人工環境の中の野生

Img_3721


 この写真は、小説家の丸山健二さんが、自宅の庭の写真を撮ったもの。このたび、次号のロングインタビューのため、信濃大町の丸山さんの自宅に行った。丸山さんは、20年近く、小説を書くのと同じ情熱を庭作りに注ぎ込んでいて、素晴らしい庭をつくりあげている。その花々は、今では貴重な野生の薔薇をはじめ、野生種と園芸種なのだが、その調和が素晴らしい。薔薇は病気にかかりやすいとか虫がつきやすいと思われているが、それは人間が品種改良をし続けて薔薇であり、野生の薔薇は、そうではない。松もそうだけど、松食い虫に簡単にやられてしまうのは、人間が海岸線などに植林した松で、もともとの松は、峻険な山々の崖っぷちなど厳しい環境で生きていた。それらの野生の松は強い生命力があり、松食い虫にやられにくい。
 薔薇も松も人間もそうだけれど、過保護の状態で、生命力を低下させ、病気にかかりやすく、虫もつきやすくなっているだけのこと。
 ならば野生の薔薇は、放っておいても簡単に育てることができるのではないかと丸山さんに問うと、それは野生環境の中での話で、庭というのは既に人工的環境になってしまっているので、その中で野生状態のように放ったらかしにしていたら、育たないそうだ。

 何回も失敗しながら、ようやく、そのコツを掴んでいく。

 丸山さんは、庭作りについて、次のように言う。

「私が追い求めてやまない庭というのは、私がめざしてやまない小説といっしょで、現実と想像、地味と派手、抑制と浮揚、安らぎとときめき、混乱と秩序、野生種と園芸種、そうしたテーマのちょうど境目にある、紙のように薄いぎりぎりの狭間に存在してい
る」。丸山健二 




 人工的な環境で、品種改良をした薔薇を育てるためには様々なマニュアルがあるが、野生の薔薇を育てるマニュアルはない。人間もまた、人工的環境の中で品種改良されたような官僚的人間を作るマニュアルはあるが、人工的な環境の中で野生状態を保ちながら健やかに育てることは簡単ではない。しかし、今もっとも大事なことは、そういうことだと思う。なぜなら、本来の生命力は野生に根ざしたものであり、その野生の感覚を取り戻さないかぎり、生命の歓びもわからないから。
 人工的環境の中で、いかに野生の感覚を取り戻していくか。それこそが、私達にとって、株価やデフレ対策より重要で、一人ひとりが、マニュアルのないところで体当たりで取り組んでいくべき課題だと思う。子供達の未来のことを考えると、なおさらだ。株価があがったり、物価があがったところで、けっきょく官僚的な壁の中でストレスをためて、時々憂さばらしをするだけで、生きる歓びとか手応えをまったく感じられない人生を過ごすだけで、我々は何のために生きているのかという問題は、ずっと棚上げにし続けているのだから。
 
 復刊2号、オンラインで販売を始めました。
 http://www.kazetabi.jp/