第1178回 映画「MINAMATA」について、ユージン・スミスは、どう思うだろう?

「私は、男は泣かないということを承知しているが、私は泣いた。同室のものから顔をそむけ、涙と嗚咽を抑えるのに精一杯だった。私を深く感動させる写真、私の人生を変えてしまう写真は数少ない。森永純の写真はその二つを併せ持っていた。」                           

                             ユージン・スミス 

 

 水俣の問題について、深く考えてきた表現者は日本にもたくさんいる。そんな人々にとって、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を超えるものを見出すことは難しく、少しでもそこに近づこうと努力している。

 日本人の映画関係者のあいだで、水俣の映画化の話が持ち上がれば、必ず、『苦海浄土』を読むことになるだろう。そして、苦海浄土に匹敵する映像世界を作り上げることの困難を知る。

 日本人の表現者水俣の問題と向き合って映画を作ろうとすると、相当な覚悟がいるし、膨大な時間が必要になる。近代日本のあらゆる問題が、そこに凝縮しているからだ。 単純な勧善懲悪の物語に仕立て上げることなどできない。

  ハリウッド映画の「 MINAMATA」は、そうした覚悟が必要ないし、時間もかけない。これは、収益と支出のバランスが厳密に考え抜かれた商業映画であり、どうすれば売れるか、マーケティングがしっかりと練られている。

 ハリウッド映画において、観る人を気持ちよく感想させる常套手段が、ヒーローの設定と、勧善懲悪である。

 今回、そのヒーローの役回りを、写真家のユージン・スミスと、アイリーン・スミス(1971年8月から1975年5月までのユージンの妻)が担うことになった。

 その筋書きを作るために、ユージン・スミスはこの世のいないので、映画監督は、アイリーン・スミスの話をじっくりと聞き、彼女の手引きで、水俣の特定の人たちに会って話を聞いた。俳優のジョニー・デップも、アイリーン・スミスと会って話を聞いた。

 この時点で勧善懲悪のストーリーが描ければ、それ以上の調査は特に必要ない。だから、当然ながら「MINAMATA」の映画は一面的で偏ったものになる。ハリウッドからすれば、それで良いのだ。水俣の問題は、あくまでも対岸の火事にすぎない。

 そして、映画「MINAMATA」において考えるべき重要なポイントは、もう一つあり、それは、この映画の主人公に祭り上げられたユージン・スミスが、この映画の作り方に対して納得できるのだろうか? という問いだ。

 前回の記事で書いたが、この映画のハイライトになった智子さんの入浴シーンが、智子さんのご両親の気持ちを無視し、事前に許可をとらず、事後報告になったことも含めて。ユージン・スミスは、自分の人間性の描かれ方については、それほどのこだわりはないかもしれないが、表現に関しては、決して譲れないものがあるはずだ。

 ユージン・スミスというのは、1960年の前、表現に対する信念で、当時、写真家にとってもっとも華やかな発表の舞台であった「LIFE」と決別した人物であり、表現の真実に対する彼のこだわりは、世渡りを優先してしまう常人には理解できないだろう。

 MINAMATAの映画では、酒浸りになっていたユージン・スミスが、アイリーン・スミスに教えられた水俣の問題に関わっていくことで真摯な人間に生まれ変わり、チッソという悪徳企業に果敢に戦いを挑むヒーローとして描かれる。

 この最初の部分からして事実と違っており、実際は、1970年、ユージンと親交のあった元村和彦が、ニューヨークでユージンと会い、水俣病の取材をすることを提案した。

 当時、アイリーン・スミスは、ユージンのアシスタントとして既に同居していた。

  元村和彦は、後に触れるが、ユージン・スミスに影響を与えた写真家、森永純の「河ー累影」の写真集を制作した邑元舎の代表であり、ユージン・スミスと森永純、そして元村和彦は、表現における魂の領域で、深いつながりがあった。

 元村さんは、森永純からユージンスミスが日本の漁村をテーマに取材をしたいと聞いていたので、ユージンスミスに水俣のことを伝えたのだった。

 さらにMINAMATAの映画では、日本の水俣の取材を持ちかけられたユージンが太平洋戦争の記憶があって日本に行くことを渋るシーンとなるが、これも大きく違っている。

 ユージン・スミスは、太平洋戦争の時、天皇陛下万歳!と叫び、惜しげも無く自らの生命を投げ捨てる日本人の姿に驚いた。

 そして、水俣に来る10年前、写真の扱いを巡ってLIFE誌と決別して仕事を失っていたユージン・スミスは、お金の必要性と、太平洋戦争の時に気になっていた日本という国への興味もあって、日立の会社案内のための写真を撮るという仕事を受けて、日本にやってきた。

 そして、日立の工場で働く社員を見て、太平洋戦争の時と同じ衝撃を受けた。

 組織のために自己を捨てることを潔しとする日本人の姿に、日本人は、なぜそういうことができるのか? 自己の権利への主張が強いアメリカ社会の中にいるユージン・スミスにとっては驚くべきことで、彼は、日本をよく知るため、日立の担当者の制止を無視して、日本各地を旅して取材する。

 1960年代前半、その日本で、ユージン・スミスは、森永純という若い写真家の写真に出会い、衝撃を受ける。

 それは、ヘドロに埋まった東京のドブ川の写真だった。悪臭漂うドブ川に、森永純は、顔を突っ込むほどの距離で、毎日、向き合い続けていた。

 しかし、その写真は、公害問題を世に訴える観念的なものではなかった。

 森永純は長崎で生まれ育ち、長崎に落とされた原爆で父と姉と家を失った。自分は疎開していて助かったが、終戦後、疎開先から家に戻ってきた時、そこには空っぽの光景が、真夏の光に晒されて、白々しく存在していた。

 森永純は、直接的に原爆の放射能を浴びたわけではない。だから、意識的に、原爆を念頭に写真を撮ったりはしていなかった。

 彼の写真家人生において作品集としてまとめられたものは、東京のヘドロに埋もれたドブ川と、宇宙の旋律のような波だけである。

 ユージン・スミス水俣で撮った写真のなかにも、森永純のドブ川の写真の影響を感じさせるものがある。

 これまでの一連の記事でも書いたが、「MINAMATA」という映画は、水俣問題を材料にして、ユージン・スミスやアイリーン・スミスを、ヒーローにする映画となった。

 アイリーン・スミス氏から聞いた話をエッセンスにして組み立てられた映画だから、そうなることは当然だし、そこを否定しても何にもならない。

 問題は、ユージン・スミスという魂の表現者が、この映画をどう判断するかだ?

 ヒーローのように扱われてご満悦なのか、この映画で行われた「表現行為」に対して、嘆いているのか。

 ユージン・スミスというのは、報道写真と芸術写真を融合させたものを目指していた写真家であった。

 しかし、おそらく彼の念頭にある芸術性は、MINAMATAの映画の入浴シーンで、アイリーン・スミスが、智子さんの手や足を動かしてポーズを作っていったような、見栄えの良い、人々の心に印象に残る絵作りをすることではなかったはずだ。

 おそらくユージン・スミスは、報道写真と芸術写真が融合された一つの頂点を、森永純のドブ川の写真に見出していた。

 

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森永純 「河」 風の旅人 34号より

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 以下は、ユージン・スミスが森永純について述べた言葉である。

 

 森永純は、私にとってエキサイティングな写真家である。彼のビジョンにしばしば用いられる素材は、われわれ多数にとってはアンスペクタルで地味なものであるが、しかし、それが彼の手を経て写真に表現されると、比類のない彼独特の生命の神秘を息吹かせるところの心理ドラマとなってくる。(中略)

 

 ここに収められている写真には現実の人間はまったく登場しない。しかし私には、われわれの時代のさまざまな怨念の底流が、これらの写真の中に執拗に渦巻いているように思われる。彼はこれらの情緒的に衝きあげてくるものを大体において静けさの中に込めたイメージとして形成する。それらを感受するには、鑑賞者は伝統的な認識のいかなる狭隘さも打破らねばならない。もしも鑑賞者が森永純独特の稀有な芸術的領域に旅するに値すると思うなら、自らの心の柵を解き、こだわりなく彼の写真に心を委ねなければならない。それは努力に値するひとつの経験である。(中略)

 

 私の純の写真に対する最初の出会いは、1961年である。(中略)それは一時間にも満たない眠りを過ごした朝の仕事のはじめであったので、写真を見ることは思っただけでも嫌だった。うんざりして、内心憤慨しながらも、おとなしく座ってそれを見始めた。

 汚物と泥の渾然としたイメージ。私が見たつもりのものはこれだった。私は、私自身に対して憤然と唸りの声を挙げた。だが、それらのイメージから脱けきらないうちに、この汚物や泥、草や、廃棄物や毀れ物の破片のイメージに深く捲き込まれてしまった。私は、ひとつのイメージの中の無数のイメージ、それぞれの中にひそむ感動的な力に慄然とした。

 私は、男は泣かないということを承知しているが、私は泣いた。同室のものから顔をそむけ、涙と嗚咽を抑えるのに精一杯だった。私を深く感動させる写真、私の人生を変えてしまう写真は数少ない。森永純の写真はその二つを併せ持っていた。(中略)

 

 彼は表現していながら、それを自覚しているとは信じられないある領域がある。それは原爆に関してのことである。そのようなミステリーはあくまでもあなた自身が解答を出すべきであり、さもなければ、あなた自身を全く煩わせるべきではない。(中略)

 

 純が私と働きはじめて何ヶ月も経った時のこと、彼は床に座り、私たちは対話を試みた。

 彼は語った。「あなたは師匠です。私の写真はどうすればよくなりますか?」。 私は、私の誠実さのすべてをもって答えた。「君のやっていることにおいては君が師匠だ。私は、ただ、君ほどの写真が自分にも撮れたらと思うよ。

 

             W・ユージン・スミス。(森永純写真集 河ー累影より)

 

 この文章を、ユージン・スミスが書いたのは1974年8月のこと。

 西武百貨店池袋店行われたユージン・スミスの写真展「水俣 生―その神聖と冒涜」が開催されたのは、その前年の4月。そして、ニューヨークで「MINAMATA」の写真集が発行されるのが1975年5月。

 つまり、上記の森永純について文章を書いているユージン・スミスは、水俣に深く関わっている時のユージン・スミスと同じ魂の持ち主である。

 ユージン・スミスが文章を寄せている森永純の写真集「河ー累影」は、高度経済成長に浮かれる時代に発行され、商売にならないことは目に見えていた。

 この本を作ったのが、元村和彦(邑元舎主宰)であり、彼こそが、ユージン・スミスに、水俣の取材を勧めたのだ。

 元村さんは、晩年の2012年頃、この「河ー累影」の在庫を売り切るために、リュックに積めて、ギャラリー等をまわっていた。30年以上も在庫を抱えたままというのも驚くべきことだが、たまたま私が、森永純の波の写真集を作るために、森永さんの家から30年撮りためた写真をリュックに積めて、御茶ノ水経由で帰ろうとした時に立ち寄ったギャラリーに、「河ー累影」が並んでいて、驚いた。しかも、当時は手に入らない写真集で、ヤフオクなどでも10万円ほどの高額で取引されていたのに、定価で売られていた。どういうことなのかとギャラリーの人に聞くと、さきほど元村さんが来て、置いていったとのこと。

 私はすぐに購入して、以前からこの写真集を欲しがっていた作家の田口ランディさんに送った。

 *田口ランディさんは、今年の9月、「水俣 天地への祈り」という本を上梓している。映画「MINAMATA」とはまったく異なるアプローチで、”水俣のこと”を伝えている。

 アイリーン・スミスが、ユージン・スミス水俣行きのきっかけとなり、あの感動的な入浴シーンにおいても重要な役割を果たしているように描かれている「MINAMATA」の映画は、映画の制作側が、本当のことを知っていながら、あのように脚色したのか、アイリーン・スミスの話を聞いて、そうなってしまったのかはわからないが、フィクションだからといって改竄してしまっていいという問題ではない。

 なぜなら、ユージンにとっての水俣は、上に述べたように、森永純や、森永純を正しく評価していた元村和彦との魂のリレーによるものだからだ。ユージンスミスが森永純と出会っていなかったら、そして元村和彦さんが、水俣行きを提案していなかったら、ユージンスミスの水俣における写真はなかった。

 こうした魂のリレーは、宣伝活動によって全世界に広まるハリウッド映画の伝播力はないが、細い糸でも途切れることなく続いていく。

 森永純の存在を私に教えてくれたのは、ユージン・スミス水俣の取材を始める1971年に松岡正剛さんが立ち上げた「遊」(工作舎)という雑誌の編集に創刊当時から携わり、私が会った時には工作舎の専務だった田辺 澄江さんだった。

 田辺さんのご主人で写真家の岡田正人さんが、2006年、癌で亡くなった時、生前に親しかった松岡正剛さん達が協力して、彼の写真展を開いた。

 というのは、岡田さんは、1970年代後半から東京湾埋立地夢の島」のゴミ集積地で、舞踏家の田中泯さんと一緒に30年以上にわたって写真を撮り続けていたが、未発表だったからだ。誰かに見てもらうとか、どこかに発表するという意識を持たずに、壮絶な祈りの行為として、ゴミの山の中で田中泯さんが舞踏を行い、岡田さんが、それを撮影するという行為をひたすら続けて、岡田さんは亡くなったのだ。

 たまたま立ち寄った新宿の写真展会場で、それらの写真を見た私は衝撃を受け、その場にいた田辺澄子さんに、風の旅人第33号での掲載を申し出た。

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夢の島 撮影:岡田正人 風の旅人 第33号より

 幸いに、田辺さんは風の旅人のことをよく知っておられ、承諾をいただき、写真を預かるためにご自宅を訪問することになった。

 その時、田辺さんから、森永純の「河ー累影」を進呈したいと言われた。

 夢の島で写真を撮り続けていた岡田正人さんは、森永純の大ファンで、「河ー累影」の写真集を2冊所有していた。そして、一冊は、ボロボロになるまで毎日のように見て、もう1冊は、新品の状態で保持していた。

 田辺さんは、岡田さんが毎日のように眺め、ボロボロになった一冊は自分の手元に置くのでと、新品の状態の方を私に持ち帰るように促した。私は、少し手にとってカバーを見ただけで戦慄し、(岡田さんの遺品ということもあり)、本から立ち上る念が本当に怖くてお断りしたのだが、どうしてもと押し切られるように持ち帰ることになった。

 そして、自然の流れで、森永純さんに連絡をすることになり、風の旅人の第34号、35号、38号で森永さんの写真を紹介し、その後も、頻繁に会って話をすることになり、森永さんが病に倒れた時も、病院やリハビリセンターで交流を続け、彼が30年間、撮り続けていた波の写真集を「WAVE〜All things change〜」という形で作ることになった。

 

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 おそらく、田辺さんが、あの時、私に森永純の「河ー累影」を持ち帰らせなかったら、私は、森永純という写真家の存在にも気づかず(彼は、波の写真だけを撮り続けて、写真界とは無縁の存在になっていたし、誰も、どんな活動をしているのか知らなかった)、森永純が生きているあいだに、「WAVE」という写真集が、世の中に出ることはなかった。森永さんから、ユージン・スミスのことを聞く機会もなかっただろう。

 魂のリレーというのは、確実に存在し、時を超えて続いていく。

 水俣のことにおいては、石牟礼道子さんの文学作品が、そうした魂のリレーに大きく関与していることを、その魂のリレーの中にいる人は、リアルに感じているだろう。

 「MINAMATA」という映画が、魂のリレーの産物なのかどうかはわからないが、これを観た人が、「水俣のことを世界に知らせることにおいて意義がある」とか、他人事のように言っているだけでは、魂のリレーはつながらないだろう。

 それこそ自分自身が、魂をこめて何かに取り組んだり意見を発することをしなければ、そこで途絶える。

 直接、水俣のことでなくても、魂のリレーというものは、魂をこめてつなげる人がいるかぎり、細い糸かもしれないが、どこまでも形を変えてつながっていく。

 ユージン・スミスも、森永純も、元村和彦もこの世からいなくなった今、事実が変えられても、誰もわからなくなった。

 しかし、事実というのは、そういう宿命から逃れられず、誰が伝えるかによって違ってしまうものだと認識しておくべきだ。偉い学者さんが言っているからといって、鵜呑みにしてはいけない。

 それに対して、魂のこもった表現というのは、上に述べた石牟礼道子さんの「苦海浄土」にしてもそうだが、簡単に他のものに置き換えることができない。

 ユージン・スミスは、そのことを明瞭にわかっていたと思う。

 「Let truth be the prejudice」というユージンスミスの言葉について、「すべての人間がなんらかの偏見を持っている。せめてこれを真実に近づけたい」といった風に訳されることがあるが、これだと意味が足りない。

 人間は、純粋に客観的であることなどできず、先入観を持ってしまうのは仕方がない。それでも大切なのは、fair(公平)でありhonest(正直)であると、ユージンスミスが常日頃から口にしていたと、アイリーンスミスも語っている。

 なので、この文章のtruth というのは、神様の真理ではなく、fair(公平)でありhonest(正直)なスタンスで目撃した事実ということになるだろう。

 fair(公平)でありhonest(正直)な目でつかんだことを、自分の確信(偏見)にして、ストーリーを組み上げていく。人間ができることは、それが精一杯だ。

 しかし、私たちが生きている世界は、正義の戦争のように、嘘の事実が作り出され、それがメディアを通じて国民に知らされて国民の偏見となり、戦争を推進する政府を支持してしまうということが頻繁に起きる。(イスラム諸国への偏見など)。

  偏見というのは、(意図的に)組み立てられたストーリーということでもある。

 「Let truth be the prejudice」「真実を偏見にしよう」という、ユージンスミスの謎めいた言葉は、シンプルに、まずは公平さと正直さによって事実を見極め、それからストーリーを(意図的に)組み立てようと言っている。

 嘘とアンフェアな視点から組み立てたストーリーに支配されてしまってはいけない

 米国が2003年のイラク攻撃を正当化する根拠とした大量破壊兵器に関する情報を提供した科学者が、サダム・フセイン大統領(当時)を失脚させるために嘘をついたことを後になって認めた。

 MINAMATAという映画も、最初に結論があり、結論に向かって盛り上げていくストーリーが組み立てられ、観る人の心を誘導するため、事実が意図的に変更されている。

 水俣の真実というのは、果たしてシンプルな勧善懲悪で導かれる解答なのか?

 そうでないからこそ、石牟礼道子さんの文学があり、杉本栄子さんや緒方正人さんという語り部が、その真実に近づくため、魂の言葉を紡ぎ続けていた。

 MINAMATAの映画は、そこまで深く水俣の真実に近づけているかどうかわからないのに、ユージンスミスの水俣行きのきっかけ、ユージンスミスがチッソの社長に買収されるところ、彼の仕事場が燃やされるシーン、科学的証拠を見つけるために病院に潜入するシーンなど、すべて嘘のストーリーが組み立てられている。これらは、娯楽映画に必要な正義のヒーローを盛り立てるための演出にすぎず、ここでのヒーローは、ユージンスミスと、アイリーンスミスである。

 ユージン・スミスという誰よりも真実を追求した表現者が、これを観て、どう思うのか? 

 このことは、表現者の魂に関わる重要な問題である。

 

 

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