第1337回  見えないものをみるために

「見えないものを見るためにカミオカンデを作った。」

 これは、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて太陽系外で発生したニュートリノの観測に成功し、ノーベル物理学賞を受賞した小柴 昌俊さんの言葉。

 スーパーカミオカンデは、カミオカンデの性能をさらに高めたもので、1996年から運用を開始した。この宇宙物理学の最先端施設の建設場所は、古代の息吹が残る飛騨の神岡の地下1000mのところが選ばれた。

 その頃、日本中の地下世界を撮影し続けていたのが内山英明さん。

 内山さんは、2014年4月14日、65歳という若さで亡くなった。

 私は、風の旅人で紹介した写真家の中で、人間や自然と向き合う写真家としては、野町和嘉さんや水越武さん、そして時代と向き合う写真家として川田喜久治と内山英明さんの写真を多く紹介した。内山さんは、25号、26号、27号、32号、39号、43号、45号と7冊において特集を組んだ。

 そして、それらのテーマは、「この世の際」とか「修羅」とか「空即是色」とか「時と廻」といった、私としては20世紀から21世紀へのコスモロジーの切替を特に意識したもので、内山さんの地下写真は、それらのテーマと響きあっていた。

 内山さんの地下世界の写真に強い関心を持ったきっかけは、石元泰博さんが、戦後の東京を50年にわたって撮り続けた写真の1000枚を超えるプリントを全部見せてもらった時、50年代、60年代、70年代、80年代の地上の風景は、その時代ごとの特徴が明確なのに、90年代以降は特徴が消えてしまっていると認識したことだった。

 バブル崩壊以降の日本の地上世界は、90年以降、見た目には、ほとんど変わっていない。しかし、コンピューターやインターネット、スマホの普及で、人々の暮らしは激変した。 

 この変化は、地上の構造物では見えにくくなっているのだが、地下世界が、とてつもないことになっている。内山英明さんの写真を見た時、そのことをリアルに感じて、衝撃を受けた。まさに、時代のエッジが、地下に現れているのだ。

 内山さんは、写真家のなかでも少し浮いているようなところがあって、人間付き合いは上手ではなかった。写真家のパーティでも、あまり他の写真家と話をしていなかったのだけれど、私とは気が合うところがあって、お互いに姿を見かけると、パーティのあいだ、ずっと二人でいた。

 「見えないものを見る」という小柴さんの言葉は、内山さんの表現にも通じていて、内山さんは、地上世界では見えないけれど確かに存在していて、地上世界を裏側から支えている地下世界を撮り続けていた。

 私の東京の拠点に飾っているこの写真は、内山さんが撮ったスーパーカミオカンデで、まだ純水が入っていない状態のもの。

 そして、この壮大な観測装置で捉えようとするミクロの物質、ニュートリノという存在自体が、コスモロジーの転換の一つの象徴となっている。

 ニュートリノは、宇宙空間で光の次に多い素粒子とされ、私たちの周りにはたくさんのニュートリノが飛び交っていて、1秒間に約100兆個ものニュートリノが私たちの体を通り抜けているとされる。

 しかし、これは、幽霊粒子と呼ばれる原子よりも小さな素粒子で、目には見えず、他の素粒子のように電荷を帯びておらず、どんな物質も通り抜けてしまうので、客観的な観測は不可能だ。

 しかしニュートリノは、ごくまれに通り道の物質と反応して、そのエネルギーで荷電粒子を叩き出すことがあり、その時に現れるリング状の弱い光(チェレンコフ光)を観測することで、その存在を確認するという方法がとられている。

 スーパーカミオカンデは、ニュートリノ以外の素粒子が反応する可能性を排除するため、他の素粒子が通り抜けることができない深さ1000mのところに築かれ、いっさいの不純物のない純水を5万トン蓄え、ニュートリノがその純水と反応する瞬間をとらえようとしている。

 ニュートリノという個のアイデンティティは、ニュートリノという個体を客観的に分析するのではなく、ニュートリノが反応して生じる現象を通して、その存在と性質を確認するほかない。

 そして、ニュートリノは、宇宙空間において光の次に多い素粒子で、素粒子の存在と性質の寄せ集めが宇宙の動きや形を決めているわけだから、ニュートリノは、私たちの世界の本質を象徴しているとも言える。

 世界は「物」の総体ではなく「事実」の総体であり、事実というのは、反応など関係性によって成立した「事態」からなる。

 つまり、個の中にアイデンティティを探し求めることは不可能であり、個の関わりの中で生じる反応の総体を知ることが大事になる。

 自分たちが生きている時代社会や、歴史と向き合う時も同じで、個の分析の寄せ集めで全体を理解しようとするのではなく、歴史の中で起きた事実や、現代、起きている事実は、様々な反応の総体であり、その反応を引き起こしている関係性の理解が大事になってくるだろう。

 近代的思考は、デカルトが唱えた方法序説の延長にあるが、方法序説は、全体を個に分けて、それらの個を詳細に分析して、その後に、それらの分析を統合することで全体を知ることを目指す論理や思考の方法であり、これが近代の学問の基本だが、この思考方法だと世界全体の情報を数多く得ることができても、断片的に広がるばかりで思考は硬直化し、世界の真相からは、むしろ遠ざかっていく。

 論理や思考の転換は、コスモロジーの転換でもあるが、これは、アイデンティティをめぐる問題ともつながる。

 人それぞれが備える個性を大事にした教育とか、就職などにおいても、「自分が自分らしくあること」や、「そうした自分を認められること」などの欲求の高まりのなかで、何をやればいいのかわからない、自分に向いた会社が見当たらない、他に自分を生かしてくれるところがあるのではないか、という自分のアイデンティをめぐる悶々とした問いにつきまとわれ続けるということが起きる。

 人は、自分の存在を価値あるものとしてとらえたいという欲求があるが、自分という存在を、個の中で完結する静的なものとして捉えてしまい、自分とは何か?という不毛な問いを続けることは、デカルト方法序説、つまり近代的思考の末期的症状だとも言える。

 ニュートリノの存在は、ニュートリノを取り出して、その中身を分析して確かめることはできず、ニュートリノが、まれに反応して生じる「事態」から確認することになる。

 宇宙を知ることも、世界を知ることも、歴史を知ることも、そして自分自身を知ることも同じなのである。

 そして、古代人は、そのことをよく理解していた。 

 スーパーカミオカンデが建設されたのは、かつて東洋一と言われた岐阜県神岡鉱山の跡地だ。

 ここが建設地になった理由は、鉱山の跡地ということで広い地下空間があることと、大量の水が得られることが大きいが、このあたりは飛騨片麻岩という4億5000万年から2億4000万年という日本では最も古い時代に形成された硬い岩盤の地質構造のため、地下空間が安定していることもある。

 飛騨片麻岩は変成岩だ。 すでに存在していた岩石(火成岩,堆積岩など)が熱や強い圧力によって変化したもので、もとの岩石に含まれていた鉱物が別の鉱物に変わったり、大きくなったり,ある方向に並んだりして特徴的な傾向を見せる。

 日本列島では、中央構造線にそって多く見られるが、岐阜県もそうだ。

 日本が島国になったのは約1500万年前で、ユーラシア大陸の端に押し付けられていた地面の一部が南と北からの力に引っ張られるように引きはがされたのだが、ちょうど岐阜県のあたりが南北の分断面にあたり、大陸の中にあった時は一番奥、そして、引き剥がされる時は、一番移動の大きかったところになる。

 この場所に加えられたエネルギーは、複雑で巨大でよくわからないが、それらの反応の結果として生じた事態は、岩盤にあらわれている。

 

 岐阜県には、一部の古代ファンのあいだで、岩屋岩陰遺跡が人工的に作られた古代の天体観測所だとか、日輪神社の御神体である裏山が人工ピラミッドだとか、いろいろと盛り上がっている場所が多く、それだけ地形や地勢が特殊なのだが、人工ではなく自然の反応が、それらの造形を作ったのだと私は思う。岩屋岩陰遺跡や日輪神社の裏山のようなところが、岐阜県の到るところにあるからだ。

 しかし、古代ファンが盛り上がる理由は他にもあって、この地が、縄文文化の宝庫だからだ。

 作家の坂口安吾が、「飛騨は日本の古代史では重大きわまる土地であります」と書いた。

 坂口安吾は、私が20歳の時に大学を辞めて海外を放浪するに至る最後の背中押しとなった「堕落論」の著者である。

 堕ちろ、堕ちろ、墜ちるところまで堕ちよ! 大学を休学ではなく退学にすべしと私が心に決めたのは、中途半端なところで一時休憩という逃げ場を作るのではなく、墜ちるところまで墜ちないと、物の見え方、意識の持ち方が変わらないという自覚があったからで、安吾の「堕落論」は、その自覚を象ったものだった。

 坂口安吾が飛騨の重要性に目をつけたのは、古事記日本書紀には一つも重大な記事がないけれど、何もないのが不思議で、特殊な処置がなされて隠されたものがあると考えたからだった。

 その隠されたこととして、安吾は、壬申の乱は、近江や美濃ではなく飛騨で行われたと考え、天武天皇持統天皇もヒダ王朝出身の皇統だと説を展開する。私はこれに同意するものではないが、安吾が、日本の古代史というのは、大化改新以前の期間は100年ほどのことなのに、「両面神話」という二人一組で物語を作るという方法で、多くの神々や天皇たちを創作し、「長い長い日本古代史」が仕立てあげられたという考えについては、少し同意するところがある。

 そもそも、イザナギイザナミも陰と陽だが、律令制を整えた天武天皇は、日本書紀にも陰陽道の使い手であると記され、日本最初の天文台を作らせ、陰陽寮という官僚組織まで作った。つまり、記紀にも、当然、陰陽道コスモロジーが反映されている。

 イザナギイザナミという陰陽の原理で、神々が次々と生み出されたという物語は、ここから生まれた。

 イザナミは死んで黄泉の国に行くが、そもそも黄泉というコスモロジーも、日本においては、そんなに古いものではない。

 日本の大王の墓が竪穴式石室から横穴式石室になったのは、6世紀の第26代継体天皇の時からだが、後円部分の頂上に築かれた竪穴式石室は、死んで神になる大王というコスモロジーを反映しており、死んで黄泉に行くわけではなかった。

 それに対して、横穴式石室というのは、石室の向こうの黄泉の世界と続いている。だから、横穴式石室では、黄泉の旅のために、須恵器に食べ物や酒が供えられた。

 そして、竪穴式石室は、上から重い石の蓋をかぶせて2度と開けられないようにしていたが、横穴式石室は、横側に石の扉が設置されているだけで、それは開け閉めが簡単で、同じ石室に、後から他の人の遺体が埋葬された。

 この構造は、イザナギが、イザナミと会うために黄泉の国との境まで出かけて行き、その境にある石の扉を開いて中に入っていき、逃げ帰る時に、その扉を閉じるという物語に反映されている。

 これは、6世紀以降の新しいコスモロジーを表している。

 そして、イザナギイザナミの永遠の分かれ目となったのは、イザナギが、イザナミに見るなと言われたのに見てしまったところにある。

 形あるものを見ると、その形に囚われて分別が生まれる。

 これは、蛇にそそのかされて果実を食べたアダムとエバが、お互いが裸であることを認識するのと同じである。

 そして、分別を持ってしまったからこそ、禊や祓いが必要になる。それ以前は、邪という概念すらなかった。

 黄泉から逃げ帰ったイザナギが最初に行ったことは、禊であり、その時にアマテラス大神が生まれた。分別によって分断された世界を統べるための新しい秩序が必要だからだ。

 そして、飛騨の鬼といえば、両面宿儺である。

 これは、日本書紀に登場する鬼だが、一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いている。

 実際に、こういう形の鬼がいたという史実を伝えているわけではなく、両面の顔を持つというイメージは、アマテラス大神による新しい秩序以前の、善や悪、聖や濁が無分別のコスモロジーを反映している。 

 新秩序世界から見て、これは鬼だが、人間の分別によって分断されていない世界の実相でもある。

 安吾は、飛騨の歴史は意図的に隠されたと考えたが、そうではなく、飛騨の歴史は、ニュートリノのように、それそのものを取り出して記述できるものではなかった。

 律令制下で、日本の各地方は租庸調と呼ばれる税や貢物を朝廷に納めることになったが、農耕が発達せず、当時、織物など特産品もない飛騨の国は、地方の中で、隠岐、淡路、壱岐対馬などの島国とともに、一番下の位の国である下国とされ、税を免除された。そのかわりに、都で、宮殿や寺院の建築工事に携わる匠丁(労働者)を差し出すことになった。

 飛騨は、神通川で富山とつながり、飛騨川で伊勢湾につながるという交通の要所で、下呂石など優れた石材に恵まれ縄文文化が発展していたが、稲作のコスモロジーに当てはまらない地域だった。

 律令制度下で、飛騨は取るに足らない下国と位置付けられ、特別に何かを取り出して記述できるものがなく、両面宿儺という異形の存在を通して象徴的に語られた。

 まさに新しいコスモロジーからは遅れた土地とされた飛騨において、現在、その地下にはスーパーカミオカンデカムランドなど宇宙物理学の最先端の研究施設があり、堂之上遺跡など縄文文化の痕跡も多く残る。

 そして、ここは、日本列島で最も古い大地であり、熱や圧力によって変成を受けた変成岩が露頭となって地上に現れているところだが、飛騨川の河床からは、20億年前の変成岩も見つかった。 

 とはいえ、この20億年前の岩が見つかった場所は約2億年前に海の底で形成された大地である。

 つまり、この岩は、20億年前にユーラシア大陸で形成されていた岩石のカケラが、2億年ほど前、川で海まで流され、他の物質とともに堆積し、その中に抱き込まれるようにして固められ、その後の地殻変動による熱や圧力で、さらに変成させられたものということになる。

 人間の分別によって役に立つかどうかを決める基準は、時代環境とともに大きく変わっていくが、限定的な時間の中で人間の分別が鬼とするものは、反対側からの視点では、悠久の時の流れの中にあるものだ。そもそも、人間を魅惑するものは、分別の範疇にあるものではなく、それを凌駕するものである。神話が、時を超えて魅力的な理由は、そこにある。

 神話を、系譜その他の分別で整理しようとすればするほど、矮小化され、つまらないものになっていく。

大事なことは、これが正しいと決めつけた答えで片付けることではなく、真相のリアリティを、じわじわと感じ続けること。たとえ頭でうまく整理できなくても、世界の広がりや深さに触れたという実感を得ることだろう。

 

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