風の旅人の休刊について


そろそろ『風の旅人』の第44号が書店に並び始めます。

 今回の号で、休刊とすることにしました。この44号は、自分でも区切りにふさわしい内容だと思います。どうぞお手にとって、ご確認いただきますよう、お願い致します。

 お陰様で、これまで9年という長きにわたり、『風の旅人』を制作してきました。

 途中、何度も沈没しそうになりましたが、かろうじて持ちこたえてきました。

 しかしながら、昨今の出版界を取り巻く状況の悪さに加え、3月11日の震災以降の経済情勢の悪化の影響もあり、このまま『風の旅人』を制作し続けることは、非常に困難となりました。

 そのため、このたびの第44号でいったん休刊させていただき、情勢を見極めながら今後の展開を考えていきたいと思います。

 偶然ではありますが、2001年9月11日の歴史的事件に衝撃を受けて翌年から創刊準備をはじめ、2011年3月11日の震災の年に、いったん幕を閉じるという結果となりました。

 この10年弱は、様々な事が起こりました。サブプライムローン問題など世間を混乱させた事件は、その現象じたいに本質的な意味があるのではなく、20世紀を支配してきた価値観のパラダイムシフトの初期段階の揺らぎの一つであり、価値観が転換する本当の揺らぎは、これからではないかという思いを強く持っています。

 今はまだ社会や出版界は混迷状態にあり、先行きが濁っていますが、いつまでも濁った状態が続くのではなく、必ずや視界が開けてくると信じています。

 新しい視点は既に芽を出しているのですが、これまでイニシアチブを握ってきた人達や組織が、従来のパラダイムが転換してしまうと自らのポジションも失う為、何とかそれを維持しようとしています。

 旧いヒエラルキーの中で力を持っている人達が、その力を維持し続けようとして、構造が軋んでいます。しかし、そうした足掻きも、長くは続かないでしょう。

 とりわけ、マスメディアや広告代理店を通じた情報伝達、大学を中心とした知識階級の形成などは、政治や経済などと見えにくいところでつながりながら、一種の権力として人々の意識や認識を左右する力をもってきましたが、これまでとまったく頃なる情報伝達や情報の共有の仕方が広がるにつれ、その影響力は低下せざるを得ないと思います。既にそうなってきてはいますが、そのことに無自覚の人が大勢いることも事実です。

 マスメディアなどが権威付けをした価値観を押しつけられ、それに盲目的に従うのではなく、ありとあらゆる権威的な装いをそぎ落として、自らの感覚と思考で判断していく状態へ。

 これまで風の旅人を制作するうえで、常に根底にあったのは、そういうことでした。


*放浪というのは、地理上の世界をあれこれ歩きまわることに限らず、既存の価値観に自分を追従させることができず、あれこれと足掻きながら彷徨い、自分のまなざしでモノゴトをみつめ、自分なりの世界との付き合い方を体得していくプロセスのことだと思う。私が制作する「風の旅人」は、旅行好きの人のためのガイドブックではなく、誌面を通じて、放浪と同じ体験を味わうことを目指している。


 思えば、今から9年前、白川静さんに毛筆で手紙を書いて、返事をいただいた時から、私が頭で構想しただけの「風の旅人」が、具体的な形となって動き始めました。

 企画書を読んだ白川さんに、「あんた、こんな大それたこと、実現するんか?」と問われ、「実現するように努力する」などと中途半端なことを言ってはダメだろうと咄嗟に判断し、「実現できないものを白川先生にお送りする筈がありません」と答えました。

 すると白川さんは、「そうか実現するんか、だったら、やるわ」と言ってくれました。

 創刊号には、白川静さんをはじめ、そうそうたるメンバーが企画書に名を連ねていましたが、最初に白川さんに了解をとった後だったので、他の人から、「白川さん、やると言っているのか」と問われ、すぐに「もちろんです」と答えることができ、白川さん効果で、次々と協力をいただけることになりました。

 作家の保坂和志さんは、歴史上、尊敬する人が三人いて、プラトンハイデガー白川静さんで、その白川静さんと同じ誌面に出ることは、とても光栄だと言ってくれました。

 思想家の前田英樹さんは、「風の旅人」に白川さんが書かれた文章を見て、「佐伯さん、これは白川さんの遺言だと思うよ」と言ってくれました。

 また、風の旅人の誌面では、日本に限らず、世界中の素晴らしい写真家の写真を紹介させていただきました。その全ての方が、写真の選択、ディレクション、ページネーション、組み合わせ方、レイアウトに関して、私の判断に任せてくれました。

 第13号で紹介したセバスチャン・サルガドのGENESISのシリーズは、フランスのパリマッチという雑誌で数ページほど紹介されましたが、大々的にページを割いて構成して紹介したのは、「風の旅人」が世界で初めてでした。

 写真だけでもなく、文章だけでもなく、また一方が他方に従属するのではなく、それぞれがそれぞれの潜在的な力を引き出して、全体として有機体のように部分と部分が関係し合いながら、自律的に働いていくこと。そうなることによって、読み手の心理状態や環境などによって、同じ誌面が別ものに生まれ変わっていく。結果的に、情報誌のように読み捨てられることがない存在になること。

 私が、編集を通して目指してきたものは、そういうものでした。

 そのように部分と部分が相互的に関係し合う場を作るためには、分業よりも、一人で編集をする必要もありました。昔ならば、とても不可能なことだけれど、現在は、情報機器の発達によって細々とした作業は省力化でき、編集は、本質的なことだけをしっかりとやればいい状況になっています。

 これから益々編集という仕事は、そのようになっていくでしょう。一人で編集をすると言っても、一人の世界に閉じこもるのではなく、写真家や作家や学者やデザイナーや、読者をはじめ様々な人達との対話を通して、世界を膨らませていくことが可能です。

 個々が細分化され、つながりが断ち切られていった20世紀とは異なり、全体として統合と調和を実現し、有機体のように自律的に一つのまとまりとして存在することが、21世紀の物事の在り方なのだと思います。

 風の旅人は、全部で44冊作りましたが、一冊の中でも、数冊ごとに束ねても、全ての号を寄せ集めても、一貫性を保ち、大きな波のように、その時々に結ばれる像は違うものの、根本的には同じである状態が実現できていればいいなあと思います。

 創刊号から第44号まで、「森羅万象と人間」、「世界と自然のあいだ」、「われらの時代」、「永遠の現在」、「彼岸と此岸」とテーマをつなげてきて、第44号は、新しく「此岸の際」というテーマに変えたばかりでしたが、ここで一区切りをつけることになり、本当に「際」になってしまったのだから、面白いものです。

 いずれにしろ、創刊の時に定めた全体を貫くテーマは、「FIND THE ROOT」。ルーツを探せ、ではなく、根元を求めよ という意味です。

 物事の表層にとらわれるのではなく、根元を見つめ続けること。根元を見定めることさえできれば、世の現象が移り変わろうとも、軸はぶれません。

 そうしたスタンスそ続けると、「何の為に役立つのか?」と目先の実用を気にする人からは敬遠されます。でも最初から、そのことは承知でした。

 実用とか快適とか癒しとか、世知辛いストレス社会と表層的に付き合うための処方箋ではなく、社会がどう変わろうとも動じない耐性のようなものを身につけること。そういうことの方が、より大切になるとの思いで「風の旅人」を作ってきましたから。

 社会は、まだまだ消費・快楽追求状態から抜け出せておらず、その状態を維持することで利益を受ける人達や組織が相変わらず力を握っているので、簡単には変わらないでしょうが、永遠に今の状態が続くこともあり得ないと思います。

 捨てられない雑誌として、数年後にふと見直して、何かを感じていただける可能性もあるでしょう。雑誌を作り続けることは途切れたとしても、44冊の「風の旅人」は、役割を終えてしまったわけではないと私は思っていて、だから、そんなに落胆もしていないのです。