(西伊豆の烏帽子山の山頂に鎮座する雲見浅間神社からは、駿河湾をはさんで富士山が望める。富士山は、この神社の真北に位置する。この浅間神社の祭神はコノハナサクヤヒメではなく磐長姫。海岸にそびえる烏帽子山の高さは162m。その山頂にたどり着くためには、手始めに階段130段。その後、320段。そのあと、厳しい岩場の登山が必要。下の写真は、その山頂から南側を見た風景。)
一般的に、富士山の女神はコノハナサクヤヒメであり、富士山に対する信仰の神社である浅間神社は、コノハナサクヤヒメが祭神のところが多い。
しかし、西伊豆の標高162mの烏帽子山の山頂に鎮座する雲見浅間神社と、東伊豆の大室山の火口に鎮座する浅間神社の祭神は、ニニギに忌避された磐長姫(コノハナサクヤヒメの姉)だ。
この二つの神社に共通しているのは、いずれも富士山を遠望できる場所で、なおかつ火山と直接関係のある場所に鎮座しているということ。
東伊豆の浅間神社が鎮座する大室山は、4000年前に噴火した火山であり、西伊豆の雲見浅間神社が鎮座する烏帽子山は、火山の地下深くのマグマの通り道が地殻変動で隆起して地表に姿を現したものだ。
さらに、富士山の五合目に鎮座する富士山小御嶽神社の祭神も磐長姫である。
小御嶽は現在の富士山より先に「富士」に出現した山で、小御嶽と古富士の二つの山を土台に噴火を繰り返し、形作られたのが現在の富士山であり、その小御嶽の山頂部分に磐長姫が祀られている。
(東伊豆の大室山の火口には、浅間神社が鎮座する。ここも、祭神はコノハナサクヤヒメではなく磐長姫。この場所と富士山を結ぶラインの延長が、八ヶ岳の権現岳で、その山頂にも磐長姫が祀られている。富士山の五合目の富士山小御嶽神社の祭神も磐長姫だ。)
また、東伊豆の大室山の浅間神社と、富士山小御嶽神社を結ぶラインを延長すると、八ヶ岳の権現岳であり、この山頂に檜峰神社の祠があり、ここでも磐長姫が祀られている。
つまり伊豆半島から富士山を通って八ヶ岳まで一直線のラインが引かれ、それぞれの火山と関わりの深いところに磐長姫が祀られているのだ。
そして西伊豆の雲見浅間神社は、富士山の真南に位置し、駿河湾をはさんで向き合っている。
このように地理的に計画されたように磐長姫の聖域が配置されているのは偶然なのだろうか。
(西伊豆の雲見浅間神社の真北が富士山の五合目の富士山小御嶽神社で、ともに祭神は、磐長姫。東伊豆の大室山の火口に鎮座する浅間神社の祭神も磐長姫で、この場所から富士山の向こう側に位置するのが八ヶ岳の権現岳で、この山頂にも磐長姫が祀られている。磐長姫とコノハナサクヤヒメの父親であるオオヤマツミ神を祀る三嶋大社が、富士山と大室山のちょうど中間あたりにあるのも不思議だ。)
そもそも、富士山の信仰の神社なのに、なぜ「浅間神社」なのか?
浅間という名は、活火山で有名な浅間山(群馬県と長野県の県境)が有名だ。
実は、この長野の浅間山の周辺にいくつか鎮座している浅間神社もまた、祭神がコノハナサクヤヒメではなく磐長姫なのだ。
こうして見ていくと、どうやら伊豆から群馬や長野にかけての火山帯において、古代、火山と関わりのある女神が磐長姫だったのではないかと想像できる。
富士山の噴火は、5世紀後半、清寧天皇の時のものが記録されているが、その後は781年、それ以降現在まで16回記録され、特に、平安時代には立て続けに噴火し、平安時代だけで10度の噴火がある。富士山と火山との関係が強く意識されたのは、おそらく平安時代だろう。
特に864年の貞観の大噴火は凄まじく、『日本三代実録』によれば、この大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、865年に甲斐国八代郡に浅間神社を建てたとあり、その時、コノハナサクヤヒメが祭神となった。
それに対して、群馬の浅間山は、天武天皇の時、「685年、信濃国で灰が降り草木が枯れた」とする記述が日本書紀にあり、これが浅間山の噴火とされている。
685年というのは、日本書記や古事記が書かれる直前だ。
なので、古事記が書かれた当時、大噴火と結びつけられる火山は、富士山ではなく浅間山だった。
だから、火山と関係の深い神社である浅間神社は、もともとは富士山信仰の神社ではなく、浅間山に代表されるような大噴火と関係のある神社だったのだろう。そして、その時の女神は、磐長姫だったのではないか。だから、現在も、火山の痕跡の著しい東富士の大室山や、西富士の烏帽子山に鎮座する浅間神社の祭神が、磐長姫になっている。
磐長姫とコノハナサクヤヒメの関係は重要だ。磐長姫は、天孫降臨のニニギに忌み嫌われ、選ばれたコノハナサクヤヒメが現在まで続く天皇の祖に位置付けられている。
磐長姫は、不美人などという現在の価値観にそった判断で避けられたのではなく、天孫にとって受け入れがたい何かだった。
ちなみにヤマト王権の時から日本の中心となった奈良や京都の地は、日本のなかで、火山帯から最も遠いところである。
日本列島は、東は北海道から富士や伊豆にかけて、西は南西諸島から九州、中国山地まで伸びているが、そのあいだの近畿には火山がない。
縄文時代の遺跡というのは、北海道、東北は火山帯に沿っており、長野においてもそうだ。縄文人は、なぜか火山を忌避しておらず、もしかしたら、その恩恵を受けていた可能性もあるが、弥生時代以降、その傾向が変わっているのだ。
もともと、火山噴火と関係の深かった女神は浅間山周辺に多く祀られている磐長姫だったけれども、平安時代、富士山の大噴火が絶え間なく起こり、その時はすでに古事記や日本書紀が書かれた後であり、磐長姫よりもコノハナサクヤヒメの方が、朝廷にとって大事な神に位置付けられていた。なので、富士山を鎮める女神として、磐長姫から妹のコノハナサクヤヒメに入れ替わったのではないだろうか。
コノハナサクヤヒメは別名、神吾田津姫で、阿多隼人の女神とされているので、南九州に起源がある。そして、長野の浅間山の周辺には、磐長姫を祭神とする神社や伝承が残されている。
浅間山の西、千曲川の対岸に冠着山があり、ここは糸魚川・静岡構造線の上で、別名、姥捨山である。ここには、コノハナサクヤヒメと、磐長姫のように醜い大山姫の伝承があり、二人が山に登り、大山姫が、かぐや姫のように月に登って守り神となり、コノハナサクヤヒメは現世にとどまる。
コノハナサクヤヒメは、現実世界と結びついた女神で、磐長姫や大山姫のように醜いとされる女神は、向こう側の世界と通じている。
おそらく、縄文時代は、火山噴火というのは一種の聖性と結びついていたため忌避の対象ではなかった。そして火山や火山の噴出物の地殻(巨岩など)が磐長姫と結びついていた。しかし、弥生時代となり、稲作にとって火山は深刻な災害であり忌避の対象となり、現実世界と結びついたコノハナサクヤヒメが、火山を鎮める女神となったのではないだろうか。
磐長姫が、磐境であったのに対して、コノハナサクヤヒメは、神籬を象徴していると思われる。磐境というのは、本来は岩そのものであり、人間の都合に関係なく神が宿るもので、神籬は、祈雨とか止雨など人間の都合に応じて神を招くために、神聖な場に常緑樹などを立てるもの。二人の女神は、磐境と、神籬の常緑樹の違いであり、だから、天孫降臨して地上の現実を生きていくニニギは、現世につながるコノハナサクヤヒメを選んだ。
磐境は神が永遠に宿るのに対して、神籬は人間に都合による即席の聖域であり、だから、その神性は永遠ではない。
磐長姫とコノハナサクヤヒメの父、オオヤマツミ神がニニギに対して、磐長姫を忌避した結果、天孫の命は永遠でなくなると告げたのは、そういう意味ではないか。
なぜ富士山信仰なのに「浅間神」なのか? なぜ、コノハナサクヤヒメではなく磐長姫を祭神とする浅間神社が、伊豆や、長野の浅間山の周辺に多いのか? そして、磐長姫を祭神とする浅間神社が、なぜ、富士山以外の火山と直接関わりの深いところなのか? といった疑問を重ね合せると、このように洞察することは可能ではないだろうか?
真相はわからないが、なぜなんだろう? と思うことには必ず理由があるような気がする。