、縄文時代は、分けて考える必要がある。

 狩猟採取を基礎に置く暮らしと、稲作を基礎に置く暮らしでは、コスモロジーが大きく異なるからだ。

 弥生時代の稲作開始以降、人間が自然に働きかける傾向は強くなり、縄文時代コスモロジーと異なってくるが、それでも、牽牛子塚古墳のような八角墳は、いわゆる巨石文明というより、宇宙秩序と人間の世の秩序を調和的に一体化させたい祈りのような意志と、情熱と、エネルギーを強く感じ、それもまた人間の中の”自然”なのかと思う。

 縄文時代ストーンサークルもそうなのだが、あれを、古代の天体観測所で、巨大な建造物を作る技術があったなどと現代的価値観の延長で解釈してしまうと、人間の可能性すら狭めてしまうような気がする。

 それはともかく、現代の最先端の宇宙物理学は、当事者たちは、もしかしたら意識することなくやっているのかもしれないが、現代のコスモロジーの枠をはみ出してきている。

 最先端の宇宙物理学は、宇宙という超マクロの現象を理解するために、素粒子という超ミクロの領域の研究が主になっている。

 その研究の延長上に宇宙の謎を解き明かそうとしているが、私は、宇宙の謎は謎のまま終わるとしても、人間のコスモロジーに変化が起きる端緒になるのではないかという気がする。

 私たちが日々生きているマクロの世界の物理法則は、「最初の条件さえ決まれば、以後の物質の状態や運動はすべて確定される」と考えられているが、それに対して、素粒子の世界では、シュレーディンガーの猫として知られる例え話のように、「量子の状態は常に不確定なものだけれど、人間が観測することで、はじめてそのように確定される」と考えられている。

 つまり、人間がこうだ、ああだと言っている状態というのは、人間がそのように観測した結果にすぎないということ。人間の認知機能は、自分の認知機能に添うように、外界を認知しているにすぎない。

 素粒子学者は、これをミクロの世界に限定し、私たちが生きているマクロの世界とは別だとしているが、宇宙レベルでいえば、私たちが生きている世界もまたミクロである。

 人間の目は、紫外線や赤外線をとらえられないので、日常的にはそれらを認識していないが、紫外線を餌にしている微生物にとって、紫外線の有る無しが宇宙の実相だ。

 目が見えないコウモリは、コウモリの認知の仕方で宇宙を把握し、それは人間の認知する宇宙と、まるで別のものだろう。

 つまり、人間が客観的事実などと言う時も、実は、人間の観測者がそうだと決めつけた事実にすぎないということ。

 世界各地の神話の冒頭は、必ず天地創造の話が出てくる。

 物語としてはいろいろな形がとられているが、共通しているのは、「量子の状態は常に不確定なものだ」というコスモロジーと、とても似ている。

 

 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面(おもて)にあり、神の霊が水面を動いていた」聖書)

 

「むかし、天と地とがまだ分かれず、陰と陽ともまだ分かれていなかったとき、この世界は混沌(こんとん)として鶏の卵のように形も決まっていなかったし、また、それはほの暗く、広くて、物のきざしはまだその中に含まれたままであった。(日本書紀

 

 しかし違いは、次の段階だ。

西欧においては、 

 

「神は言われた。『光』あれ。こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇とを分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった」(聖書)

 

 神という言葉が使われているが、素粒子物理学の、「観測することで、はじめてそのように確定される」という内容に近い。

 それに対して日本では、自然に分かれ識別されるという流れになる。

 

「やがて清く明るい部分はたなびいて天となり、重く濁った部分は滞って地となった」(日本書紀

 

 どうやら日本は、人間の観測(意識がともなっている)によって世界が定義されるのではなく、流動的な世界の方が人間の意識を導くというコスモロジーの形をとっている。

 人間のインスピレーションによって世界を作ることより、在るがままの世界からインスピレーションを得ることに重きが置かれているのだ。

 日本という島国に、大陸をはじめ、様々な異国から、異なる知識や技術がもたらされてきたが、中世文化において日本特有とされ、欧米の優れた表現者が学びの対象としたのは、「人間の自由な発想力」ではなく、あくまでも自然などの対象物に向き合い、そこからインスピレーションを得て、その背後の力を浮かび上がらせるような表現だった。

 他の国々から様々な影響を受けながらも、古代から一貫して保ち続けたスタンスが日本にはあった。

 そして、それは、不思議なことに、宇宙物理学の最先端の発想に近い。

 史上初めて太陽系外で発生したニュートリノの観測に成功し、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんは、「見えないものを見るためにカミオカンデを作った。」と語ったが、「見えないもの」という言葉だけでは不十分である。

 ニュートリノは、見えないだけでなく、質量も電荷もなく、全ての物を通り抜けてしまう粒子であり、だから、それ自体を、人間の認識機能で観測することはできない。

 ニュートリノは、それ自体は、人間の認知の対象外の実在なのだ。

 人間の認知の対象外のものではあるけれど、間違いなく宇宙に存在することを確かめるために、カミオカンデは作られた。

 なぜそういうことが可能なのかというと、ニュートリノは、その通り道で時たま、他の粒子とぶつかって、その結果として、反応現象が起きるからだ。

 質量や電荷のある素粒子は来ることのできない地下1000mのところで、そうした反応現象があれば、それは、ニュートリノが引き起こしたものであるという発想で、カミオカンデは設計されている。

 それ自体は観測できない。しかし、反応現象によって、背後にあるものの力を読み取ることはできる。

 伝統工芸などに見られる日本人の自然に対するスタンスは、それに共通するところがある。

 設計図に従って切りそろえた木を組み合わせるのではなく、木の性質を読み取って、湿度その他の影響も踏まえて木を組んでいく。

 最先端の宇宙物理学のコスモロジーは、日本の古代のコスモロジーと重なりつつあり、そこへと通じる意識回路を整えていくためには、ニュートリノの存在を確認する反応現象を待つのと同じ作法が必要かもしれない。

 写真表現は、現代文明の中で生まれたものであり、現代的思考の特徴を反映している。

 その結果、現代社会には、一つの事象を一つの認識のためにだけ確定させていく記録写真が溢れている。そして、現代人の認識では、写真は事象を確定させる装置だったので証拠としての力が強く、だから、捏造の問題や、パパラッチの問題が起きた。

 ところが近年、技術がさらに進み、誰でも簡単に写真を捏造したり合成できるようになり、証拠物としての写真の存在意義は、次第に薄れつつある。

 今後、行き着くところは、一つの事象は、たまたまの現れにすぎないのだという認識だろう。

 しかし、その現れは、背後の何らかの働きによって生じている。

 私が、長年の写真表現との関わりのなかで辿り着いたピンホール写真は、そうした新たな世界認識に通じるものであり、事象を切り取って確定させるのではなく、反応を取り込んで、背後にある何かしらの働きを浮かび上がらせる道具ではないかと私は思っている。

 レンズもなければ、シャッターもファインダーもないピンホールカメラは、写真表現が誕生した時の道具であるが、初めて人間がカメラを持って世界と出会った時の体験は、ニエプスの写真がそのことをよく表しているが、「何かを撮った」ではなく、「何かが写った」というものであり、人間の意図を超えた驚きこそが、写真という新たな表現の面白みだった。

1825年にニエプスによって撮られた写真は、原版が現存する世界最古のものである。

ーーーーーーーーーーー

 6月6月24(土)、6月25(日)、12:30- 第7回「現代と古代のコスモロジー」と題したワークショップセミナーを行います。(それぞれ一日で完結) 

 東京都日野市の高幡不動尊金剛寺(6月は山紫陽花の季節です)に集合し、フィールドワークした後、私の事務所に移動いたします。

 今回は、古代世界において重要な役割を果たしていた諏訪や飛騨、出雲地方などを軸に、古代のネットワークに焦点をあてて行いたいと思います。

  詳細、お申し込みは、こちらのホームページをご覧ください。

www.kazetabi.jp

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ピンホールカメラで向き合う日本の古層。Sacred world Vol.1,2,3 販売中 https://www.kazetabi.jp/