第1207回 富士山という須弥山の周りの生命の曼荼羅世界。

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 2月20日頃の予定だった「The Creation 生命の曼荼羅」の写真集が、少し予定が早まって、2月1日には完成します。

 

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 曼荼羅という言葉を耳にしたことがある人は多いと思う。しかし、極彩色の円の中に無数の仏様が存在していて、その造形と色彩が美しい云々という程度の認識で、あれが実際に何を意味しているのかよくわからないというのが普通だと思う。

 それはやむを得ないことで、なぜなら、現代社会に生きる人は、曼荼羅が作られた当時に生きていた人たちと比べて、仏様に対する思い入れは薄い。なので、仏の絵を見ても、慈悲深い顔だとか何かしらの印象は受けても、自分の生き方に根本的に関わってくるとは感じにくい。

 なので、現代社会において、「曼荼羅世界」を描くとすれば、どういうものにすればいいのかという意識を持って、この「The Creation 生命の曼荼羅」を作りました。

 「曼荼羅」には、胎蔵曼荼羅と金剛曼荼羅の二種類がある。

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  (胎蔵曼荼羅)               (金剛曼荼羅

 胎蔵曼荼羅の方は、中心の円から周辺に向かって放射状に世界が広がり、その中心には大きな大日如来が存在している。そして、金剛曼荼羅は、9つの四角の升目があり、縦3列横3列に並んでいて、それぞれの升目の中に円があり、その中心に大日如来が存在している。

 真言密教の中で、大日如来というのは、宇宙の根源的エネルギーのようなもので、全ての仏や菩薩は、大日如来の化身だ。慈悲深い表情の観音菩薩も、忿怒の表情の不動明王も、大日如来の化身ということになる。

 そして、胎蔵曼荼羅は、その大日如来を中心にして、右側に普賢菩薩など「知恵」を司る仏や菩薩が並び、左側に観音菩薩など慈悲の仏や菩薩が並ぶ。下側には不動明王など、人間を厳しく戒める明王が並び、上側には釈迦など誠の教えを広めるものたちが並ぶ。

 すべての仏や菩薩は大日如来の化身なので、宇宙の根本エネルギーが、知恵と慈愛と戒めと伝道という形に変わって隅々まで行き渡っていくというイメージになる。

 つまり、胎蔵曼荼羅は、そういう宇宙生命の構造を表している。宇宙を生きるどんな生命であっても、本性として環境から知恵を獲得しようとし、本性としての慈悲を備え、本性として節度を保つバランス感覚があり、誠を他者に伝えて行こうとする本性がある。もしそれが、そうならない場合は、何かしらの濁りがあるからだ。

 その濁りから澄んだ状態への移行。それを金剛曼荼羅が示している。

 金剛曼荼羅の9つの四角の升は、右下から時計回りに中心に向かって螺旋状に進んでいく構造になっている。その進行プロセスは、濁った状態から澄んだ状態への移行。人間でいうならば、知恵もなく欲にまみれた混沌状態から、知恵を獲得し、欲を制御し、悟りに達し、その誠を他者に伝える状態への修行の道のようになっている。その一つひとつのステージの中心に大日如来が存在している。つまり、それぞれ不完全とも思える状態も受容されている。天の摂理から見えれば、すべてが必然的なプロセスなのだ。

 これは人間世界に限らず、たとえば火山の大噴火にしても、噴火直後の混沌状態から、冷えて元素が分離し、鎮まった後は、温泉をはじめ、様々な恩恵となるが、恩恵だけ頂戴すればいい、というわけにはいかず、原因と結果は切り離せない。

 胎蔵曼荼羅が宇宙生命の構造であるのに対して、金剛曼荼羅は、宇宙生命の状態変化と循環を表している。

 この胎蔵曼荼羅と金剛曼荼羅の世界観は、現代社会において、仏を散りばめて表現したところで、仏のイメージが強く心に働きかけてくる人でないかぎり、伝わりにくい。

 しかし日本には、誰でも知っている富士山がある。

 富士山というのは須弥山である。須弥山というのは、もともとは、古代インドの世界観の中で、全ての中心にそびえる聖なる山であり、つまり大日如来のようなものだ。この世界軸としての聖山を中心とした宇宙観は、バラモン教、仏教、ジャイナ教ヒンドゥー教などインドで形成された宗教に共有されているが、そのうち仏教が日本に伝わって、この世界観も伝播した。

 意識していなくても、富士山を軸にした何かしらの神聖な世界があるという感覚が、日本人の中には宿っている。

 おそらく、ほとんどの日本人が、たとえば新幹線に乗っている時などでも、突然、富士山の姿が目に飛び込んできたら、「おおっ」と声にならない声をあげる。現代人の多くは、仏像よりも富士山の方が強く心に食い込んでくる。

 その須弥山の富士山を軸に、植物や昆虫をはじめ様々な生命の循環と関係性、その生と死と再生を写真を通して描こうと試みたのが、このたびの「The Creation 生命の曼荼羅」ということになる。

 つまり、富士山だけでなく、富士山周辺の生命の万華鏡世界を表したものであり、富士山麓に30年以上暮らし、ほぼ毎日、修行者のように撮影し続けている大山行男さんにしか表せない世界です。

「The Creation」という写真集は、高名な写真家であるエルンスト・ハースが、旧約聖書の世界観に基づいて作ったものがあるのだけれど、西洋の世界観は、直線的で、階段を登っていく(それを進化を称する)ように始まりがあって終わりがある。

 東洋の世界観は、直線ではなく円環であり、曼荼羅で表されるような構造と循環がある。すべてのものは、その円環の中で等しい価値を持って生きて死んで新たな生につながる。

 この二つの世界観の違いは、旧約聖書など西欧の一神教の世界観が、生と死を二元的にとらえる砂漠で生まれたのに対して、東洋は、生と死が循環する山や森や海がベースになっているからだと思う。

 日本が地理的に東洋に位置し、気候風土も循環的世界でありながら、暮らしの大半が砂漠のようなコンクリートジャングルに覆われているのは、西欧の世界観の影響が大きく、心の中も、必然的に砂漠化する。

 この西欧的世界観の行く末は、審判しかない。本来、東洋的世界観には終わりがなく、どんな終末的状況であれ、次なる状態への繋ぎである。

 「The creation 生命の曼荼羅」は、A4サイズで120ページ。

 かなり、ボリュームのある内容で、税込、発送代込み、1500円です。

 富士山周辺の山小屋、ホテル、売店などでは購入できますが、一般書店での取り扱いはなく、ホームページからの購入となります。

 詳しくはこちらのホームページをご覧ください。

 

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