第1415回 歴史のサイクルと、自然のサイクル。

1783年の浅間山の大噴火(天明大噴火)で形成された鬼押出し溶岩。  この時の噴火で、関東一円に大量の軽石や火山灰が降り注いだ。大規模火山泥流は、利根川を流下して太平洋や江戸湾にまで到達した。また、火山灰が直射日光の照射を妨げて、天明の大飢饉の原因の1つになった。同じ年に、アイスランドでも巨大噴火があり、天候不順は、地球規模になった。フランス革命は1789年である。

 現代人は、現代社会が人類の歴史でもっとも発展した時代だと信じている。

 しかし、古代エジプト古代ギリシャ・ローマに限らず、過去に高度な水準に達していた文明が存在していたことは明らかであり、人類は、階段を上るように文明社会を発展させてきたわけではない。

 そもそも叡智ということで言うならば、2500年前に、古代ギリシャ哲学と、古代中国の儒教老荘思想と、古代インドの仏教が同時的に生まれているが、その後の人類史において、これらの叡智が超えられているわけではない。

 不思議なのは、古代ギリシャにしろ古代中国にしろ、広い範囲で共通文字が普及するようになったのは、地中海地域ではフェニキア文字の発明、中国では、殷の時代に祭祀用にすぎなかった文字を周の時代に改変してからで、ともに3000年前だから、それからわずか500年で、現代でも通用する哲学や思想が生み出されたことになる。

 古代日本の場合も同じで、訓読み日本語が発明されたのは今から1500年ほど前で、それからわずか500年で、『源氏物語』が書かれた。川端康成三島由紀夫も、源氏物語を超える文学は、その後の日本の歴史で生まれていないと言った。

 共通文字は、急速に知識や技術を普及させるが、それとともに、人類の世界に対する見識も、広がり、深まっていく。

 現代、世界全体を覆い尽くしている欧米文明の場合、一般の人々に共通文字が普及するうえで、グーテンベルク活版印刷の発明が大きかった。

 それまでの聖書は、羊の皮の本などに書き写されており、一部の聖職者しか所有できなかったが、印刷によって聖書が大量生産され、プロテスタントカトリックの対立が始まったことは、学校の教科書でも習う。

 これは、15世紀の出来事だから、それから500年のあいだに、人類は、インターネットで世界中がつながる環境を作り上げた。

 人間は、共通文字を使い始めると、500年ほどで文明のピークに達してしまう。その後も発展が上乗せされるのかというと、実は、そうではないということを歴史が示している。

 それは何故なのか?

 その答えは、2500年前の古代ギリシャ、古代中国、古代インドに生まれた哲学・思想と、1000年前の日本に生まれた死生観に共通するものの中にある。

 2500年前、ギリシャにはソクラテスが現れて「無知の知」を唱え、中国の老荘思想は「無の思想」、インドの釈迦は「空」を唱えた。

 1000年前の日本の場合は、「もののあはれ」である。

 「無」とか「空」とか「もののあはれ」は、形あるものに囚われる人間の心を否定している。

 つまり、共通文字を使い始めて知識や技術を共有する人は、500年ほどで、その文明のピークに達するのだが、その文明というのは、「形あるものに心が囚われてしまう」ものであり、賢人は、覚めた目で、その我執こそが人間社会を歪め、人間を不幸にしているとみなしていた。

 我執に囚われる社会は、現代だけでなく古代においても同じで、その象徴的な存在として、古代ギリシャではソフィスト、古代中国では詭弁家と呼ばれる人々が、有象無象に出現している。

 今の言葉なら、「論破王」だ。つまり、言葉で相手を言い負かすことが賢さの証明であるかのような状態。

 この分野における古代ギリシャの代表がプロタゴラスで、彼は、報酬をとって、そのテクニックを人に教えていた。

 そして、プロタゴラスの言葉で有名なのが、「万物の尺度は人間である」だ。

 共通文字を使い始めた人間は、わずか500年ほどで「万物の尺度を人間に置く」文明を築き上げる。そして、無数の詭弁家が現れる。

 この原則は、今日の世界でもまったく同じであることがわかる。

 私たち現代人が、最高の文明のように信じ込んでしまっている状態は、端的に言えば、万物の尺度を人間に置いて、言葉を駆使して、自らの優位性を競い合う時代ということになる。

 そうした状況を憂いたソクラテスは「無知の知」を唱え、釈迦は「空」を説き、老子荘子は「無の境地」に遊んだ。

 紫式部源氏物語を書く後ろ盾になったとされる藤原道長が詠んだ歌、

「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」について、「この世で自分の思うようにならないものはない。」と、道長の驕りを示す歌だと解釈するのが通説になっているが、それは、万物の尺度を人間に置いて物事を考えてしまっている人の解釈だ。

 この道長の歌は、1018年10月16日の日記に書き留められているが、10月15日が満月の日で、10月16日は、少しだけ欠けた 十六夜(いざよい) の月だったことがわかっている。 

 つまり、この歌は、「もののあはれ」の歌であり、現代風に解釈すると、「自分にとって最高の時代だと有頂天になっているのは、満月が、ずっとそのままだと思い込んでいることと同じだよ。(現実的に、それはありえない)」という意味になる。

 形あるものは、おしなべて消滅する定めにある。それが、森羅万象に尺度を置いた視点であり、藤原道長も、そうした「もののあはれ」の眼差しを持っていた。

 正月明けに投稿した源氏物語の中でも言及したが、台頭する清和源氏の力で、かろうじて栄華を保ち続けていた藤原道長は、貴族の時代の終焉を理解していた。

 競争社会の中での勝利などは、虚しいものだ。その虚しさを包み隠して、いかにも満たされているかのように発信される言葉の多くは、虚栄のための詭弁である。

 人類が、この種の文明のピークに達する時、必ずといっていいほど、人間の手に負えない大自然の試練のことが示されている。古代メソポタミアギルガメッシュ神話や、聖書の黙示録など、枚挙にいとまがない。

 文明のピークにおいて、万物の尺度は人間にあると驕っていた人間が、自らの小ささを認識せざるを得ない事態が起きることは、偶然ではなく、おそらく必然なのだろう。

 というのは、自然にはサイクルがあり、人間が、万物の尺度を人間に置く文明を築き上げる時は、比較的、自然が穏やかに安定している時期が長く続いているのだと思う。

 現代人は、人間の能力と努力だけで文明を築き上げたと思い込んでいるが、そうではなく、自然のサイクルが、それを可能にしたと考えることができる。

 毎年のように壊滅的な大震災が起きるような状況であれば、人間は、万物の尺度を人間に置く価値観を保ち続けることはできないのだから。

 南海トラフ地震は、90年から100年のサイクルで起きるとされる。 

 前回は、1944年と1946年で短期間のうちに2度起きた。その前は、明治維新の直前、ペリーの黒船来航の翌年の1854年

 いずれも日本社会が大きく変わった時。

 このサイクルだと、次は2034年頃。

 これは大地のメカニズムの問題であり、このサイクルを人間の手で変えたり、永久に起こらないようにすることはできない。

 万物の尺度は、人間側にはないのである。

 人類の文明がピークに達する時というのは、長く続いた自然の安定期が、そろそろ終了する段階ということでもある。

 だから、世界中の古代の神話や史実の中でも、地震や火山の噴火で、文明社会が一瞬にして滅びたことが記録されている。

 そうした大震災で人類全体が滅びるわけではなく、心を入れ替えた人間が、万物の尺度を人間に置かない生き方を始めることになる。その象徴が、聖書の中のアブラハムだ。

 しかし、それからしばらく自然の安定期が続くと、再び人間は傲慢になり、万物の尺度を人間に置く文明を築き始める。

 古代から人間は同じことを繰り返しており、2500年前に、東西世界で、同じように「無」や「空」の思想哲学が創造されたことは、単なる偶然の一致ではない。

 万物の尺度を人間に置くことの虚ろさや空しさや愚かさを説かなければいけない文明的状況が、広い地域に起こっていたということだ。

 グーテンベルグの印刷技術の発明から500年経った現代も、世界中の広い地域において、同じような文明的状況が起きている。

 日本は特に自然災害の多い地域ではあるが、現代の世界は、異常気象ということで共通しており、万物の尺度を人間に置く世界の限界は、どこでも同じである。

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