第1021回 宇宙の摂理と人間をつなげる力。〜ウィリアム・ターナーの絵画世界〜

 

 京都文化博物館ターナー展が始まったので、さっそく見に行ってきた。 
 20歳の時、大学を中退して放浪中に、ロンドンのテートギャラリーで見たターナーの絵画。それまでヨーロッパの絵画には大して心動かされなかったが、ターナーの絵は格別で、心が震えた。大自然の崇高さと、その中の人間の営み。産業革命が急速に進行し、人間の傲慢さが増大する社会状況の中で、ターナーは、自然への畏怖心と人間の尊厳のバランスを、壮大なスケールで描き出している。150年以上の時を超えて、ターナーの絵は、人間の都合を優先させる近代合理主義社会を生きる人間に、深い啓示を与え続けている。
 ターナーの絵は単なる自然描写ではなく、かといって、単に内面を抽象化したものでもない。
 彼の絵には自然と人為の両方が描かれているが、大自然の強大な力の前に人間の営みは、あまりにもはかなく、かといって決して悲観的ではなく、おこがましさもなく、画面全体からは祈りのような繊細な感覚が響き渡ってきて、人間の営みも含めた大自然のエネルギーが崇高な光となって放射され、それを全身に浴びるような感覚になる。
 英国史上もっとも偉大な画家の一人と言われるターナーは、1775年にロンドンで生まれ、1851年に亡くなったが、その生涯は、産業革命によって社会が急激に変貌していく時期と重なっていた。
 26歳でロイヤルアカデミーの正会員になるなど、若くして高い評価を得たターナーは、当初、写実的な風景画を描く画家であった。しかし、年齢が熟するとともに作風は抽象的なものに変わり、他の人々にとって次第に理解されにくいものになっていった。
 ターナーが描こうとした風景は、目の前にある風景を正確に写し取ったものではなく、自分自身の中に特別な感慨を伴って存在するものだった。その画面からは何かしらの感情の震え、宗教的な昂揚感に通じるものが感じられる。理性では説明しずらい何か、日常の知覚を超える何か、画家自身が心の深いところで感じる一種絶対の親近感や畏怖心が、ドラマチックに反映されている。
 ターナーは、崇高な光が満ち溢れるキャンバスの中に、古代遺跡や、近代以降に作り出された鉄道、蒸気船など過去から現在へと連なる人間の事象や、同時代を生きる人間の営みを小さくを描いているが、小さいながらも人間の存在を示すものが、印象深いアクセントになっている。
 人間の歴史を掘り起こしながら現在にも強く関心を向けるターナーは、きれぎれに変化する一瞬ごとの時間の断片ではなく、宇宙(大自然)のエネルギーと、自分を含めた人間一人ひとりの連関を鋭く察知し、その霊的な実感をキャンバスに蘇らせようとしていると感じられる。
 人間の暴力的なエゴが剥き出しになり、人間の在り方が根本的に問われる時代に人間として誠実に生きることは、嵐の中の小舟のように翻弄されることであり、そうした時代に、通り一遍の知識や理性だけでは何の助けにもならないことをターナーは理解していた。
 困難な状況のなか、自分を前向きに推進させる力は、自らの内部に湧き起こる驚き、感動、憧れ、畏れなど、宗教的ともいえる情感を必要とする。それは決してセンチメンタルなものではなく、人間の理性と敵対するものでもなく、理性の限界を自覚した時に人間をさらに高みへと導く霊的な直感と想像力の賜物だ。その境地に至って初めて、自分が宇宙(自然)の摂理に帰属しているという安心と自信を得ることができる。
 ターナーにとって真理と美は、そのように引き裂かれていく人間の自我の隙間に差し込んでくる感動的な心の働きであり、それは、大自然を循環するエネルギーに等しいものであったように思われる。
 人間と自然の関係が歪んでいく時代、ターナーは、大いなる自然と、人間の心の根底に宿るものを一体化させることの重要性を誰よりも深く悟っていたに違いない。
 晩年になるにつれて、ターナーの絵は、ますます奔放になって光と色彩は壮麗に輝き、混沌の中に至純の美を醸し出すが、実利的なものを求める世界との隔たりは増大し、次第に彼は変人扱いされるようになる。
 印象派を30年以上先取りしていたターナーは、成功者でありながら先駆者ゆえの孤独の生涯をおくることになるが、彼の肉体は滅んでも、大いなる自然と一体となった魂の律動は、キャンバスの中で永久に生き続けている。
 ターナーが心眼で照らし出した光景は、崇高ないのちを帯びて輝き、現代を生きる私たちの心に畏怖の念を呼び起こす。
 近代文明という人間が作り出した限定的な世界の中に閉塞し、鈍麻してしまった人間の心の奥底に眠る自然への憧れ、郷愁、そして畏れを取り戻す回路が、彼の絵の中に秘められている。