第1404回 神話の境界

『始原のコスモロジー』が到着して、わりと早い段階で写真についての感想をいただいていたが、文章の方は、今になってようやく感想をいただけるようになった。

 この本は、ピンホール写真にも特徴があるけれど、やはり文章世界が軸になっているので、少しずつでも文章を読んでいただければ有難い。

 この本の中で私が文章で掘り下げようとしているのは、一言で言えば「神話の境界」だ。

 現代文明の弊害が様々なところに現れている今日の世界において、神話なんて時代錯誤だと思っている人もいるし、逆に、「現代に神話を取り戻さなければ」と考えている人もいる。

 しかし、この取り戻すべき神話が何を指しているのか、明確に答えられる人は少ない。

 神話には大きく分けて二つのタイプがある。ローラシア型とゴンドワナ型と呼ばれているが、名称はどうでもよく、前者は、「天地創造や、王や貴族が誕生した理由」のようなものが多くて、後者は、「人間が自然界の中でつながりをもって生かされている」ことを暗喩的に示しているものが多い。

 そして後者は、ハワイやポリネシアに多く残っているのだが、こちらのゴンドワナ型神話こそが、文明社会において取り戻すべき神話だと指摘する学者もいる。

 しかし、この二つの神話の違いは、地域的な違いによるものというより、その地域の共通文字化が、いつ行われたかの違いによるところが大きい。

 太平洋の島々に限らず、アフリカ内陸部でもそうだが、他の地域と隔絶された場所では、共同体の中の同一化が進んでおり、共通文字の使用が必然的なものではなかった。そのため、口承の時代が長く続いてきた。

 大陸など異なる文化背景を持つ人々が交流しやすいところは、共通文字が早い段階から発展した。そして、今回の「始原のコスモロジー」でも言及したが、共通文字の登場は、異なる人々を共通の秩序の中に治める必然性が生まれた王権秩序の登場と重なっている。そして、王権秩序が始まった後に作られた神話は、必然的に、天地創造や、王や貴族が誕生した理由が示されるローラシア型神話になる。

 しかし、王権秩序化が進んだ地域においても、御伽噺のような形で、ゴンドワナ型の神話は残り続けている。現代人の思考では解釈が難しい謎めいた説話の形で。

 「人間が自然界の中でつながりをもって生かされている」というゴンドワナ型の神話は、文字化以前のコスモロジーであり、文字化された現代人の思考や精神とは異なっているのだが、それでも現代人の多くは、文字を学ぶ前の子供達に、ゴンドワナ型神話である御伽噺を読み聞かせることが、子供の心の成長に大切だと心得ている。

 日本において、この二つの神話の境界にあたるのが、「始原のコスモロジー」の中で何度も言及している西暦500年頃で、第26代継体天皇が即位した頃だった。

 その後に編纂された「古事記」などは、文字化後の王権秩序を整えていく段階での神話だから、西暦500年以前のことは、境界の向こうの出来事になる。だから、始原のコスモロジーの中で書いたように、古事記の中の様々なエピソードは、すべて西暦500年頃の精神の変化を、異なる形で何度でも描くという方法がとられており、コスモロジーの異なる西暦500年以前の歴史を時系列に並べているわけではない。初代神武天皇も、第10代崇神天皇も、神功皇后新羅討伐も、イザナギが黄泉から逃げ帰ったのも、スサノオの八岐大蛇討伐も、アマテラス大神が岩戸に篭ったのも同じ時代であり、西暦500年頃に起きた社会変化が反映されている。

 ただ、日本の古代の興味深いところは、文字化以前のローラシア型神話の段階と、文字化以降のゴンドワナ型神話の段階のあいだをつなぐものが残されているところにある。それが「風土記」であり、「始原のコスモロジー」の中で言及した浦島太郎の伝承や、古事記の中で登場する口のきけないホムツワケの物語の原型としての、出雲風土記のアジスキタカヒコネの伝承が、それに該当する。

「現代に神話を取り戻さなければ」という時、まずは、この文字化以前と文字化以降の変化を把握するところから始めなければならない。

 しかし、それは、『古事記』の解釈を見直すという大事業であり、日本の歴史の根幹を捉え直すという極めて重要で、壮大な試みになる。

 それこそが、私が「始原のコスモロジー」で掘り下げようとしたことなのだが、その解釈について専門家がどう言おうが、関係ない。

 なぜなら、私の念頭にあることは、その先にあり、古事記の解釈に拘泥するわけにはいかない。

 日本におけるローラシア型神話とゴンドワナ型神話の境界を整理し直したうえで、ローラシア型神話の世界の扉を開くこと。それが、本当の意味で、「現代に神話を取り戻す。」ということになる。

 そして、それを可能にするコスモロジー(世界観と人生観)が、実は、日本には残されている。

 その鍵は、今回の本の中でも取り上げた海人が握っている。

 海人というのは、縄文時代から続く、海や河川を通じて各地と交流していた人々。縄文時代の日本列島は、現在よりも沖積平野が少なく、山岳地帯と海を結ぶ河川と海のネットワークで各地域間の交流が行われていた。糸魚川のヒスイが北海道や沖縄で発見され、青森の亀ヶ岡式土器が沖縄に流通し、八ヶ岳の黒曜石も青森や北海道まで行き渡っていた。後に安曇氏などと名付けられたのは、それらの海人たちを束ねる必要ができ、その統率者の役割が氏姓制度によって決められたからだが、海人とは、そうした血統とは関係なく、古代、日本列島に生きることと、水上交通とは切り離せないことであり、縄文人=海人だったのだ。

 縄文時代、日本には共通文字がなかったので、彼らは、ゴンドワナ型神話の住人だったが、弥生時代になって渡来人が多くやってきた後も、その後の古墳時代も、古くからの海人たちは、物資や人間や文化を、水上ネットワークで運び続けていた。

 神話のなかで、天孫降臨のニニギと結ばれたのは、コノハナサクヤヒメだが、これは、別名が神吾田津姫で、南九州を拠点とする海人族の女神である。

 海人の存在感は、陰にまわって、日本の歴史を通して、脈々と伝わっていくことになった。

 古事記の中で天皇に次いで多く登場する氏族が、海人の和邇氏であるが、和邇氏の後裔は、浅間大社の神官を世襲してきた。浅間大社は、全国の浅間神社の総本社だが、祭神は、コノハナサクヤヒメである。

 そして、和邇氏は、後に柿本氏や小野氏となり、多くの文学者を生み出した。

 口承で神話が伝えられた時代から、共通文字の普及によって、文学を通して物語が伝えられる時代になった。それを担ったのが、和邇氏で象徴される海人勢力の末裔だ。

 紫式部のルーツは、京都の山科の小野郷だ。そして、紫式部の墓は京都の堀川通にあり、その隣が小野篁の墓なのだが、生きた時代が200年違う二人が並んで葬られていることが大きな謎になっているのだが、紫式部の文学も、小野氏の影響下にある。

 源氏物語は、紫式部が一人で考え出した物語ではなく、小野氏が記憶してきた物語が、その下地にある。

 源氏物語の中で特に重要な役割を果たす神が住吉神であり、須磨の地で光源氏を救ったのも、光源氏が逆境から立ち直るきっかけになったのも住吉神の加護によるものだが、源氏物語というのは、光源氏の栄光の物語ではなく、光源氏の背後、陰に位置する明石一族の繁栄で最後は終わる。この明石一族が奉斎しているのが住吉神である。

 そして、「始原のコスモロジー」でも詳しく書いているように、住吉神というのは、近畿の紀ノ川流域の土着神であった丹生都比売が転化した神であり、紀ノ川流域を拠点としていたのが海人の紀氏で、これは、コノハナサクヤヒメと同じく南九州を拠点とし、瀬戸内海にかけて活動していた海人勢力だった。

 日本各地を訪れ、様々な栄枯盛衰を見てきた海人たちは、物語の伝承者でもあった。

 その伝承は、口承であり、ゴンドワナ型の神話に属するものであった。

 そして、過去においても、現代と同じように「万物の尺度を人間に置く」状況となり、社会が歪んだことがあった。

 その時代の賢人も、「人間が自然界の中でつながりをもって生かされている」という神話世界の精神を取り戻す必要を考えた。

 しかし、文字化以前の物語を、そのままの形で取り戻してもダメだということも理解していた。

 そういう軋轢と葛藤の中で創造されたのが、新しい文学である。日本の歴史の中で、その頂にあったのが源氏物語で、その新しい精神こそが、「もののあはれ」だった。 

 また、源氏物語の前には、浦島太郎や竹取物語など、文字化以前と文字化以降のコスモロジーをつなぐ物語も創造された。

 そして、中世の日本文化というのは、幽玄も、詫びや寂も、源氏物語を通して描き出された「もののあはれ」の精神を引き継いでいる。

 また、ヨーロッパや中国など、ローラシア型神話が大きな影響力をもっているような地域でも、文字化以前の「ゴンドワナ型神話」のコスモロジーへの回帰の仕方を真剣に考えた先人はいた。

 それが、古代中国の老荘思想=「無の思想」であり、古代ギリシャソクラテスの「無知の知」であり、古代インドの仏教=「無我の境地」だ。これらは、全て2500年前に生まれたコスモロジーだが、1000年前に日本に生まれた「もののあはれ」というコスモロジーと、基本的には同じ精神の境地である。

 文字化が進んだ文明社会のなかで、「人間が自然界の中でつながりをもって生かされている」ということを説くためには、衝動的に森の中でサバイバル生活を始めればよいわけではなく、文字化以前と文字化以降のコスモロジーをつなごうとして創造された叡智を、再び取り戻すことが先決である。そういう思いで、私は、今回の「始原のコスモロジー」を制作したのだが、文章を読んでいただいて、そのことが伝わっている人が、どれだけいるかはわからない。

 しかし、たとえそれが限られた人であっても、本という形にした意義はあった。なぜなら、次の段階の、文字化以前のコスモロジーの扉を開くためには、ここを通っていくしかないからだ。

 
_____
 始原のコスモロジー 日本の古層Vol.4は、現在、ホームページで、お申し込みを受け付けています。

www.kazetabi.jp

 

 2024年の始まりにあたって、1月13日(土)、14日(日)、第14回、ワークショップセミナー「始原のコスモロジー」を、1月13日(土)、14日(日)に、京都で開催致します。
 ホームページから、お申し込みを承っています。

www.kazetabi.jp