第1174回 日本の祈り、神道について思うこと。

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京都 月読神社

 日本の宗教について、神道と仏教が基本になっていることは、誰でも知っているが、神道とは何か?と問われた時、アニミズムとか、八百万神(やおよろずのかみ)と簡略化され、縄文に遡る自然崇拝の思想だと説明されることがある。

 しかし、神社にお参りに行っても自然神が祭神になっているわけではない。アマテラス神は、太陽神だとしても、それ以外、八幡神大国主命大山津見神、菅原道眞、コノハナサクヤヒメ、猿田彦など、日本中の神社の祭神の大半は、八百万神と言いづらいものがある。

 神道は神社と結びつき、神社は神様と結びつき、神様は、神話と結びついている。だから、神話を無視してしまうと、神様のことも、神道もわからない。

 日本の神話は、日本という国が成り立っていく過程を伝える物語であり、その中に様々な関係図が描かれている。

 新しくやってきたニニギに対して、以前から存在していたオオヤマツミ神が、娘のコノハナサクヤヒメとイワナガヒメを妻として差し出すが、ニニギは、コノハナサクヤヒメだけを選ぶ。

 オオヤマツミとは何なのか? イワナガヒメコノハナサクヤヒメの違いは何なのか?ということを理解しようとしなければ、彼女たちとニニギとの出会いが何を象徴しているのか、わからない。

 このあたりのことを、 Sacred world 日本の古層2で取り上げて、考察を行なった。

 日本という国の成り立ちの関係図をどのように捉えるかという問いに対して、誰もがスッキリするようなシンプルな解答を示すことは難しい。

 日本の神話は多元的であり、複合的だが、それはさらに遡っていえば、わが国の民族と文化とが、多元的であり、複合的な成立を持つものであることを意味しているという言葉を、白川静さんは残している。

 それでも、日本という島国、この風土のなかで、石器時代(この時は西日本は大陸とつながっていたし、瀬戸内海はなかったが)、縄文時代弥生時代古墳時代律令時代、武士の時代、近代へと展開してきたわけだから、全体を通して、共通するものがあるのは間違いない。そして、それが、日本特有の信仰の核に横たわっている。

 キリスト教のように、天国と地獄が設定され、審判によってどちらに行くか決められるというハッキリとした世界像があれば、罪と罰と救いの教義もまた、それに準じた明確なものになる。

 しかし日本は、仏教の伝来とともに地獄像が伝わっているにしても、天国と地獄の二分割の世界像よりも、ニライカナイや黄泉のように、もう少し漠然とした、「あちら」のイメージを抱く人が多い。あちらの常世(とこよ)=隠世、幽世に対して、こちらの現世(うつしよ)である。床の間とか、暖簾とか、日本特有の「間の文化」もまた、この世界像の反映だ。

 それは、日本人が「異界」をどう捉えているかという問題でもある。

 日本の神話は、ニニギとコノハナサクヤヒメやイワナガヒメとの出会い、ニニギの息子の山幸彦と豊玉姫(竜宮の姫)の出会いなど異界との関係図でもあり、異界への対応の仕方である。

 果たして、古代日本人は、異界をどう捉え、それにどう対応してきたのか。

 そして、どう捉え、どう対応することが、世の平安につながると考えられたのか。

 出雲大社は、国譲りの交換条件として、自分を祀る神殿を建てて欲しいという大国主命の願いに応えたものとされる。

 京都を代表する上賀茂神社もまた、欽明天皇の時代(539~571年)、国中が天災に見舞われた時、その原因が賀茂大神の祟りということで、その祟りを鎮めるために作られた。

 天満宮、出雲系の神社、保食神諏訪神社など、日本の神社は、祟りを起こす可能性のある側の神様が圧倒的に多い。

 菅原道眞、崇徳上皇平将門など祟り神を鎮めて守り神に転換させることは、日本の神道では、当たり前のことである。

 神社は、八百万神を祀る聖域というより、祟り、邪霊、鬼などを封じたり祓ったり鎮めるため、もしくは、その力を利用するための装置ではないかと思うほどだ。

 イザナギが、黄泉の国から逃げ帰って一番最初に行なったことが禊であるように、日本人の信仰のなかで、祓い清めはとても大事なことであり、祓い清めるというのは、日本人の異界との付き合い方の特徴である。

 異界のものを決して敵とはみなさず、マレビトとして敬意をもって受け入れるが、不用心に、ということではない。異界のものとの境界は、その見極めのために重要であり、一夜妻となる巫女が、その境界において大切な役割を果たしていた。時には犠牲となって。

 日本の信仰の元型には、そうした境界における巫女のふるまいや心の持ちようが重なっている。

 東京オリンピック誘致合戦の時に、「おもてなし」という言葉が日本を象徴するものだと宣伝された。

 おもてなしは、外からやってくる人に対して親切に対応するという単純なことではない。

 源氏物語には、「もてなす」という言葉が何度か出てくる。

 「胸あらはに、ぼうぞくなるもてなしなり」 空蝉の帖

 「少納言がもてなし、心もとなき所なう」  葵の帖

 「世の例にもなりぬべき御もてなしなり」  桐壺の帖

 

 日本のおもてなしの原点は、神に対する心構えであり、それは、神という目に見えぬものに対して心を配ること、敬意を祓い、感謝すること。

 そうした心構えは、人に気づかれなくても目に見えないところにまで気を使う、という美徳となった。それが、茶道など日本文化の真髄となり、一流とされるサービス業での「おもてなし」の基本となるが、それは、誰かの目ではなく、神の目に等しいものを意識するということだろう。

 それは、見返りなど一切考えていない振る舞いである。

 だから、神社での祈りは、基本的に個人的な願い事はせず、見返りを期待せず、感謝の心を伝えるものだ。

 しかし、直接的な見返りは期待しないものの、相手の喜びや幸福を知り、自分たちも喜び、幸福を分かち合えるという境地がある。

 怨霊においても、その魂をしっかりと供養し、怨霊の苦しみを取り除けば、結果的に自分達も幸せになれる。

 そういう意味で、神道というのは、深い意味で、「おもてなし」の信仰であり、だから、神話のなかでも、大王(おおきみ)をもてなす女性の物語や、饗応の物語がとても多い。 

 神道が日本の古代から現在まで大切につないできて、日本文化の中に反映されているものは、形あるものの背後、目に見えないもの、異界に対する心構えや振る舞いだろう。

  神道は、自然崇拝というより、自然に限らず人間の振る舞いも含んだ森羅万象において、形あるものの背後に宿るものに心をこめて向き合う精神とも言える。

 

 何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる  西行

 

 

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