第1183回 映画MINAMATAが隠してしまった本当のこと

 MINAMATAの映画について、辛口の意見はあまりないようで、孤独を感じながらも、もう十分に書き切ったと思っていた。

 しかし、映画ライターが「ユージンを演じるジョニー・デップが素晴らしい。酒浸りになっていたユージンが水俣の現実を知り、再び報道写真家として立ち上がる姿を、まさに、そこにただ存在するといった感じの自然さで演じている。」と書いているのを目にして、やはり、もう少しだけきちんと書いておきたい。

 映画ライターという職業がどんなものかは知らないが、映画を観た”印象”だけを書けばいい職業なのだろうか。何の下調べも、学習もせずに。そうした無責任な言葉が、インターネットというお手軽な情報発信ツールによって拡散し、それらの情報に無防備に踊らされる人がいるとすれば、情報の発信者も受け手も、いまだにコマーシャリズム全盛時代の体質に、どっぷりと浸かったままということになる。

 映画ライターが、映画の感想だけなく、ユージンスミスのことについて言及するのならば、ユージンスミスの本当のことを少しくらい学習して記事を書くのが、プロの責任だろう。

 MINAMATAの映画は、「事実に基づくフィクションである」と掲げているが、ユージンスミスに関するストーリーは、嘘ばかりである。

 この映画の作り手にとっての事実とは、水俣病という深刻な病があったということだけ。そして、その事実の解釈は、国策の問題(行政責任=国民責任)には一切触れず、企業が自らの利潤のために住民に被害を与えた、という非常に視野の狭い認識によるもの。

  なので、この映画は、断片的事実と、底の浅い解釈を、多くの人に知らせるだけで、あとは嘘の物語をつなげて、人をワクワクドキドキさせればいいという発想で作られている。なにせエンターテイメントだから。

  水俣病は確かに事実として起きたが、その解釈については、作り手側は、あまりにも学習が足らず、視野が狭すぎる。(これについては、すでにこれまでのブログで書いた)。そして、ユージンスミスのストーリーはデタラメである、ということを、鑑賞者は知っておいた方がいい。

  写真の仕事に挫折して酒浸りになったユージンスミスが、アイリーンスミスから水俣の現実を知らされて、報道写真家としての魂を取り戻すストーリーは、真っ赤な嘘です。信じないでください。

  ユージンは、もともと日本の漁村の写真を撮りたかった。 

 1961年に日立製作所の会社案内の写真撮影のために来日したユージンは、日本人に深く興味を持ち、日本中を旅して撮影活動を行う。その時、森永純のドブ川の写真と出会って衝撃を受け、写真家としても影響を受けた。その話は、ブログで詳しく書いた。  https://kazetabi.hatenablog.com/entry/2021/10/05/155615 

 そして、森永純と日本各地をまわって、写真集『JAPAN … A CHAPTER OF IMAGE』を完成させる。

  その後、ユージンスミスは、アメリカに戻り、森永さんもユージンの誘いを受けて渡米する。

  森永さんから聞いた話では、ユージンは、日立の取材の後も、日本を引き続き取材したいと思っていた。そして、できるならば、日本の漁村をテーマにしたいと考えていた。

  そして、森永純さんは、ユージン・スミスに、邑元社の元村和彦さんを紹介する。元村さんは、後に、森永純さんのドブ川の写真集「河ー累影」を出版した人。

  1970年秋、ニューヨークでユージンスミスと会った時、元村さんは、ユージンが日本の漁村に興味があると森永さんから聞いていたので、日本で起きている水俣病のことをユージン・スミスに伝えた。

 その話に強い関心を示したユージン・スミスは、日本で展覧会が開催されるならば、その時に日本に行き、そこで水俣の写真を撮りたい意思を元村さんに伝えます。

  それに対して、元村さんは、ロバート・フランクを紹介してもらえるのならば、日本でのユージン・スミスの写真展開催の努力をするとユージンスミスに返答します。

  元村さんは、ロバート・フランクの写真集を出すのが念願でした。というのは、ロバートフランクはアメリカで出版された『THE AMERICANS』が酷評を受けたことが原因で写真から遠ざかり、当時、映画制作に没頭していたのです。

 ユージンスミスの紹介でロバート・フランクと会った元村さんは、ロバートフランクの傑作写真集、『The Lines Of My Hand』(邦題『私の手の詩』)を発行しますが、これは、ロバートフランクも驚かせるほど質の高い写真集で、アメリカでも発行され、ロバートフランクを写真家として復活させました。これが縁となり、元村さんと、ロバート・フランクの友人関係は、生涯にわたって続きます。

 1970年前後、ユージン・スミス、森永純、元村和彦、ロバート・フランクという魂の深い繋がりが、その後の写真界にも、大きな影響を与えていくわけです。

 ユージンスミスが酒浸りで、写真の仕事に無関心になっていたかのような映画「MINAMATA」の描写は、事実とかけ離れています。

  そして、元村さんは、ユージン・スミスとの約束を果たすため、帰国後、展覧会開催に向けて奔走し、森永純さんも協力し、1971年9月、「真実こそわが友」(小田急百貨店他)の実現にこぎつけました。

 ユージン・スミスは妻でありアシスタントのアイリーン・スミスを伴って、展覧会に合わせ来日し、展覧会期間中に、初めて水俣を訪れました。

  これが、ユージンスミスと水俣がつながる流れです。

  ユージンスミスは、日本の漁村をテーマに撮影活動を行いたかった。これが真実です。 

 酒浸りになって写真も撮れなくなって、太平洋戦争の後、日本に関わりたくないというユージンの姿が、映画の最初に出てきますが、なんで、あんな偽りのユージンスミス像が作られたのか、不思議でなりません。水俣に行く前に、日本を取材して、『JAPAN … A CHAPTER OF IMAGE』という写真集まで出しているのに。

 ユージンスミスが日本の漁村を撮りたかったのは、日立製作所の仕事のついでに日本各地をまわって、写真集『JAPAN … A CHAPTER OF IMAGE』へとイメージを結晶化させていく際、日本の漁村の人たちに特に心惹かれるものがあったからです。

  その事実が念頭になければ、ユージンスミスと水俣の関係への理解が遠くなってしまう。ユージンは、決して、政治的な動機で、水俣に関わったわけではないのです。

 なので、映画の冒頭シーン、日本行きのことを提案された時、太平洋戦争の苦い思い出みたいなものがフラッシュバックのように出てくるというのは、ユージンスミスにとって本当のことではなく、日本の田舎、とくに漁村の美しい風景が脳裏によぎるのが本当でしょう。

 日本の漁村に残っていた古き良き日本人の優しさ、穏やかさ、過酷な環境の中で生きる逞しさ、それはまさに水俣を舞台にした石牟礼道子さんの文学世界で描かれているもので、桑原史成さんの水俣の写真にも写っている世界です。

 ユージン・スミスが、水俣の取材に没頭していったのは、かねてから自分が憧憬を抱くように思い描いていた日本の漁村の古き良き世界が、深刻な汚染で損なわれているという現実に直面し、そのことに対する痛みが、心を支配したからでしょう。(この部分は、私の想像です) 

 ユージン・スミス水俣行きには、こうした経緯があるにもかかわらず、MINAMATAの映画は、最初から嘘で始まり、あとの筋書きも、本当ではないことが続きます。

 ユージン・スミスが病院に潜入して科学的証拠を探し、チッソの社長に賄賂を示され、仕事場が燃やされ、といった展開は、全て嘘のストーリー。かってな創作です。

  そして、チッソへの抗議活動によってユージン・スミスは負傷し、手が使えなくなって、映画のハイライトの宝子さんの入浴シーンの撮影となります。

 そこにいたるプロセスもひどいもので、抗議運動で負傷したユージン・スミスが、チッソの陰謀と戦う決意をして、水俣の人々に対して、家の中での撮影を許可してもらえないかと問い、承諾する人に手を挙げさせます。そして、そこにいる人が、次々と手をあげていきます。

 このシーンは、チッソという悪人集団と戦う手段として写真を撮るという大義名分のため、その戦いに参加してくれるかどうか、水俣の人に踏み絵を行なっているのです。 人の暮らしの中に入って撮影する写真家なら、あり得ないと思うでしょう。手を挙げてくれた人の家に行って、シャッターを押すだけで、いい写真が撮れるはずがありません。人と人の関係性をしっかりと築いてこそ、素晴らしい写真が生まれるはずです。

 だから、宝子さんの入浴シーンも、おかしな展開になります。

 映画MINAMATAの中では、傑作写真を生むために、アイリーンスミスが、宝子さんの手足を動かしたりして、絵になるようなポーズを作っていくわけです。

 桑原史成さんが行なっていたように、宝子さんの本当を撮るために、じっくりと時間をかけて、その瞬間を待つのではなく、MINAMATAの映画のユージン・スミスは、意図的に絵を作っています。

 ユージンスミスの撮影現場を見たことはありませんが、ドキュメント写真家当人には、けっこう恥ずかしい暴露シーンだと思います。

 さらに欺瞞が続きます。このシーン、チッソへの抗議運動の最中に負傷して手が使えないユージンの代わりに、呆れたことに、アイリーン・スミスがシャッターを押しています。

 ユージンが抗議活動で負傷するのは、本当は、この入浴写真の撮影よりも、後のことなのに。(この写真が実際に撮られたのは1971年12月、ユージン・スミスが暴力によって重症を負うのは1972年1月7日)

 ジョニーデップ演じる偽のユージン・スミスは、アイリーン・スミスが動かしていく宝子さんの様子を見て、うん、そこでいい、と判断し、アイリーン・スミスにシャッターに押させる。広告写真のためのスタジオでのモデル写真みたいに。

 報道写真への冒涜とも言えるシーン。

 映画MINAMATAは、これが、あの傑作写真の舞台裏だとしている。その、変てこりんなやりとりを演じるジョニー・デップが、ユージン・スミスそのものだと絶賛されている。笑えない話です。

 けっきょく、ユージンに関しては、最初から最後まで本当のことはどこにもない。なのに、ジョニーデップの演技がユージンスミスそのもの、と高評価を得ている。

  ユージンスミスの本当の姿から遠い筋書きで作られた映画だから、ジョニーデップは、その偽の筋書きのユージンスミスを演じているだけであり、いったい何がリアルなのか、何を信じていいのか、さっぱりわからなくなる。

  何も知らない人は、そういうことを気にせずに楽しめるということになるのかもしれないが、それだと、ユージンスミスの魂も浮かばれないんじゃないだろうか。

  酒浸りの状態から、アイリーンスミスの誘いで水俣に行き、ユージンスミスが写真家として復活し、ユージンスミスの水俣の写真が生まれたのではない。

  水俣に来る前から日本の漁村をテーマに写真活動をしたいと思っていたユージンスミスは、写真家としての魂は、当然ながら持ち続けていた。そして、森永純のドブ川の写真が、芸術(美に向き合う)と報道(時代に向き合う)の融合の一つの頂点と考えていた。  日本の漁村と、水俣病という近代の修羅と、そして美を融合させたのが、ユージンスミスの水俣の写真なのだと私は思う。

  ジョニーデップの演技は、酒を飲むシーンは似せることができても、ユージンスミスの写真家としての精神を真似できているとは、とてもじゃないけど思えない。  

 フィクションなんだから仕方がないと、軽い気持ちで言う人がいるけれど、真に迫ったフィクション以外は、すべて、ただの娯楽であり、わけ知った顔で教養めいたことを口にすることほど、底の浅いものはない。

 とりわけ、水俣病という、複雑で、深刻な問題を題材にするのならば。

  正義よりも大切なことは、本当のことをないがしろにしないこと。

  この精神が欠けた作り手の表現に、無防備に酔わされてはいけない。洗脳とは、無知につけ込んだ心理操作だと思う。

 

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