ジョニーデップが製作・主演の「 MINAMATA」が、京都でも観られる。
この時代に、改めて水俣のことに注目がいくことは、大事なことかもしれない。 しかし、私は、風の旅人の誌面で、ユージンスミスの写真は、日立関係のもの(高度経済成長下の日本人)を編集したことがあるが、水俣の写真は違和感を感じてできなかった。
水俣の特集では、石牟礼道子さんのロングインタビューが軸になっていたので、ユージンスミスの写真よりも、桑原史成さんの写真の方が石牟礼さんの言葉と響くものがあった。
なぜだろう? やはり、ユージンスミスの写真って、絵画的というか、ドラマチック。決して、恣意的にやっているわけではないけど、それでもやはり写真を撮る前に、すでにメッセージが用意されていて、その上で、どう撮るか、となっているような。 それが合う現場もあるし、そうすることで、微妙で複雑で大切なことが見えにくくなってしまう場合もある。
桑原史成さんの写真は、作家の頭の中にあるメッセージよりも、水俣の人々の自然の在り方が、より濃く感じられた。
何が違うかというと、ユージンスミスの写真の中の人々は、「MINAMATA」の記号というか象徴になっているという印象。
それに比べて桑原さんの写真の人々は、妙な味がある。どんな環境でも、必死に生活している人たちには、独特の味わいがあり、違いがあり、個性がある。
石牟礼さんの文章が胸に応えるのも、メッセージの強さではなく、個々の人間の味わい深さが、並大抵ではないからで、だからこそ、その生命が蝕まれる悲劇が、ズシンと腹の底に残る。自分の身体の一部になったように。
ユージンスミスじたいは、非常に人間臭い人なので、この違いは、西欧文化と日本文化の視覚表現の違いに基づくものかもしれない。明晰なものを追求する西欧と、含みを大事にする日本。
そんなユージンスミスが、水俣にやってくる10年前に日本の若い写真家に衝撃を受けて、大きな影響を受けた。それが、森永純。
森永純が撮っていた東京のヘドロに埋まったドブ川の写真の美しさに、ユージンスミスは戦慄し、号泣したと、自分で文章を残している。そして、森永純をアシスタントにして、日本中を旅した。まさに、それが、ユージンスミスと日本の魂の邂逅だろう。 ユージンスミスが日本人のことを強く意識し始めたのは、太平洋戦争であり、その時、ユージンは、日本兵の自己犠牲的な精神に驚かされた。天皇陛下万歳を唱えて潔く死んでいく日本人。
そして、戦後、写真の扱いをめぐってLIFE誌と決裂してしまい、お金を稼ぐ仕事のために日立の会社案内の写真を撮ることとなって来日したユージンスミスは、日立の工場で働く人たちに、太平洋戦争の時の日本兵の姿を見た。
日本人とは何なのだ? なぜそこまで自分を捨てられるのか?
ユージンスミスは、森永純のドブ川の写真に原爆の光景を見た。そして、森永純が、長崎市出身で原爆によって父と姉を失ったことを知り、自分の直感が正しかったことを確認した。しかし、森永純は、原爆とドブ川の関係をまったく意識できていなかった。ユージンは、そのことでさらに驚いた。そして、意識していないことが、森永純のあの凄みのある世界を作り出しているのだろうと悟った。
ユージンスミスにとって、色々な意味で、自分とはまったく異なるものとの出会い。 その森永純は、ドブ川の後、30年以上、波の写真しか撮らなかった。日本社会が、激しく変化していく時代、森永純は、表層的な変化には、まったく興味が持てず、人付き合いも悪かったし、写真界からも距離を置いていた。酒も飲めない人だったし。 そんな森永純の晩年、彼と頻繁に会っていた私は、病に陥っていた彼がそれまで撮り続けていた波の写真を、写真集という形にしなければならないと思っていたが、彼は、あと4枚ほど必要だ、凍っていく瞬間の波を撮りたいなどと言いながら、渋っていた。 とりあえず私が組んでみて、それで不足していると思うなら時期を待ちましょうと言って、波の写真を全部持ち帰り、編集して、彼に見せた。
彼は、「大丈夫みたいだね」と言い、写真集にすることに同意した。
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写真集が完成した後、森永純は、すぐに亡くなってしまったが、ユージンスミスと森永純の出会いにしても、一瞬の閃光のような奇跡的なタイミングでの出会いに、人間の生の証は凝縮していると思わざるを得ない。
一枚の写真というのは、そういう奇跡を定着させる力がある。
ユージンスミスが撮ったMINAMATAの写真の中の人々は、象徴化されすぎて、撮られた人たちに戸惑いもあったことは十分に想像できるが、その写真は個人を超えて、聖画のように、神話のように、人間と歴史の証として後世に伝えられていくことは間違いないだろう。
人によって、90年生きる人もいるし、若くして亡くなる人もいる。
寿命が長くなって、人々は、たくさんの楽しみや喜びを経験することを望むが、たった一つの邂逅で、それで十分と思わせてくれるものもある。