数年前に他界されたのだけれど、信濃大町に、槙野文平さんという気骨ある家具職人がいて、信濃大町で開催されている原始感覚美術祭で現地を訪れた時、何度かお会いして、ご自宅で長時間、お話をすることがあった。
槙野さんは、若い時から、白洲正子さんに目をかけられていた。槙野さんの作る椅子が、白洲正子さんの美意識にかなっていたからだ。
私も、槙野さんの椅子に魅了された。
一番のポイントは、使われている木材が、作り手の都合で加工されておらず、それぞれの持ち味が引き出されて組み合わされていること。
槙野さん曰く、「最高の木を買うこと。山まで行って選んだ。ほれぼれするような鎮守の森のナラや、30年以上前に製材したトチ。長さ5m、幅1m以上。毎年10人がかりでひっくり返して慎重に乾燥させた。」
今では手に入りにくくなってしまった木。それらを使わせていただくという感覚で、槙野さんは、木に耳を傾けながら作っていた。
機械をほとんど使わず、丸刃の手斧やノミで、手に伝わる感覚を大事にしながら削ったり、組み上げていく。
これは、宮大工の仕事と共通する感覚。
その後、富士山の麓に暮らす写真家の大山行男さんが自分の手で作り上げたドームハウスに、槙野さんの椅子に非常に似たものが三脚あることに気づいた。
聞けば、信濃大町の友人の家具職人から買ったものだと言う。
買ったというより、その友人が自分の作った椅子を持ってきて、いくらでもいいから買ってくれと言って置いていったそうな。
槙野さんが作る椅子は、一脚が30万円以上して、そう簡単に買えるものではない。
大山さんの家にあった椅子が、あまりにも槙野さんの椅子に似ていて、信濃大町ということだから、当人かと思ったけれど、違っていた。
でも椅子から伝わってくる物作りの精神には共通するところがある。槙野さんは、家具作りを他者から教わっていないので、もしかしたら、槙野さんの影響を受けた人が作ったものかもしれない。
大山さんは、写真への情熱の方が計り知れないので、これらの椅子にそれほど思い入れを持っていなかったようで、いつも、家の端っこの方に、機材や工具を置く台のような使われ方をしていて、私は、大山さんのところに行くたびに、「もったいないよ、せっかくのいいものを」と言っていた。
もう何十年も前のものなので、オイルも剥がれ、埃にまみれ、白々しくなってしまっていた。
それが、このたび、大山さんの新生活の始まりに向けて、家の内装を変え、家具も新調することになり、これらの椅子三脚がお役御免ということになった。
私にプレゼントすると言ってくれたので、取りにいった。私の心のなかでは、三脚のうち、どれがいいかなくらいの感覚で、自分の車で行ったので、その一脚でも、けっこう大きいのでトランクに入るだろうかと少し心配しながら富士山に向けて車を走らせた。
すると、「三脚とも持っていってくれ」ということなり、驚いたが、なんとか、うまく脚が重なるように押し込んだところ、三脚とも車に入った。
そして家に持ち帰って、オイル引きをしたら、生まれ変わった。
何十年も経って、人に座ってもらうという本来の役割に、戻った。
釘などを使っていないけれど、頑丈で、これから何十年、私がこの世からいなくなっても、しかるべき人の手に渡れば、役割を果たし続けていくだろう。
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