前方がまったく見えないほどの大雨のなか、京都から東京に移動したけれど、その直前、先日、亀岡で行ったフィールドワーク・ワークショップで訪れたところを、もう一度、個人的にまわって撮影してきた。
あらためて個人的にまわっていると、亀岡って、緑が美しいところで、歴史が何層にも積み重なっていることが、よりいっそうわかる。
8月末は、東京エリアでフィールドワーク・ワークショップを行いますが、7月の京都開催の時と同じくきっと猛暑のはずだけれど、すでに両日ともキャンセル待ち。敢えて暑い時に参加というのは、みなさん、それだけエネルギーがあるのでしょう。前回も、バテている人はいなかったし。
もう少し涼しくなる9月27日(土)と28日(日)の京都開催は、これまた歴史が何層にも積み重なっている石清水八幡あたりから京田辺をめぐります。
私が導くところは、どこも、けっして観光名所ではなくて、ヒストリーがなければ、もしかしたら、何も思わず通り過ぎてしまうようなところかもしれない。
でも日本の歴史性って、そういうものです。
今の政治状況もそうなりつつあるのだけれど、だいたいにおいて、声高に主張しているようなことは、からくりがあり、はかりごとの世界です。
本当のことは、耳をすまし、目を凝らさないと、気付かないし、わからない。
情報の受け手側が、アンテナを鍛えていないと、詐欺師の思う壺。
耳障りのよい言葉、理解するために努力する必要のない言葉、わかったつもりになりやすい言葉、共感しやすい言葉というのは、簡単に多くの人の心に侵入してしまいますが、それは、なぜでしょう?
おそらく、そういった言葉は、自分が知りたいことだけを知りたい、自分が信じたいことだけを信じていたい、という自己防衛意識が強い人の心の隙間に入り込みやすいからではないでしょうか。
だから、人を操ろうとする人たち、カリスマ的な存在になりたい人たち、人気者になりたい人たちは、そうした言葉を多用するのです。
この関係性は、共感という絆で力強いものになりやすいのだけれど、視野が狭くなりやすく、アンテナが退化しやすい関係でもあり、結果的に排他的にもなりやすい。
その逆に、自分の無知や無力を感じさせられるものに触れていることが大事だという”本能”を維持し続けている人もいます。この本能は、自分が退化することこそが、自分の生存の危機であることを知っている。
自分が共感できるかどうかよりも、(自分や社会が)退化してしまうかどうかの方に、意識を強くもっている。
実年齢とは関係なく、前者の心が老いであり、いくら年齢を重ねていても、後者の人は心が若くて、柔軟性がある。
つまり老いというのは頑迷につながりやすく、頑迷者が多数になった社会は、かなり不健康なものになる。
若くて健康な時は、新陳代謝が盛ん。古い角質が肌にへばりつくことはない。
新陳代謝が衰え、古い角質が肌にへばりつくようになると、肌の機能も衰え、潤いがなくなる。これが退化への道。
脳細胞も、肌細胞と同じ。さらに社会を構成する細胞が一人ひとりの人間なのだから、企業や官僚や政治や社会のメカニズムも同じ。
参政党など新しい政党の躍進が、政界の新陳代謝だと信じている人が多いのだけれど、私は、参政党の主張は、これまでの日本の政治の角質化のように感じられてしかたがない。
参政党は、「選択的夫婦別姓」を導入すれば戸籍制度が複雑化し、治安の悪化につながると主張して反対している。その理由は、戸籍がどんどんどんどんシンプルになって、その人のルーツや家族関係が分かりにくくなるからと。
そして性的マイノリティーの権利は排斥、外国人の参政権などは否定。あげくに、「教育勅語」などの歴代の詔勅や神話を教えることの義務付けの主張。
教育勅語は、「善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、日本人の祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなる」とする。
そして、「このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じ」とする。
たしかに、歴史や神話は、とっても大事なことなのだけれど、権威や権力を持つ人から伝えられる歴史や神話が間違っている可能性、歪められている可能性が、非常に高い。
それらを伝える側に立っている人たちは、自分たちが間違っているとか、歪めているなどと思っていないかもしれないが、結果的に、そうなっている可能性が非常に高い。
彼らの歴史は、男系天皇への固執のことなどが典型だが、あまりにも単層的で、都合よくシンプル化している。
実際の歴史は、複層的で、複雑にこみいっているのだけれど、その複雑さを複雑なまま受け止めて、そのなかに真相を見出そうとする努力がなされていない。
なぜかというと、大切なその分野において、新陳代謝が行われていないから。
今、社会で偉いとされる人たちが述べている歴史や神話は、古い角質が肌にべったりへばりつくような状態であり、つまりそれは、真の意味で歴史と向き合う思考や想像力や姿勢が衰えている状態。
歴史との向き合い方が、退化しているし、頑迷の状態に陥っている。
そんなものを、じっくり味わって自分のものにしなさいと言われても、なんの栄養にもならない。
私が、こうしたワークショップやフィールドワークを行っているのは、歴史好きの人のニーズに応えるためではなく、歪められた歴史を声高の主張し、そのことによって人心掌握を企んでいる人たちに簡単に操られないための脳味噌と心の新陳代謝を維持していくため。
そして、頑迷の落とし穴に落ちてしまわないよう、多層なものは多層なまま、きわめて複雑な関係性もそのまま示し、脳と心に負荷をかけることが、サバイバルには大事なことだと思っている。
環境に慢心している生物は、長く生きのびることはない。
簡単に理解できないものに触れることによって、どんな生き物でも、自分の中に新たな反応の回路を作り出す。それが経験を重ねるということであり、そうした経験の積み重ねこそが、何億年も続けてきた生命体の摂理にそったサバイバル方法なのだと思う。
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東京と京都でワークショップを行います。
2025年8月30日(土)、8月31日(日)
2025年9月27日(土)、9月28日(日)
*いずれの日も、1日で終了。
詳細、お申し込みは、ホームページでご確認ください。
https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/
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新刊の「かんながらの道」も、ホームページで発売しております。