第1020回 個々の死を超える自然の大調和の世界

 2月10日、石牟礼道子さん亡くなられた。90歳だった。
 石牟礼さんのロングインタビューを行ったのは、2014年の春だった。6月1日に発行する「風の旅人」の第48号に間に合わせるための、ギリギリのタイミングだった。
 インタビューの予定は、1月くらいだったけれど、石牟礼さんの体調が思わしくなく、延期をしていた。毎号、ロングインタビューを行っていたけれど、「死の力」というテーマでは、石牟礼さん以外に考えられず、そのことをお伝えし、熊本までお伺いすることで了承をいただいてはいた。
 しかし、とてもインタビューを受けられるような状態ではないとお聞きし、待ち続けていて、諦めた時に、突然、ご連絡をいただき、今なら大丈夫ということで、すぐに飛行機に乗って飛んでいった。
 インタビューはその翌日、熊本市内の病院だったが、約束は午後だったので水俣に宿泊することにした。駅からタクシーに乗り、真っ暗な中、その直前、適当に見つけたホテルを探して宿泊して、翌朝、目覚めて窓を開けると、目の前が海。ホテルの人に確認して場所を把握すると、そこは、石牟礼さんが幼い頃に過ごした場所で、「椿の海の記」で描かれていた舞台だとわかった。偶然の一致だった。
 インタビューの最初に、その海の話をすると、石牟礼さんの目が光り、幼い頃の話からインタビューが始まった。海の生物とか母親のこと、まさに石牟礼文学の原点がそこにあった。何をどうお聞きすればいいのか、それまでずっと考え続けてきたが答えが見つからなかったので、椿の海に助けられたと思った。その後、石牟礼さんが白川静さんの大ファンだと知っていたので、二人で、白川さんのことを軸に、話を進めることができた。白川さんの人柄から、古代から変わらない普遍のことまで。白川さんにお守りいただいていると感じた。インタビューは、全体として、個々の死を超える自然の大調和の世界へと展開していった。
 石牟礼さんと向き合うインタビューは、とても私の力の及ぶものではないと思いながらも依頼し、あとは天に任せるしかないと肚を決めていたので、なんとかインタビューを形にできたことは、自分でも奇跡だと思う。
 20世紀に書かれた小説は膨大な数にのぼる。しかし、100年、200年、300年経った時に、この時代がどういう時代であるかを伝えるとともに、その時代に向き合う人間の崇高な魂を普遍的に示すものを一つだけ選べと言われれば、私は、石牟礼道子さんの「苦海浄土」をあげる。
 石牟礼さんの詩魂は、芭蕉西行や柿本人麿のように時代を超えるだろう。そして、「苦海浄土」は、数千年後でも、古代のギルガメッシュ叙事詩のように、語り継がれる内容だと思う。
 「風の旅人」は、これまで50冊作ってきたが、この石牟礼さんのインタビュー記事を掲載した48号を数冊残すだけで、他に在庫は残っていない。
 特に売りたいという気持ちもない。これまでご縁のなかった方、たとえば少し前に、宗教学者山折哲雄さんとご縁ができた時に、名刺がわりに、この48号をお渡しした。この1冊で、風の旅人を通じて私が何をやろうとしていたのが、ご理解いただけた。
 白川静さんや石牟礼道子さんなど、この時代にかぎらず、間違いなく人類史のなかで、肉体は滅んでも魂は輝き続けるであろう人たちの魂の言葉をいただけたことに、心から感謝したい。