第1449回 大震災と、この国の祈り。

 南海・東海大地震が起きた場合、もっともダメージが懸念される原子力発電所が、静岡の浜岡原発で、さらに、プルサーマル発電を継続中(2024年7月終了の予定)の愛媛県伊方原発も不気味だ。

 日本の原発は、岬や半島など、古代の聖域に建設されているものが多いが、浜岡も伊方もそうである。

 そして、太平洋に突き出たところに作られた静岡の浜岡原発静岡県御前崎)は、なんとも気になる位置にある。

 ここは、近畿の中央構造線のライン、和歌山の紀ノ川から伊勢神宮のラインの延長上で、さらに、日本列島を東西に分断する糸魚川・静岡構造線にそっている。

 浜岡原発の真北にある南アルプスは火山のない山脈で、この東側に面する富士山や伊豆半島、伊豆諸島から東が、東日本火山帯の西端だ。

 ちょうど東日本火山帯の境界線を睨むような場所が、浜岡原発のある静岡の御前崎から掛川なのだが、ここは、弥生時代の後期銅鐸の東端(掛川市長谷)にあたる。

 銅鐸というのは、前期と後期に分けられ、前期は朝鮮半島から入ってきたもので小型で装飾はなく、内部に鳴らすための舌がついており、このタイプは九州などにも多く見られる。

 しかし、2000年前頃から銅鐸が大型化して装飾が施され、鳴らすための舌がなくなり、日本特有の祭祀道具になった。この後期型を近畿型銅鐸というが、この分布範囲は限定的で、東端が静岡の掛川で、西端が広島の世羅(黒川遺跡)、四国では四国中央市(上分西遺跡)となる。

 その後期型銅鐸の最大の製造地が、奈良の唐古遺跡で、この場所の東経135.80は、近畿のど真ん中。南端が潮岬、北端が若狭の常神半島だ。

 この南北のライン上に、藤原京、飛鳥の天武天皇陵、山科の天智天皇陵、宇治、京都の比叡山麓の小野郷、山科の小野郷、そして陰陽道の四神相応図(東西南北の守護)の描かれたキトラ古墳高松塚古墳、そして吉野においては、丹生川上流の丹生川上神社(下社)が位置している。

 この近畿の真ん中のラインは、明らかに祭祀的な意味合いが強い。そして、2000年前の段階で、この霊的ライン上の銅鐸製造基地である唐古遺跡から、銅鐸の埋納地の東西の端に位置する静岡の掛川四国中央市が、ほぼ同距離(215km)であることが気になる。

 古代、近畿の真ん中は、権力者の拠点というより、どうやら、祭祀的な中心地であった。この場所が、日本列島の火山帯から最も遠いということが、何かしら意味をもっている。

 銅鐸は境界に埋められて邪霊の進入を防ぐ魔除の祭祀道具でもあるので、日本列島の東西の火山帯の端に埋められていることが、そのことにつながっている。

 さらに気になるのは、掛川の粟ヶ岳の山頂に、古代の磐座祭祀場である阿波波神社が鎮座しているが、ここの祭神の阿波比売は、別名が天津羽羽神で、吉野三山に鎮座する波宝神社の本来の祭神と同じだ。

波宝神社)
 この天津羽羽神は、全国的に、この名前で祀られている場所は限られており、その場所の大半は、伊勢と丹生川上神社(下社)を結ぶ水銀ライン上である。吉野以外では、和歌山の紀ノ川河口、四国の吉野川の日本最大の川中島である善入寺島だ。

 さらに、このラインを西に延長したところにあるのが瀬戸内海の姫島で、愛媛の伊方原発から近い。

 ここは黒曜石の産地で、比売語曽(ヒメコソ)神社が鎮座しており、阿加流比売(アカルヒメ)神の聖域だが、この女神は、古事記では新羅王の子である天之日矛(あめのひぼこ)の妻となっているが、親の国へ帰ると言って日本の難波にやってきた。つまり、古い時代の日本の女神である。

 そして、赤い玉と関係しているこの神の「赤」は「朱」であり、丹生に通じている。

 阿加流比売は、もともとは丹生都比売だった住吉神と関係が深く、 住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記』では「子神」と記録されているが、その住吉大社の東北東約6kmに赤留比売神社が鎮座し、特定の祭祀を共同で行っている。

 そして、この「丹生」のラインの東端となる静岡の浜岡原発のすぐ近くに、白羽神社が鎮座している。

 ここは、式内社の服織田(はとりだ)神社の候補地であるが、服織田というのは服部と同じく、古代日本において機織りの技能を持つ集団である。

 古代、織物は、神や先祖霊に捧げる最高の供えものであった。布を織る者は、禊をして身を清め、布を織る場所も水辺であった。ニニギの天孫降臨の時、最初に出会ったコノハナサクヤヒメやイワナガヒメも水辺で機織りをしていた。

 身にまとう衣服は、依代であり、神や王のために織物を織る巫女には、それだけ神聖な力が求められていた。

 さらに、この神社の近くに、池宮神社が鎮座しており、祭神は、前回のタイムラインでも記事にしたように、丹生とつながり物語の伝承と関わりの深い和邇系の「小野」が、全国に広げた祓いの女神、瀬織津姫である。(宇治の橋姫も瀬織津姫の別名)。

 浜岡原発がある糸魚川・静岡構造線にそった地域の掛川から御前崎の太平洋に突き出たところは、近畿型銅鐸の東端でもあり、丹生や織物に関わる古代巫女の聖域ということになる。

 (阿波波神社)

 また、掛川の阿波波神社の祭神、阿波姫(別名が天津羽羽神)は、神々が集う島ともされる神津島でも祀られている。そして、神津島は、古代、黒曜石の産地だが、丹生のラインの西端の阿加流比売(アカルヒメ)の聖域、瀬戸内海の姫島も、黒曜石の産地だった。

 この二つの島の黒曜石には特徴があり、姫島の黒曜石は乳白色で、神津島の黒曜石は、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』にも登場するように、銀河の星々を思わせる無数の白い小さな斑晶が、黒い石に浮かびあがっている。

 真っ黒なだけの黒曜石ではなく、そうした特徴が古代の人々に好まれていたようで全国的に流通していた。その黒曜石の島が、阿加流比売や阿波姫といった丹生と関わる女神の聖域であった。島から他の地域に黒曜石を流通させるためには、当然ながら、海人族が関わっていた。

 そして前回のタイムラインでも書いたことだが、7世紀末の白鳳の時代、そして9世紀末の貞観の時代、南海・東海大地震を筆頭に各地で大地震が相次ぎ、浅間山や富士山の噴火があった。その時、丹生の巫の影響力が表に出てきたような文化的な変化、それに伴う政治的な変化があった。

 日本の震災と、丹生の巫は、どうやら深い関係がある。

 丹生(辰砂)という赤い鉱石は、生命の色でもあるが、大地の火の色でもある。福でもあり禍でもある赤色。古代人が、この辰砂の赤で刺青をしたのは、生命の赤をもって邪の赤を制するということか。

 日本には、「禍福は糾える縄のごとし」という言葉があるように、禍と福は表裏一体であり、怨霊は、丁寧に祀ることによって守神にもなる。

 震災の多い国で生きるためには、人間の力を超えた自然の前に、抵抗することはかなわず、だからといって、完全に諦めてしまっては生きていけない。

 その究極の狭間から、日本ならではの叡智が生み出されてきたのだが、その叡智は、古代の丹生の巫のスピリットと共通している。

 そのスピリットとは、20世紀を代表する預言者である石牟礼道子さんが文学を通して説いていた、心構えとしての「のさり=自分の及ばぬ大いなるもののはからいを引き受ける」と、行動の指針としての「悶えて加勢する」こと。

 それは、平成の天皇が実践してきた祈りのかたち、「国民の安寧と幸せを祈ること」と「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を全身全霊で行うこととも同じだった。

 また、古代の巫は、預言者であった。未来の出来事を告げる予言ではなく、預言とは、きたるべき世界を前にして、人々の心構え、行動の指針を示すことを意味する。

 人間というものは、平常時においては預言者の言葉に耳を傾けたりせず、時には不吉な存在として迫害をしたりする。

 南海トラフ地震などのように、壊滅的な災害がもたらされた時に初めて、その言葉を自分ごととして受け止める人が増えたのだろう。

 古代、白鳳時代(7世紀末)や貞観時代(9世紀末)に起きた深刻な災害をきっかけに、潜在的に進行していた様々な矛盾を抑えきれなくなり、文化的な変化や、それに伴った政治的な変化が生じたことが、それを示している。

 おそらく、現代も同じなのだろうと思う。

 

 

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