第1180回 映画MINAMATAー正義と真理の隔たり

 ここ数日、映画MINAMATAについて、あまりにも無防備に絶賛する人が多すぎるので、私なりに感じる問題点を書いてきたけれど、これを最後とする。

 この映画は、「事実に基づくフィクションである」という中途半端な逃げで、悪の集団役としてチッソ株式会社は具体的に実名で示し、ユージンスミスをはじめ実在の人物を多く登場させ、正義の論理とヒーローの活躍を明確にするため、フィクションだという正当化で事実を単純化して改竄を加えた。そのために誰かを欺いたりするのなら、地名や名前も変え、完全にフィクションでやるべきだった。

 そうでないと、水俣の問題から遠い人は、エンターテイメントとして楽しみ、水俣病の人に同情し、チッソ株式会社を憎み、ユージンスミスやアイリーンスミスを賞賛するだけですむが、水俣のため!という大義名分のもと、映画に登場させられることで傷つけられる人もいるし、映画の外の出来事も、水俣の人々に悲しみや失望を感じさせてしまう。

 今年の2月にアメリカで公開予定だったMINAMATAの映画が、俳優兼プロデューサーとして参加しているジョニー・デップのDV疑惑が理由で、公開未定になっている。

 この映画は、水俣ではなくセルビアモンテネグロで撮影が行われており、日本でのロケは一切行われていないのだが、水俣市での上映会においても、前回の記事で書いたように、水俣市は、後援できないと回答した。

 2020年2月21日にベルリン国際映画祭で「MINAMATA―ミナマタ―」が上映された後も、入浴シーンの智子さんの写真使用における、ご遺族の承諾の問題が浮かび上がっていて、配給への不安の声もあった。

 ふつうならば、映画を観たら、その映画の感想だけ述べればすむのだけれど、この映画は、どうしても、それだけではすまない、という気持ちが強くある。

 ユージン・スミスの写真表現にも深い影響を与えた森永純の晩年、彼と深く関わっていて、彼を通してユージン・スミスのことを知っていたからでもある。

 そして、何より、この映画が、「正義」の論調で作られていることが、一番、心に引っかかることだった。

 MINAMATAに関するインタビューの中でデップはこう語っている。

「(水俣に)関心を持つ者として、水俣病に関する知識を深めていくうちに、この歴史は語りつがなければならないと思いました。いかなる場合でも、メディア、映画、その他の表現方法を使った芸術の持つ力を上手く活用すれば、過去の出来事も現在進行形の状況も、人々に伝え、そして関心をもってもらうことは可能です」「少しで多くの人々が、今まで全く知らずにいた事実に、興味を持ったり、関心を持ったりするきっかけになればと思います」(パンフレットより)

 そして、このジョニーデップの言葉をもとに、MINAMATAの映画を絶賛する人は、「この映画は、水俣の根源・本質を的確に捉え、観る者に明確な“メッセージ”を伝える、強烈なインパクトをもった映画であり、史実と異なる様々な改竄は、この映画の主題から見れば枝葉のことである。」と言い放つ。

 ジョニーデップや映画MINAMATAの賛同者にとっての「水俣の根源・本質」は、「企業の利潤追求のために多くの民衆が犠牲にされること」とされ、企業の背後に隠れている「行政」の問題には、まったく思いが馳せられていない。

 水俣の問題の根源・本質は、単なる企業の利潤追求ではなく、国策の問題が絡んでいる。

 「国策」は、政府が、国民の生活のために行っている大規模な施策であり、利権問題は、そこに派生する。

 現在、時々ニュースが流れてくる新疆ウイグル自治区の暴力においても、30年くらい前までは砂漠の不毛地にすぎなかった場所が、石油の発見と開発、そのための漢民族の植民などによって、地域環境が急速に変貌していったことが背景にある。

 私は、30年前から20年前、シルクロードの旅が好きで、新疆ウイグル自治区を頻繁に訪れ、その変貌を目にしていた。世界第二位の大きさを誇るタクラマカン砂漠を南北に横切る400kmのハイウェイが作られ、砂嵐でハイウェイが埋まってしまわないように、人海戦術で、道の周辺に大規模な植林が行われている光景には驚かされた。

 私は、ガイドも知らなかった完成直後のその道の光景を見た最初の外国人だと思うが、これだけの労力を注ぎ込んだのは、石油のためという国策であり、その国策の大義名分が、現在まで続いている。もとからその土地に暮らしていたウィグル族が、過去からの営みの決別を迫られる犠牲者となり、凄まじい暴力にさらされている。

 高度経済成長時代の水俣病の問題も、福島原子力発電所の事故も、国策が関わっている甚大な犠牲だ。そして、近年は、新たにメガソーラーの問題が発生している。

 熱海で起きた土石流について、ニュースでは盛り土のことばかりが伝えられるが、地元の友人の話では、周辺の大規模な太陽光発電パネルの設置が関係しているということだ。日本は平地が少なく、太陽光発電パネルは、山の斜面に設置せざるを得ない。山の斜面の木材が大規模に伐採されるので、大雨が降った時にどうなるか想像できるだろう。

 土石流が起きた人災の背後にも、国策があるのだ。静岡県は積極的にメガソーラーを推進しているが、原発被害のあった福島だって同じことが起こっている。住民と開発業者の対立が起きているが、開発業者を補助金で支援しているのが行政であり、だから利権の問題が出てくる。

 行政の担当者は住民の声に耳を傾けているポーズをとり、心の中では開発に反対であっても、立場として、開発業者の味方にならざるを得ない。水俣の問題と同じである。

 水俣原発太陽光発電も同じで、国民全ての今の暮らしにつながっている。

 しかし、それをまったく意識させない「表現」と「情報伝達」が多すぎる。だから、国民は、口では「酷いことが起きているなあ」と言いながらも、心の中では割と気軽に、それらの表現や情報に触れることができる。自分の問題にしなくてもすむからだ。

 MINAMATAの映画は、現在も稼働中のチッソの工場で働く人たちを悪人集団として描き、行政の姿をまったく出さない。観る人の心に、憎い存在としてのチッソを植え付けるだけである。フィクションと言いながら、実名であからさまにして。

 こういう映画を無邪気に絶賛する人たちは、自分たちの暮らしと、その悲劇を切り離して観ているからにすぎない。

 そして、映画MINAMATAの賛同者は、福島原発事故を題材にした「Fukushima 50」は気に入らない映画のようだ。なぜなら、彼らにとって悪人であるはずの東電社員が、困難の中で戦うヒーローのように描かれているから。

 正義は、彼らの側ではなく、こちらの側であるという原理主義の戦いが、この20年、世界中を覆い尽くした。この20年の戦争は、かつての戦争と少し異なる様相を帯びており、権益のことを前面に出さず、理念にすりかえて伝えられて説得される。

 フセイン大量破壊兵器を隠し持っているから、イラクは攻撃されなければならないのである、という具合に。

 そして、本質的な問題というのは、その大義名分によって正義を主張する側が「自分は正しい側」だと自らを正当化して、自らが行っている非道さに無自覚な傲慢者になるところにある。悪は、利権に群がる政治家や経営者だけでなく、正義の傲慢さのなかにも潜んでいる。

 映画MINAMATAは、自分たちがかってに作り上げた英雄物語のために、ヒーローとヒロインの設定が必要で、メインのユージン・スミスだけでなくアイリーン・スミスにもスポットライトを当てているが、その改竄は、目に余るものがある。

 映画の中で、酒浸りのユージン・スミス水俣のことを伝えて水俣行きを決断させ、カムバックさせる役回りのアイリーン・スミスは、歴史を変えたかのように映画に登場する入浴シーンの写真においても、構図を作り、チッソの暴力によって負傷して手が使えないユージン・スミスの代わりにシャッターを押すが、この写真が実際に撮られたのは1971年12月であり、ユージン・スミスが暴力によって重症を負うのは1972年1月7日である。この写真を撮った時のユージン・スミスは、怪我などしてはいないのだ。

 また、ユージンスミスに水俣行きを提示したのは、第1178回でも詳しく書いたが、アイリーン・スミスではない。その時、アイリーン・スミスは、ユージンのアシスタントとして既に同居していた。酒浸りの主人公を立ち直らせたかのような描写は、まったく作り物である。ユージン・スミス水俣行きにしても、元村和彦とか森永純といった、アイリーン・スミスよりも以前から魂の交流があった人物との関係があったからこそなのだが、それらのユージンにとって重要な人物は抹消されている。

 そもそも、映画づくりにおいて、国策のことまで思いが至らないほどの事前調査であり、アイリーン・スミスが、映画監督やジョニー・デップに語らなければ、隠されてしまうことが、山ほどある。

 正義を声高に主張する側の人は、英雄気分になり、その酔いによって、他の誰かの人権を踏みにじることが平気でできてしまう、ということは、歴史でも頻繁に起こっている。

 1960年代から1970年代にかけての大学紛争の時もそうだった。

 また、中近東やアフリカというアメリカから遠い国々で、大統領の熱い演説に酔いしれたアメリカ国民の支持のもと、住民を巻き込んだ攻撃が数多く行われた。

 そして、「一枚の写真が、国家を動かすこともある」というキャッチフレーズで、人権を守ることを看板に掲げていた「DAYS JAPANという雑誌の編集長であり発行人であった広河隆一氏の女性への性暴力が明るみに出たのが、2018年12月だった。

 もしも、現在も「DAYS JAPAN」が残っていれば、おそらく「MINAMATA」の映画を軸に特集を組むだろう。

 2015年12月には、広河隆一の活動を英雄的に伝える「広河隆一 人間の戦場」というドキュメンタリー映画がリリースされ、広河氏はこの映画に出演していたが、あの性暴力が明るみに出なければ、広河氏は、「MINAMATA」でジョニー・デップ演じるユージンスミスと自分を重ねていたのではないか。

 私が、MINAMATAの映画について、しつこく言葉を連ねている理由も、このDAYS JAPANと、映画MINAMATAの正義の共通性を感じるからだ。

 私が作っていた「風の旅人」と、DAYS JAPANは、ほぼ同じ時期に、同じくらいの期間、グラフィックを重要視する雑誌媒体として存在していた。

 DAYS JAPANが、「一枚の写真が、国家を動かすこともある」と、自らの正義が真実への道とみなしていたのに対して、風の旅人が掲げていたテーマは、「FIND THE ROOT」で、物事の根元、その本質を求めることを方針とし、それが真実への道と考えていた。

 私は、DAYS JAPANの創刊前に、広河隆一から相談を受けて、創刊準備のために協力し、かなりのエネルギーを割いた。私が、風の旅人を創刊していなかったら、広河隆一も、あのタイミングでDAYS JAPANを創刊していなかった。

 広河隆一は、1988年に講談社から創刊された「DAYS JAPAN」に、創刊号から廃刊となる1990年1月号までの発行に携わった。

 この雑誌は、広告満載で、環境問題、社会問題、そしてライフスタイル、ゴシップ系の記事も含めて伝えていた。

 広告収入も1億円を超えていたそうだが、1989年11月号の特集記事で、アグネス・チャンの講演料の額が誤っていたことが判明して1990年1月号に謝罪記事を掲載し、同号で廃刊するという何とも奇妙な足跡を辿った。

 私と出会った当時、広河隆一は、この講談社DAYS JAPANを復活させることが宿願だった。自らの写真や記事を掲載する媒体としても。

 しかし、その頃、雑誌の廃刊は相次ぎ、新しい本格的な雑誌を創刊するなど不可能だと、誰しもが思っていた。そのような状況で、私が、2003年4月に「風の旅人」を創刊していたので、その年の冬、広河隆一氏から、その仕組みを聞かれた。

 実は、当時、デジタル化による革命が進んでおり、その2,3年前と比べて、印刷コストも5分の1ほどになっていたし、ネット技術で、事務や編集部員なども最小人数化、海外ともメール連絡、プロモーションのネット活用など、新しい方法で雑誌の制作と運営が可能になる段階だった。

 かつての講談社のDAYS JAPANと異なるやり方で実現可能な方法を、私なりに伝えて、2004年の春、広河隆一DAYS JAPANは始まった。

 広河氏は、その創刊に合わせて、講談社DAYS JAPANの編集長だった土屋右二氏に声をかけて一緒に作っていくことになり、彼を取締役にした。

 その土屋右二氏は、「広河君のことは同志だと思っていた」と言いながら、広河隆一氏の女性への性的暴力が明るみになった時、取締役でありながら、いち早く、DAYS JAPANから逃げた。事後対応の大変さや、取締役として損害賠償の対象になる可能性もあり、燃える船から真っ先に飛び降りたのだ。取締役が、彼と広河隆一と、同じく創刊からデザイナーをつとめていた川島進氏の三人だけなのに。けっきょく、残された川島氏が、会社の解散まで代表取締役をつとめ、矢面に立った。

 私は、DAYS JAPANの創刊前、広河氏が声をかけた時の土屋氏の逃げの対応と、DAYS JAPANが、無事に船出できそうになってからの変わり身をよく知っているので、船が沈没する直前の彼の動きも、とくに驚きはなかった。

 DAYS JAPANは、著名な賛同者の名前を巻末にずらりと並べて権威づけをはかりながら、「正しいことをやっている」雑誌として、世の中に知られるようになり、DAYS国際フォトジャーナリズム大賞という冠を掲げた賞も設定し、その価値基準の主になっていった。

 私が2002年の秋に「風の旅人」を創刊を決意したのは、2011年9.11アメリカ合衆国のテロの後、一方の「正しさ」と、もう一方の「正しさ」が、憎み合いながら泥沼の戦いに陥っていく「正義」の現実に対して、まったく違うアプローチで、物事の本質をや根元に横たわる大切なことを示していく必要性を感じたからだった。水俣の問題でいうと、石牟礼道子さんの「苦海浄土」が、私にとってのprincipleだった。

 しかし、この表現方法は、大きな声による正義の論調と異なり、受け手側にも、それなりの準備(魂の修練)が必要のため、一挙に広がっていくものではない。日頃、本をまったく読まない人にとって、「苦海浄土」を読み通すことが苦痛なのと同じ。

 それでも風の旅人を50号まで発行し続けたのは、「ふだんは本はあまり読まなかったけれど、風の旅人を見て、涙が止まらなかった」とか、「一週間、夜通し、ページを開き続けた」という声を、時々いただけたからだ。そういう人は、ご自身や家族の病気、そのほかの人生の苦難を背負っているケースが多かった。

 正義の旗を掲げる「DAYS  JAPAN」が、2010年 に 日本写真家協会賞を受賞するなど、陽の当たるところの花だったのに対して、風の旅人は、写真界の賞などは無縁の日陰の花だった。しかし、風の旅人に掲載されている写真や文章の方が、DAYS JAPANよりも本質に迫っているという自負と矜持はあったので、軸がブレることはなかった。

 今回の「MINAMATA」の映画において、いろいろとこだわって書いてきたのは、DAYS JAPANとの関係で、「正義」の論調が信じるに値しないものだと感じざるを得なかったことと、MINAMATAの映画の欺瞞のシーンに、共通点があるからだ。

 それは、MINAMATAの映画の中のハイライトになっている入浴シーンの写真のことだ。この写真の使用は、智子さんのご両親の心を無視したものであった。

 大宅賞を受賞し、水俣に関する本も出した石井妙子氏が、この入浴シーンの写真の使用について述べている。智子さんのご両親がこの写真を世間に公開しないで欲しいと願い、アイリーンスミス氏が誓約書まで書いていたにも関わらず、それを裏切り、アイリーンスミス氏がハリウッド側に許可を出して事後承諾でご両親に伝えたという内容だ。

 私は、DAYS JAPANの創刊の頃、様々な形で協力している時、広河隆一氏からセバスチャン・サルガドの連絡先を教えて欲しいと頼まれ、それを伝えた。その時、私は、サルガドの特集ページを準備していて、そのうちの一枚を、ポスターにも使用していた。風の旅人は、写真の再現性にも徹底的にこだわっていたので、印刷などに時間をかけており、一冊ごとの制作準備が長い雑誌だった。 

 それに対してDAYS JAPANは、ニュース性を重んじるので、企画から発行までの間が短く、DAYS JAPANにおけるサルガドの写真の紹介(連載ということで、毎号、たしか1、2枚ずつ)が、風の旅人の掲載より早くなることはわかっていた。風の旅人は24ページほどの大特集であり、ポスターにも使っている写真なので、この一枚だけは、DAYS JAPANの連載で使うにしても、風の旅人での発表後にしてくれるようにと伝え、彼は同意したように見えた(人間関係がもとになっているので、誓約書などを書くほどのことではなかった)。

 しかし、私の意に反して、彼は、この写真を、連載の一番最初にもってきた。そのため、風の旅人での紹介より早くなってしまった。それに対する彼の言い分は、「これがサルガドの写真の中で、自分が一番好きな写真で、だから一番最初にしたかった」だった。

 正義のためにやっていることだから、そのために必要だと思ったことをやるのは当然で、あなたとの約束は二の次だ、という心理が透けて見えた。

 この広河隆一の対応と、MINAMATAの映画における入浴シーンの写真の使用について、アイリーン・スミスが、智子さんのご両親との約束を無視した経緯と似たものを感じる。

 この事があったのは、DAYS JAPANの創刊後すぐだったが、それ以来、私は、DAYS JAPANの制作には一切関わらないようにした。

 だから後になって、広河隆一氏の女性への性暴力のニュースが明るみに出た時も、周りの写真関係者が受けた衝撃は私にはなかった。もちろん、彼の性暴力のことはいっさい知らなかったけれど、その性暴力は、傲慢さの裏返しだろうと想像できたからだ。事実、そうだった。広河氏には性暴力の自覚はなく、若い女性たちが自分に憧れ、自分に好意を持っていたからそうなったにすぎないと釈明した。

 正義の論調には、実は、空疎な虚栄心がひそんでいることが多い。

 自分が正しいこと、立派なことをしていると自分でも思いたいし、人にもそう思ってもらいたい。その裏返しの心理は、自分の存在感に対する不安であることが多い。

 誰しも存在の不安がある。しかし、その不安を取り除くための道として、「正義」と「真理」は、別のところにあるのだが、正義へのアプローチの方が、真理へのアプローチに比べて努力のハードルが低い。何の準備もなく、明日からでも始められる。誰かの政治メッセージをコピペして、自分の SNSに貼り付けるだけでも、正義の行動に参加できるからだ。

 「真理」は、そうはいかない。誰かのメッセージをコピペした時点で、それは真理ではなく、インチキである。

 その表現を受けとる側にとっても、正義の方が真理よりもハードルが低い。政治メッセージをシェアしていくだけでも、それに参加できるのだから。

 だから、真理への道よりも正義への道に向かう人の方が多くなる。深く考えたり悩んだりすることもなく。その結果、様々な矛盾が生まれる。

 「正義」と「真理」を同じものだと思っている人が多すぎることが、一番の問題なのだ。

 「正義」と「真理」の隔たりは、一般的に思われているより、はるかに大きい。

 「真理」は、わかりやすい行動指針や解決策ではなく、ごまかしや偽りの反対ということだ。

 偽りなく自分の思いを述べたり、偽りなく自分の思いを何らかの表現物に昇華させることは、誰かのメッセージのコピペと比べて、それなりの修練が必要になる。

 また、「心の中では開発には反対なんですけど、立場的にそう言えないのです」という言葉や、表面的な関係を保つための心にもない同意。人間社会を生きていくうえで、心の中を偽らないということは、とても難しい。

 偽らないことは難しいのだけれど、世の中の様々な問題は、その偽りが寄せ集まったものによって起きているという自覚も必要だろう。

 表現で心を打つものは、人を偽りと向き合わせ、時には、人を懺悔させる場合もあるし、赦されて救いとなる場合もある。

 だから、表現者は、偽りやごまかしが表現に入り込むことがないよう、信念と用心深さを簡単に手放してはいけない。

 

 

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