第1182回 桑原史成さんの水俣の写真から伝わってくる、正義よりも本当のことを伝える思い。

桑原史成さんの水俣に関する写真展が開かれている。

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/whatsnew/9-15%EF%BD%9E10-16-%E6%A1%91%E5%8E%9F%E5%8F%B2%E6%88%90%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B1%95%E3%80%8Cminamata%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC%EF%BC%81/

大勢の人にぜひ観てもらいたいし、映画MINAMATAを観た人には、とくに観てもらいたいです。

 桑原さんの写真は、水俣が取り返しのつかない悲しい出来事であることを伝えるとともに、絶望的な修羅の中でも人間は、強靭な魂の力によって希望を見出すことが可能だということが伝わってきて、胸が熱くなる。

 その水俣の人々の顔は、薄汚れた社会で”暮らしの満喫”と”しあわせ”を装う私たちの顔よりも、はるかに気高くて、人間味溢れるものだ。人は誰でも死んでいくのだけれど、その人が作った業績よりも、その人が作った”顔”や、”たたずまい”こそが、人の記憶に残っていく。

 私は、桑原さんが、50年以上、水俣を撮り続けてきた写真のなかで、2011年に、上村好男さんを撮ったものが、もっとも深く心に刻まれている。

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 この写真は、1977年に桑原さんが撮った一枚の写真を手にする35年後の上村さんです。

 宝子ちゃん(上村智子さん)が成人式で晴れ着を着て、上村さんに抱かれ、上村さんに笑顔を見せているもの。この写真の若き日の上村さんの表情も人間味溢れて素晴らしいが、35年後の顔が、さらに素晴らしい。苦難をくぐり抜けてきた人間の顔は、ここまで人間味溢れ、美しいのかと感嘆する。

 こういう顔と、現代の政治家の、口を歪めて目元が濁り、誰が見てもいかがわしさを感じずにいられない”顔”を見比べる時、人間の本当の幸福というのは、こうした”顔”に表れるのではないかと思わされる。

 傍目にどんな恵まれた境遇にいようが、顔の表情が歪んでいるのは、内面が不幸せということであり、修羅を経験しようが、もしかしたら内面は幸福なのかもしれない。

「ハリウッドが水俣の映画を作ってくれてよかった、世界中の人に知ってもらえてよかった」などと、相変わらずの欧米文化に媚びた発言もあるが、桑原さんの表現の方法は、日本古来のものだと思う。対象を自分の都合で料理する自己表現ではなく、他者の内面(目には見えにくいもの)を尊重し、その内面を浮かび上がらせる表現。

 そして、修羅の状態を、これでもかと見せるのでなく、修羅を通して、人間の救いを見出す姿勢。こういう日本の心構えこそを、世界中の人に知ってもらいたい。世界中の公害問題の一つとしてシンボル化し、勧善懲悪の英雄物語にするのではなく。

 誰しも、病に陥ったり、職を失ったり、身内の不幸に直面したりすることがあるが、水俣という極限の修羅のなかでさえ、人間は、人間性を失わず、このように崇高な境地に至れると感じさせる表現は、人間の救いに通じていると思う。

 そして、この写真展に足を運べない人は、ぜひ、この本を観ていただきたい。

https://www.fujiwara-shoten-store.jp/SHOP/9784894349247.html?fbclid=IwAR1CgeHUcKyLiZPEKo3bkMjPR5f2p9lNvitQJsrmDYf2V-5xc2dEZZLN348

水俣の人が生理的に水俣病を語りたくない」という水俣の複雑な事情が深く掘り下げられている。

 そして、何よりも、桑原さんが50年以上撮り続けた写真が素晴らしい。

 映画「MINAMATAのなかでは、水俣病の被害者も、加害者のチッソも、そこに登場する人々は、ただのアイコンなので、みんな同じ顔になっている。

 しかし、実際はそうではなく、水俣の人、一人ひとりに異なった顔の表情があることが、桑原さんの写真からは、よく伝わってくる。

 そして、私が一番感銘を受けるのは、水俣病に蝕まれた人の周りの家族の顔の表情が、なんとも素晴らしく、人間味溢れていること。

 映画「MINAMATA」のなかの上村好男さん像が、一面的な作り物であることがよくわかる。あんな、苦悩を背負いこんでいる表情で象徴化される典型的な顔ではなく、極限の修羅の中での、人間性あふれる上村好男さんの本当の顔。

 そして、お母さんと宝子ちゃんの関係、宝子ちゃんの妹弟との距離感。家の中の様子、何よりも、桑原史成さんと上村さんの信頼関係があるからだろうが、それらの写真の自然さが素晴らしい。そこにいるはずの写真家の存在が、ほとんど意識されない、上村さんの家族の日常がそこにある。 

 映画「MINAMATA」は、同じ宝子ちゃんを撮るにしても、撮る側のことが、いやらしいほど強調されている。

 あの入浴シーン、アイリーン・スミスが、宝子ちゃんの手や足を動かして、絵になるようにポーズを作り、手を負傷したユージン・スミスに代わって、アイリーン・スミスがシャッターを切るのだ。(ユージン・スミスが負傷するのは、この撮影より後のことなのに、負傷を負ったにも関わらず写真を手放さないユージンと、アイリンーン・スミスがいなければ、この写真は無かったとする捏造)。

 写真は、時に、暴力となる。撮影するという言葉は、英語では、shoot 、すなわち、銃を撃つのと同じである。

 私は、このshootの写真が嫌いで、風の旅人では、できるだけshootを感じない写真を選択して、掲載してきた。

 shootを感じない写真というのは、桑原さんが撮った宝子ちゃんや、その家族の写真のように、撮影者が、自分の気配を消し去っているような写真だ。被写体とのあいだに、そうした距離感を作り上げるためには、信頼感を育むための時間が必要になる。

 その時はじめて、写真は、撮影者のエゴの目ではなく、神の目のようになる。

 この下の2カットは、桑原史成さんが撮り続けた宝子ちゃんと、上村家の写真の一部で、藤原書店が発行した「水俣事件」THE MINAMATADISASTER」からの複写ですので、画像がよくないです。(桑原さん、複写写真をアップして申し訳ないです。) 

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宝子ちゃんと、上村良子さんと、妹。「姉ちゃんは、寝るばっかしやもんねえ」1960年7月

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上村良男さんと宝子ちゃん。

 映画「MINAMATA」の中では、上村家は、水俣病悲劇のアイコンだった。

 しかし、実際の上村家には、暮らしの息吹がある。桑原さんは、その息吹を撮り続けていた。

 これらの写真を見るだけでも、上村さん御夫婦が、どれだけ宝子ちゃんを慈しんでいたかわかるし、部外者の我々が見ても、愛しいものを感じる。そして、だからこそ、哀しい。

「こん子は、私の宝子です。私のからだから水銀ば吸い取ってくれたおかげで、あとの六人の妹弟たちは元気だし、私の症状も軽くすんどるです」と言う上村良子さんの気持ちは、とても伝わってくる。

  私のかってな想像ですが、上村さん御夫婦が、あのユージン・スミスが撮った入浴シーンの写真を世間に公表しないでほしいと願ったのは、宝子ちゃんがアイコン化され、政治的な道具になってしまったからだと思います。

 自分の子供が重い病を患っているご両親なら、その気持ちはわかるはずです。そのご両親にとって、ああいうアイコン化が喜ばしいものなのか、こうした桑原さんの撮ってくれた写真の方が、救いになるのか? 

 しばらくは、あのアイコン化の写真が世間に出ることを承知していたのは、上村さんが、自分の家族のことだけでなく、水俣病で苦しむ人全員の気持ちに立って、少しでもお役に立てるのならばという気持ちだったからではないでしょうか。

 しかし、智子さんが亡くなって時間も経ち、そろそろ智子ちゃんにその役割を終えさせてあげてほしいという思いがあって、世間への公開を止めてほしいと、アイリーン・スミス氏に依頼したのではないでしょうか。ごく一部の事情のよくわからない人が言っているように、入浴写真だから公開をためらっているとか、そんな了見の狭い考えからではないと思います。

 そうした上村さんに対して、アイリーン・スミス氏は、誓約書まで書いて公開しないことを約束していた。

 なのに、このMINAMATAの映画では、その約束を破り、ハリウッド側に写真の使用を許可した。上村さんには事後報告になった。このあたりの経緯は、第52回大宅賞を受賞した石井妙子氏が、詳しく書いている。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87864?imp=0

 石井妙子氏は、アイリーン・スミス氏に配慮するような文体でありながら、「このことについてアイリーン・スミス氏が説明をするというのでそれを待ちたい」とまで書いて、世間にこのことを公表しているわけですが、おそらく、個人的な気持ちだけで、そこまでのことを書いているのではないでしょう。

 石井氏は、最近、水俣に関する本を出されているので、水俣の現地で丁寧な取材を行っており、現地の人の中から、この問題点が指摘されたのではないでしょうか。石井さんが、現地の人の複雑な内面心理の代弁者になっているように私は思えてなりません。

 宝子さんのご両親は、修羅をくぐり抜けておられるので、そうした約束破りに関しても、受容されることでしょう。しかし、そうした上村さんを知っている周りの方で、きちんとした説明を求める人がいても不思議ではありません。

 かってな推測で書くのはいけないことですが、あの一枚の写真を劇的に使うことで演出効果を高め、チッソで働く人々を悪人集団にしてしまうことによる、水俣の中での分裂と軋轢に、気軽に映画を観て、感動したり、楽しんだり、ちょっとタメになったと思う人は、想像力が向きません。

 藤原書店が発行した「水俣事件」のなかで、熊本放送にてテレビドキュメンタリー「記者たちの水俣病」を制作した水俣出身の村上雅通さんが、このように書いています。

 

水俣の人は生理的に、水俣病を語りたくないんですよ。」という桑原史成さんの言葉が、私の気持ちを代弁してくれた。

 私の父は、チッソの下請け鉄工所につとめ、母親が経営する洋装店の客の9割はチッソの従業員やその家族だった。我が家の経済は、まさに、チッソに支えられていた。(中略)

 認定患者への補償金の支払いで、チッソの経営は厳しい状況に追い込まれ、比例するかのように、水俣の景気は落ち込んでいった。父の鉄工所への発注や、母の洋装店の客は減り続けた。その一方で病気の多発地区には水俣病御殿が建てられていった。(中略)

 しかし、自らの思いを吐露することはしなかった。公の場ではもちろん、家族の間でさえ水俣病、患者の悪口は封印してしまった。どう擁護しても、チッソの責任は揺るぎないものだったからだ。(中略)

 両親や親族からの情報を元に取材対象者を探した。しかし、取材に応じてくれた人はほんのわずかだった。水俣病の認定申請をした父親を叱責し、自殺に追い込んでしまったチッソ下請け会社の従業員、親族から認定患者が出たため退職を余儀なくされたチッソ社員。補償金を巡りいがみ合う兄弟。私が無視してきた故郷の現実が、次々と浮上した。

・・・ 以上は、本の中からごく一部の抜粋だけれど(本当は、こういう抜粋の仕方もよくないことはわかっていますが、文脈を歪めないように抜粋しました)、映画「MINAMATA」というのは、水俣の中のごく一部の人の話をもとに作られた、一方的な正義の映画であるという事実を、無視してはならないと思う。

 「ジョニーデップという有名俳優の熱演で娯楽としても楽しめて、水俣のことも知ってもらえる映画」なんて軽いノリに、安易に追従してはいけないと思う。

 

 

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