第1585回 一夜にして「この世」が「異界」のように変貌する日本が育んできた文化。

 2011年3月の東北大震災の直後、何度か取材を重ねていました。もちろん、その時は、想像を絶する被害の大きさに心が圧倒されてしまうばかりでした。
 あれから月日が流れて、あらためて東北の各地を訪問すると、東北地方というのが、過去から現在まで、何度も過酷な試練に見舞われてきたことがわかります。
 今でも冬の豪雪はすさまじいですが、もとから寒冷な気候ゆえに、何度も冷害に見舞われています。
 さらに東北は火山地帯です。1783年の天明の大飢饉の時は、津軽富士を称される岩木山に続いて浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせました。成層圏に達した火山噴出物が陽光を遮ったため冷害をさらに悪化させ、農作物に壊滅的な被害が生じた。被害は東北地方の農村を中心に、死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、弘前藩では死者が10数万人に達し、離散した者も合わせて藩の人口の半数近くを失ったと伝えられます。疫病もまた深刻で、この時期の人口減は極めて著しかったのです。

 今でも、南部富士と称される岩手山は、いつ大噴火してもおかしくはなく、現在も火山性地震が継続しており、2025年6月時点、噴火警戒レベル2で、岩手山の全登山道で入山規制が行われています。
 日本列島そのものが、世界でも突出して天災が多い場所だけれど、その中で特に甚だしいのが東北地方なのです。
 だとすると、天変地異とは切り離せない日本特有のコスモロジーや文化は、東北の古層文化に、その核心があるかもしれない。そういう閃きがあって、今年の秋に発行する計画の「みちのく古代巡礼」The Circle with the Ancient Worldを、制作しています。
 たとえば、日本各地どこにでも見られる地蔵菩薩に対する信仰は、平安時代初期の東北の俘囚政策と深く関係しており、その要の場所が、恐山です。
 本地垂迹神仏習合もまた、蝦夷の神々を同化させていく過程の中で制度的に整えられていきました。
 また、御霊会という怨霊を守り神に転換させたり、鬼をもって鬼を制する仕組みは、ヤマトタケル蝦夷鎮圧の神話に、その起源が示されているのです。
 ヤマトタケルが鎮圧した蝦夷畿内に連れ帰り、瀬戸内海の要所や、朝廷の門など、境を守らせました。それが、悪霊を遮る人たちとなり、サエギ=佐伯氏となった。
 佐伯氏からは、真言密教空海と、天台宗において、比叡山延暦寺(山門派)とは別に、園城寺三井寺)を拠点に密教色の強い天台教学を展開した寺門派の祖である円珍という、日本の密教史において極めて重要な二人がでています。
 さらに奈良時代の佐伯今蝦夷は、造東大寺司(ぞうとうだいじし)の実務責任者として、大仏造立の資材調達、労働動員、各地との連絡など、きわめて重要な実務的・政治的任務を担いました。後に、東大寺の盧舎那大仏は、空海によって、真言密教の本尊である大日如来と同一とされ、ここは真言密教が国家的な役割を担っていくうえでの拠点の一つとなった。
 空海真言密教円珍天台密教台密)の祖が共に佐伯氏であり、そこに東大寺も重なってくることで、日本の密教体系そのものが「佐伯的霊性」を基層に持っているとも言えます。
 真言密教は他の仏教宗派と比較して、非常に強い「異界性」を帯びています。それは単に教義の内容だけではなく、儀礼・象徴体系・宗教空間・成立背景のすべてにわたって、「現世を超えた異界=密厳浄土」を現実に顕現させることを目的とする宗教であるからです。
 すなわち、 「死後に浄土へ行く」のではなく、「今ここに密厳浄土(異界)を出現させ、自ら大日如来と一体化する」という世界観。
 真言マントラ)による言霊的異界交信は、呪術やシャーマニズムに近い方法で、異界に直接働きかけます。仏教という形をとった異界交信の技法そのものなのです。また、仏になるのは死後ではなく、この身このまま仏になるという即身成仏の思想は、生きながらにして異界存在に変容する境地。
 このように真言密教にとって異界は、象徴的空間ではなく、この現実の中に具現化されるべきものです。
 真言密教は、異界を現世に召喚し、人間を仏に変容させる「異界の現世化」、「身体の異界化」の体系であり、これは他宗に見られない強く実践的な異界性であり、日本的霊性(たとえば修験道御霊信仰)と極めて親和的です。
 空海は、蝦夷=サエギ=境界を守る佐伯氏の出身で、彼の出自そのものが、「異界と国家を繋ぐ者」でした。
 真言密教は、まさにその霊的氏族の資質を開花させた宗教体系だったとも言えます。
 ヤマトタケルが、「蝦夷たちを、結界の守り(サエギ)=佐伯氏として国家防衛装置として再編成した」という物語は、異界の力を国家防衛の中心に取り込む構造を示しており、これが、日本の長い歴史を通じて継続してきた秩序維持における呪的統合戦略でした。 
 そして、こうした思想が日本に深く浸透していった理由こそが、日本の自然風土にあったのです。
 日本は世界でも有数の「災害多発地帯」であり、地震津波・火山・台風といった災厄に繰り返し晒されてきました。

 まさに一夜にして「この世」が「異界」のように変貌するわけで、「現実と異界は別ではない」という感覚が民衆・為政者の両方に根付いていました。
 日本列島においては、災害(異界)を避けようとしても避けることはできませんから、「常に異界に触れる現実」の中で、人間がどう精神的秩序を維持し、この世界の意味を取り戻し、どう美しく生きるかという霊的な回答が必要だったのです。

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