第1433回 時代が変わる時。

(3月末に行うワークショップについて)

 現代世界には、環境問題をはじめ様々な問題が横たわっているが、それらの問題の根元には、「万物の尺度は人間にあり」という、すべての物事を人間を基準にして測る価値観がある。

 この価値観が人間の傲慢さにつながっているわけだが、ここに問題があることがわかっていても、一度身につけてしまった傲慢さは、なかなか解消できない。

 しかし、今年の能登や13年前の東北大震災のように、大自然の猛威を前に人間の無力さを痛感させられる事態が起きるたびに、人生観や世界観を根本から見つめ直そうとする人も多い。

 日本という国は、世界のなかでも突出して自然災害が多い国であり、そのため、自然に対する謙虚な姿勢を軸として、日本人は文化を育んできた。

 本居宣長は、「見る物聞く事なすわざにふれて情(ココロ)の深く感ずる事」を「あはれ」と言うのだと述べている。

 そうした繊細な情(ココロ)の働きの起源は、自然との深い関わりの中から生じており、古代より日本人は、山や岩や樹木などを神々が天降った場所だと信じ、カムナビと称して崇敬してきた。

 古代人に限らず、現代の我々もまた、そうした自然に対する畏敬の情(ココロ)を完全に喪失していない筈。そこに、人間の情(ココロ)の普遍性があり、情(ココロ)の働きの原点を見つめ直すことで、日本人とは何か、人間とは何かという問いに、深く向き合えるような気がする。

 作家の石牟礼道子さんが、次の言葉を残している。

「人間も含めて全て生類で、私は、生類たちには魂があると思っています。東京あたりの市民活動家の方と会った時、「石牟礼さんは、”魂”とよくおっしゃるけど、眼に見えないものを信じるのか」って言われたことがありまして、びっくりしましてね。魂があるから、ご先祖を感じることができるでしょ。みんなご先祖を持っているわけですね。人間だけでなくて、草や木にも魂があって、いつでも先祖帰りをすることができる。それは、美に憧れるのと同じだと思います。美しいもの、より良いものに憧れる・・・、そう私は思っています。」

 ”もののあはれ”の真意は、石牟礼道子さんの言葉、「人間だけでなく、草や木にも魂があって、いつでも先祖帰りをすることができる」という言葉のうちにあるように私には感じられる。

 草や木にも魂があるということを、リアルに感じていた時代と、その感覚が薄れていった時代の分岐点が、実は過去にもあった。

 それは、万葉集の前期と後期のあいだに見られると、白川静さんが指摘している。

 柿本人麿がその分岐点に位置しているのだと。

 つまり、8世紀、奈良時代に入ってから変化があった。

 原因は、おそらく、急速に進んだ唐化だろう。

 持統天皇は、天皇としてはじめて火葬された。天皇の死後の魂のことを考えると、この火葬というのは、大きな分岐点になる。

 663年に、日本は白村江の戦いで唐と新羅に大敗し、その後、672年の壬申の乱を経て実権を握った天武天皇が、律令体制を築き上げたと教科書では習う。火葬をした持統天皇は、その妻だ。

 教科書では、日本が、唐の都に習って藤原京平城京を築き、唐の制度をとりいれていたと教わるのだが、果たしてそうなのかという疑問がある。

 663年の白村江の戦いの敗戦の後、実質的な唐との交流はなかった。遣唐使が復活するのは、大宝律令が制定された701年の翌年。にもかかわらず、藤原京平城宮を築く技術、律令制を整える知識は、どこからやってきたのか?

 考えられるのは、唐と新羅に滅ぼされた百済(660年)や高句麗(668年)から大挙してやってきた渡来人だが、それだけでなく、日本書紀には、白村江の戦いの後、日本の敗戦処理のような形で、唐から郭務悰という将軍に率いられた2000名の人が2度にわたって来日したことなどが記録されている。

 唐という国は、周辺諸国に対して、羈縻(きび)政策をとっていた。羈縻(きび)政策というのは、戦いで打ち破った地域を力づくで搾取しながら支配するのではなく、その国の制度を唐と同じものにして、懐柔していく統治スタイルのこと。

 実は、世界に民主主義を広めていこうとするアメリカの政策も、羈縻(きび)政策だ。相手国を自分と同じ体制にすることで、自分の経済圏に組み込んでいく。ドルが基軸通貨であることが、アメリカの繁栄の背景にある。

 ちなみに日本の最初の流通貨幣は、708年に唐の銭貨「開元通宝」をモデルとした和同開珎。

 つまり、白村江の戦いの後、急速な唐化が進み、そのことが、万葉集の前期と後期のあいだの断絶を引き起こした。これは、太平洋戦争の前後や明治維新の前後の断絶と等しいものがある。

 万葉集前半の集大成に位置付けられる柿本人麿までは、人の死に際して歌を詠む場合、本気で魂を招魂しようとしている。自然を歌う場合も、本気で、自然の魂と一つになっている。しかし、柿本人麿以降、しだいに他人事になっていって、(個人的に)情景を愛でるだけとか、自分個人の感傷を歌う程度のもの(今日の「私ごと」の表現)となって作者の魂の質が低下し、他者(外界)を自分の魂に引きつける力が弱くなっていった。

 そして9世紀になると、和歌は消えて、ほとんど漢詩ばかりになる。

 ところが歴史には反動があるもので、10世紀の初頭に、紀貫之古今和歌集が編纂され、国風文化が花開き、源氏物語で、その頂点を迎える。

 こうした流れは、それを支える勢力がなければ生じない。

 紀貫之にも、支援者がいた。その支援者は、藤原定方であり、この人物の娘が、紫式部の父、藤原為時の母だ。

 そして、藤原定方というのは、京都の山科の小野郷の宮道氏の娘、宮道列子の子であり、彼の妹の胤子が、まだ源氏の身分だった宇多天皇と結ばれて、醍醐天皇を産んだ。

 天皇になる予定のなかった宇多天皇は、急遽、天皇に即位して菅原道真を重用して政治改革を進めようとしたのだが、その政策は、一言で言うなら、中央集権的体制から地方分権的な政治への移行だ。税制を、人頭税から、土地や収穫物を基準にするようにすること。そうすることで、中央から地方に派遣される役人ではなく、地方に拠点を置くようになった豪族たちの権限が強まる。

 宇多天皇菅原道真の背後には、この豪族勢力がいた。彼らが、菅原道真の祟り騒ぎの時に暗躍し(その代表が清和源氏)、菅原道真太宰府への左遷によって、政治改革の流れを阻止しようとした人たちを闇に葬った。結果として、律令制の根幹だった班田収授は、道真の祟りを恐れた朱雀天皇の時(天皇の母が恐れた)、完全に終焉を迎えた。

 中央集権的政治においては、明文化された規則が基準になるから、昔も今も、合理的な思考が要求される。文化もまた、社交的目的や、地位名声のための単なる教養でしかない。

 これは昔も今も同じで、奈良時代から西暦900年頃までは、そういう時代が続いた。

 しかし、中央集権的政治の崩壊とともに、押さえつけられていた不合理なものの力が、表に出てくるようになった。道真の祟りという仕掛けが、その象徴であり、怨霊という不合理な力で、政治の方向性を大きく変えていったのが、10世紀だ。

 ちなみに藤原道長は、菅原道真の怨霊を利用してのしあがっていった藤原氏のなかの例外的一族の系譜であり、それは、菅原道真の友人で、最後まで左遷に反対した藤原忠平の子孫である。

 そして、柿本人麿というのは、特定個人というより「柿本」という巫の集団の一人。

 この柿本は、春日や小野といった古代和邇氏の系譜につながり、海人族をルーツとするこの人々が、古代から、様々な伝承とともに、巫のスピリットを伝え続けていた。

 巫のスピリットというのは、本質的に、他者(外界=自然界)を自分の魂に引きつける力であり、「万物の尺度を人間に置く世界観」の真逆にある。

 本来、歌が備えていた力というのは、そういうものだった。

 だから、紀貫之は、古今和歌集の冒頭で、

 「やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」と言い、さらに「力をも入れずしてあめつちを動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」とまで言い切っている。

 この紀貫之を支援していた藤原定方のひ孫が、紫式部であり、源氏物語もまた、紫式部個人の力で書かれたというより、和邇系(柿本、小野)が脈々と伝えてきた古代からのスピリットが、その背後にある。

 だから、紫式部の墓は、京都の堀川通小野篁と隣り合わせに築かれており、紫式部のルーツは、山科の小野郷である。小野氏は、小野小町をはじめ、文学のルーツに位置している。

 さらに源氏物語の後半の舞台である宇治は、和邇(小野)と関わりの深い聖域だ。宇治で最も古い聖域は、宇治上神社で、これは、仁徳天皇皇位を譲って自殺したウジワキイラツヒコを祀っているが、この人の母は、和邇氏であり、宇治橋に祀られている橋姫は、別名が小野氏と関わりの深い瀬織津姫

 こうした背景を持つ源氏物語であり、第41帖までの主役である光源氏を、単なる女たらしの男だと思っている人が多いが、それは大きな間違い。

 光源氏の「色ごのみ」は、単なる好色という意味ではなく、民俗学折口信夫や宗教学の山折哲雄さんが指摘しているように、「優れた女性を得ることは、女性の巫女としての霊力を得ることと同義」という古代信仰から来ている。

 これは、女性が備えている霊力に対する敬意と裏表の関係であり、単なる女たらしではない。だからこそ、光源氏の女性のもてなし方は、尋常ではない。その「もてなし」の方に目が届かない源氏物語解説は、根本からわかっていない。

 他者(外界)を自分の魂に引きつける力は、「もてなし」に反映されている。

 それは、相手が女性とはかぎらない。自然物に対しても同じで、歌を詠むこともまた、その精神は、「もてなし」にある。

 「もてなし」の本意は、「相手をだいじに扱う」ということであり、それによって初めて、相手の霊力が自分の魂に流れ込んで、自分も満たされる。

 現代社会は、万物の尺度を自分に置いて、自分のために他を利用すれば、自分が満たされると考えてしまっている人も多い。

 合理的思考を突き進めると、自分の損得の判断基準の視界が狭まり、自己中心的になっていく。

 その流れは、自分だけでなく自分と関わるものを蝕んでいく。

 合理的思考というのは、実は、その時の体制が、合理的思考を求めているにすぎない。

 合理的思考というのは、画一と規格を押し進めるが、そうした標準化によって全体を整えようとする体制の時に、大きな力を持つし、その力に長けた人が優位に立ちやすいだけのこと。

 果たして、このまま中央集権的な価値観が続いていくのかどうか?

 それが、人間の繊細な情(ココロ)にとって、望ましいものかどうかを真剣に考えざるを得ない局面にきている。

 1100年前にも起きたように、その変化は、間違いなく起きる。それが歴史のサイクルだから。

 そして、自然にもサイクルがあり、南海トラフ地震は、ペリーの黒船来航の翌年と、太平洋戦争終戦の時に起きていて、80年から100年のあいだに起きるサイクルがあるとされる。

 西暦2025年が、その80年にあたる。世の中を一変させてきた大地震が、いつ起きてもおかしくない段階に来ている。

 ここに書いたことを、3月31日と31日に京都で行うワークショップで、掘り下げます。

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 3月30日(土)、31日(日)に、京都で開催するワークショップセミナーの詳細と、お申し込みは、ホームページにてご案内しております。

 また新刊の「始原のコスモロジー」は、ホームページで、お申し込みを受け付けています。

  https://www.kazetabi.jp/

 

www.kazetabi.jp