第1342回 始原のコスモロジー

 なぜ歴史を探究し、歴史を学ぶのか?

 私は、20歳の時に海外放浪に出て、地中海世界やオリエント世界を旅している時から、「人間への信頼を取り戻すため」と思っていた。そして、それは同時に、「現代世界の問題の本質はどこにあるのか?」を考えることだった。

 旅を通して、自分なりに現代世界の問題の本質を多少は理解するようになり、人間への信頼を取り戻す鍵について色々と考えるようになった20代前半の私は、作家とかジャーナリストになろうと思い、文章を書き溜めたりしていた。

 しかし、私は、そうした職種につきたかったわけではなく、自分の中に居座っている大きなテーマのアウトプットを模索していたので、その時点での自分の力量だと、個人で取り組んでも、全体のごく一部にしか関われないというジレンマを抱えていた。

 そういう時、作家の日野啓三さんを知った。日野さんという人は、それまでの小説家がよく口にしていた「酒と女が書けなければ小説家になれない」といった言葉に強く反発し、芸術家は放蕩的であるというイメージも嫌っていた。それは、文壇と出版社という狭い世界の社交や馴れ合いにすぎないと。だから、編集者が会社の経費で作家を連れて行っていた銀座などの店に日野さんは行かなかったし、芥川賞などの選考の後、出版社経費で料亭などで行う選考委員の打ち上げも、日野さんは欠席していた。日野さんから聞いた話では、選考の後、池澤夏樹さんが日野さんのところにやってきて、コーヒーでも飲みに行きましょうと日野さんを誘っていたようだ。

 日野さんの影響もあり、私はボヘミアンのような暮らしを辞めて、髪を切り髭をそった。好きでやっていたわけではなく、アウトサイダーを気取っていただけで、その必要はないとわかったから。

 そして、忙しく働きはじめてしばらく経った頃、自分でイベントを主宰した時、意を決して日野さんに手紙を送り、会った。その時はものすごく緊張し、優れた作家を相手に話をする時の言葉の選択にエネルギーと集中力が必要だった。言葉に魂をこめている人だから、こちらも言葉を軽く扱えない。数時間、向き合って、帰り際に、ワイエスと、バルテュスの分厚く巨大な画集をくださった。画集も素晴らしかったが、絵を損なわない文章ページなどに日野さんの書き込みなどが丁寧に記されていて、それだけで日野さんの精神の動きが感じられて感動した。

 それから、月に一度くらい、5、6時間くらい話をすることが、6年くらい続いた。

 私は、日野さんの好きな寿司とか色々な食事を持ち込んで、夜遅くまで話をした。私にとって良かったのは、かつての小説家が好む酒と女のことではなく、宇宙、宗教、歴史、文明、芸術など、人類の全体的な話ばかりだったことだ。まさに、私が、海外放浪を通して、総合的に人間を理解したいと考え、読んでいた本の内容と重なってもいたから、話し相手になることもできた。そして、毎回、深夜遅くまで語り合い、下北沢の街の中を歩いて帰る時、来る前とは風景が異なって見えたことをよく覚えている。

 日野さんと過ごしたこの歳月のあいだ、自分の中に熟成されていたものが、風の旅人という形になった。

 自分個人が、作家やジャーナリストになったとしても、世界や人間のごく一部にしか関わることができないというジレンマを抱えて20代を過ごし、30代で日野さんとの濃密な時間を持つことができた。

 風の旅人の創刊は、2002年の10月頃に写真家の野町和嘉さんと会って話をしている時、野町さんが、憑依したような顔になって、「今はロクな雑誌がないんだ、きみが、まともな雑誌を作れ!」と言ったことがきっかけだった。二週間くらい無視していたら、また電話がかかってきて、「雑誌の件、ちゃんと進めているか!」と強迫されたので、しかたないなあと思い、3日か5日くらいで簡潔に企画書を作って野町さんに送ったところ、「うん、これでいいんじゃないか」と軽く言われて、そのまま進めることになった。

 わりと適当に書いた企画書だが、日野さんとの交流の中で既に私の中に濃密に育まれていたものでもあった。執筆者の白川静さんや川田順造さんや養老孟司さんをはじめ、歴史、宇宙、芸術、文明、人類学、生物学、脳科学、動物行動学などの各分野の圧倒的な執筆陣は、出版業界の慣習や暗黙ルールに対して無知だったから、1人ひとりに毛筆で手紙を書くという、それくらいしか自分にはできないという方法でアプローチした結果なのだが、当然ながら、それらの人の本の内容は頭と心に刻まれていた。それらは、日野さんの家にあった本でもあるし、そこから私がいただいたものでもあった。私は、日野さんの家でこれはと思う本があれば、同じものを買ってきて、日野さんが読み込んで書き込んだりしている古ぼけた本と交換してもらったりした。それらは、以前に日野さんが作品を書く時に読み込んでいたものだから、惜しげもなく交換してくれた。

 日野さんは、当時、癌の再発で2年に一度くらい入退院を繰り返していて、私は、病院でも会っていたのだが、日野さんは、私を相手にする話が、脳のリハビリにちょうどいいと言ってくれた。

 私は、20歳の時の放浪の旅を通して、自分なりに、現代世界の問題の本質を意識するようになり、人間への信頼を取り戻す鍵について、どうアウトプットしていくかという課題を自分ごととして持っていたが、日野さんとの邂逅と、野町さんの背中押しで、風の旅人というフィールドを整え、あれこれ模索していくという形になった。

 そして、風の旅人を2003年から2015年まで12年かけて50冊、発行し、自分なりに経験も積み、多くを学んだが、50号の巻末で、次号の告知として「もののあはれ」を選んだところ、漠然とではあるが、方向転換の時期だという運命的な気持ちが起きてしまった。

 分野の垣根を超えた学際的なアプローチは、学問においても分断化の著しい現代において、統合のために必要だと感じて風の旅人の創作に取り組んできたのだが、学際的ではない方法での統合的アプローチということを考えはじめ、まさに神話というものが、そういうものだということを改めて発見した。

 改めて発見したというのは、20歳の放浪の時に、リュックサックに入れておいた聖書や、その後に取り寄せた古事記を読み込んでいるうちに、自分の中に整っていった歴史観や世界観を思い出したのだ。

 だからけっきょく、この数年間、私が取り組んでいることは、自分にとっても原点回帰ということになる。

 知的好奇心や教養(ウンチク?)のために歴史のことを知りたくてやっているのではなく、「人間への信頼を取り戻すため」であり、「現代世界の問題の本質はどこにあるのか?」という40年前の自分の課題に応えるための模索。

 もちろん、この40年、ビジネスや写真や出版の分野で十分すぎるほどの経験も積んだので、その経験も重ねて、自分ならではの方法でアウトプットができる心得はある。

 そのようにして、これまで7年ほど、手探りしながらフィールドワークを重ねてきて、「Sacred world 日本の古層」という本を3冊作った。

 今日、あらためてこんなことを書いているのは、さらに次の段階に移るんだという自分への決意表明のためだ。

 1年に1冊、作り続けることを自分で決めているけれど、今年作るものを、昨日から準備を始めて、まずは表紙を作り、タイトルを決めた。これまでより一歩踏み込んだものを。

 そこに手をつける準備が自分の中に整ったからだが、この最初の一歩で、後は自律的に整っていく。

 最初の一歩は、同時に、後に続く全てが凝縮した極点だ。

 これは神話も同じで、多くの人が無意味で不毛だと思って受け流す最初の部分は、実は、もっとも重大で、その後に続く全体を指し示している。

 聖書の場合、創世記がそうだし、古事記においては、本文以前の、太安万侶の序文の文脈こそが重要なのだ。

 問題なのは、文脈を汲み取れていないと、翻訳が、間違ってしまうこと。言葉の背後を読み取っていない形だけの翻訳によって、魂は抜かれ、内容が不毛になってしまう。

 太安万侶は、序文で、陰陽道にもとずく万物の存在原理を伝えている。だから、古事記本文も、それにもとずいて書かれている。

 

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7月21(金)、7月22(土)、12:30- 第8回「現代と古代のコスモロジー」と題したワークショップセミナーを行います。(それぞれ一日で完結) 

 京都の松尾大社に集合し、フィールドワークした後、私の事務所(阪急 松尾大社駅から徒歩5分)に移動いたします。

 今回のワークショップセミナーは、飛騨や諏訪、出雲地方などを紹介しますが、地域を分けるのではなく、数珠つながりの世界そのものをとらえていきたいと思います。

詳細、お申し込みは、こちらのホームページをご覧ください。

https://www.kazetabi.jp/%E9%A2%A8%E5%A4%A9%E5%A1%BE-%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/ 

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ピンホールカメラで向き合う日本の古層。Sacred world Vol.1,2,3 販売中 https://www.kazetabi.jp/