第1338回 人間の意図を超えた力と、磐座。

 山梨県北杜市小淵沢町に大滝神社があり、この場所は八ヶ岳南麓高原湧水群の一つ。「日本名水百選」に選ばれているが、日量22000立方メートルと豊富な水量を誇り、一年を通して水温は12度。

 東京の武蔵野台地でもそうだが、井の頭公園石神井公園等々力渓谷など、湧水の出るところは石器時代から変わらず、石器時代縄文時代の遺跡が集中的に存在している。

 古代、人類は、安定した水資源のある場所に、10,000年以上住み続けていた。縄文人は狩猟採取生活を送っていたので移動生活をしていたと思っている人もいるが、そうではなく、水が湧く場所に定住していた。 

 安定して良質の水を得ることは、生きていくうえで何よりも重要なことだが、地上の河川というのは、しょっちゅう流れを変えてしまう。それに対して、地下水の流れは、よほどのことがないかぎり変わらない。

 大地に降り注いだ水や雪解け水が地面に染み込むと、ある一定のところで硬い岩盤や粘土質の水を通しにくい地層にぶつかり、その地層の傾斜角度などによって同じ方向に水は流れる。地下の地層の状態が同じであるかぎり、水は決まったところへと導かれるのだ。

 この名水の地、大滝神社に、巨大な岩盤があり、神社は磐座とみなしている。

 水の湧く場所に、これだけの巨岩群があれば、古代人が畏怖の対象としたことは、十分に想像できる。

 しかし、それに対して、磐座学会というところが、「この巨岩は磐座ではない」と進言されたそうで、わざわざ、違っていますよと「進言して差し上げた」と、その会長が述べている。

 その根拠として、磐座学会における「磐座」の定義は、「人間が何らかの意図を持ってその目的や役割に合致するよう磐を人工的に組上げ、あるいは自然の磐そのものを活用したもの」としているからだ。

 古代は謎が多い。人それぞれ物語を組み上げて、その物語を「自分の場」で発信することは自由だと思う。しかし、他者に対して「進言」するなどという行為は慎むべきだろう。

 磐座学会は、「人間が何らかの意図を持ってその目的や役割に合致するように行う人工的行為」という定義を立てているが、他者に対して自説を進言するという自らの行為じたいが、「何らかの意図を持って、その目的を達成しようとする行為」になってしまっている。それは、自分たちの考えを、権威化していきたい意図と目的ということになる。

 果たして、石器時代縄文時代の人間が、そういう自己目的を軸にした生き方をしていただろうか?というのが私の疑問だ。

 弥生時代になって、人間は神籬を作った。稲作を行う人間は、自分たちの行為が何ものかによって阻害されるような状況を非常に恐れるから、それを防ぎたいという欲求が強くなって当然だと思う。だから、神下ろしをして祈るための場を作ることは、やむを得ない。 

 しかし、自然のサイクルの中で生きていた石器時代縄文人は、どうだっただろうか?

 「古代の巨石文明」などに関心が強い人たちは、古代人もそうしたテクノロジーを持っていたと主張する。

 技術があるから、それを生かして何かを作る。この発想や姿勢を強く否定していたのが、スティーブ・ジョブスだった。

 「テクノロジーありきで、それをどこに売り込もうかと思いめぐらすのではダメなんです。」と彼は常に言っていた。

 古代のことを考えるうえでも同じで、テクノロジーがあったかどうかではなく、その当時の人たちの心の状態がどうだったのかに思いをはせることが先決だろう。

 現代人のニーズや価値観を彼らに押し付けるわけにはいかない。

 たとえば、縄文人は、数千年以上、竪穴式住居で暮らしていた。もっと立派な家を作るための技術を持っていたことは、三内丸山遺跡の共同の祭祀場などを見れば明らかだ。

 竪穴式住居の中は真っ暗で、地面を少し掘り下げている。そして、狭い出入り口の地面の下には、胞衣(出産後の女性の胎盤)が埋められていた。

 おそらく、縄文人にとって竪穴式住居は、母親の子宮であり、彼らは、1日の終わりに子宮で眠り、太陽が昇ると、子宮から出ていく。つまり、毎日、生まれ変わることができた。豪華な家に住んで便利な物に囲まれていても、昨日の悩みを引きずって生きている現代人とは全く違うコスモロジーの中にいたのだろうと思う。そして、それが心地よかった。だから、この暮らしのスタイルを変えなかった。技術を持っていなかったから変えられなかったわけではない。

 人間というのは、ある目的を持ちさえすれば、それに突き進んで、あっという間に新たな技術を次々と発明して状況を変化させていく。

 現代が、人類史の中で技術的な頂点にいるわけではなく、特定の領域に特化したところで、その技術を発展させているにすぎない。

 平安時代の織物や工芸などで、現代でも再現不可能なものは、いくらでもある。ようするに、どの方向に向かってエネルギーを注ぐかの違いにすぎない。

 だから、縄文時代においても、巨石を動かして何かを作ろうという目的を持てば、そういうことを到るところで行っていただろう。

 実際に古墳時代にはそういうことが各地で行われていたが、古墳時代縄文時代の月日の隔たりは、1000年ほどでしかない。

 竪穴式住居で、毎日、死と再生を繰り返していた縄文人にとって、人間の意志や目的と関係なく、巨岩や大樹は、神が降りている場だった。

 そして、人間が手を加えていない状態で、冬至の太陽をはじめとする天体現象と何かしらシンクロ現象を起こす場や、巨岩が絶妙な均衡で立っていたり、配置されていたりする場は、神聖視されていただろう。

 人間が手を加えていないからこそ、それらは奇跡だからだ。

 人間が目的を持って、岩をそのように配置したところで、自己満足でしかなく、宇宙の奇跡を実感できない。

 しかし、日本にも、イギリスのストーンヘイジのような環状列石はある。これは、明らかに人工的なものであるが、磐座とは少し違う。

 スティーブンミズンの「心の先史時代」という本で詳しく書かれているが、古代人は、石器を作る際、単に「便利な道具」を欲していたのではなく、美意識に基づいて作っていた。実用性とはかけ離れた薄すぎる石器や、実用性を満たすだけなら、そこまで念を入れる必要がないくらい対称性が完璧なものが存在するからだ。

 土偶や土器も同じで、明らかに人工的であるが、縄文時代に作られたものからは、実用性を超えた何かが伝わってくる。

 石器作りや土器作りは、実用性だけではなく、かといって人工を介して奇跡的なものを作ろうとしているのではなく、彼らが見出していた自然の摂理を、執拗に具現化しようとする徹底さが垣間見られ、環状列石にもそれを感じる。

 この生理は、美意識という言葉に置き換えていいと思う。それは芸術的な心だとも言える。

 こうした美意識による人工は、反自然ではなく、大脳が大きくなりすぎて自然から少し遊離してしまっている人間が、少しでも自然に近づき、その中に回帰していきたいという衝動とつながっている。

 そうした衝動に基づく巨石の祭祀場は、土偶や土器などと同じく、人間の抽象的な思考が強く反映されている。

 しかし、磐座学会が、「これは人工的なので磐座と定義される」と裁定するような磐座は、絶妙なバランスで積み上げられているとしても、私は人工だと思えず、自然が作り出した奇跡の造形だろうと感じる。とくに、日本の大地は変成岩が多く、そうした奇跡的な造形や巨岩の配置は到るところに見られる。

 それらは、人間の計画や意図の範疇を超えていると感じるからこそ、現代人の私でも感動するし、古代人も、畏怖の感覚を持っただろうと思う。

 私が、敢えてピンホールカメラという人間の技術的作為が入りにくい方法で、それらを撮影しているのは、人間の計画や意図を超えた力を、受け取って伝えたいからだ。私の関心は、技術ではなく、人間の心模様だ。

 古代人が自然の摂理に近づこうとして作り出した人工に反映された古代人の心も興味深いし、自然の中に奇跡を見出して、それを畏れ崇めた心も興味深い。

 それに対して、磐座学会が磐座だと定義づける「「人間が何らかの意図を持ってその目的や役割に合致するように作ったもの」という「作為」に重点を置いた尺度は、なんとも味気ないと思わざるを得ない。

 その程度の動機で作られたものなら、現代世界に山ほど存在している。現代人の心と古代人の心を、ほとんど同じだとみなすのならば、私は、情熱とエネルギーを傾けて、古代を探究する気になれない。

 現代的な価値観やコスモロジーの延長上に、健全な未来を見出しにくい現代において、人類の可能性は、さらなる技術の進化よりも、心の持ち用の変化、つまりコスモロジー の変化にこそ在るのでないかと思う。

 高層マンションの最上階に住むことが、人も羨む極上の暮らしであるとする価値観は、果たして、何年続くだろう。

 竪穴式住居の居心地良さを知っていた人たちは、その生活を、何十年どころか、何千年も続けていた。

 

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