第1019回 時代を超える普遍性について思う

 今、銀座のニコンサロンで奥山淳志さんの写真展「庭とエスキース」が開催されている。東京では1月30日まで。大阪では、2月22日から28日まで開催される。
 奥山さんは、今回の写真展のために出版社を通さず自力で作り上げた写真集の販売のため、毎日、在廊するらしい。
 この写真集、年末に私のところに届いたのだが、これまで私が色々と見てきた写真集の中で、もっとも心に迫るものの一つであり、ゆったりとした時間に浸りながら、一本の長編映画を見るように没頭した。
 そして、あまりにも素晴らしかったので、私が尊敬し信頼する2名の写真家と、1人の映画監督にも見てもらった。出来のいい写真集との出会いはこれまでにもいくつかあったが、そこまでしたことはない。
 奥山さんの今回の写真集を、この3人にも見せたいという衝動が生じたのは、この写真集に、本当の意味での新しさが普遍性とともに備わっていると感じ、おこがましいことだが、彼らの考え方や仕事にも何かしら影響があるのではないかと思ったからだ。
 そして、私が思っていたとおり、彼らもまた、この写真集の新しさと普遍性を感じ取った。
 世界的にも大きな展覧会を数多く開催していて間違いなく日本を代表するドキュメント写真家は、「長い時間をかけて弁造さんと作者が共有した、濃密かつ重厚な空間が、見事に記録されていることに深く感じ入りました。写真表現の新たな地平を開いた、不思議な手応えを感じる写真集です。」と評した。
 もう一人の偉大なる写真家も、「感動して何度も見直しているが、こういうのは、今までなかったし、もうしばらく出てこない」と言いきった。
 さらに世界的にも高名な映画監督は、「写真の可能世界を見事に表しています。すばらしい。感服です。」と感想をくれた。
 おそらく、この3人は、日本の中で、写真や映像に関してもっとも鋭く、深く、厳しい目をもっている3人であり、お世辞など絶対に言わないし、人の言動に左右されることもない。
 奥山さんの今回の写真集「弁造」は、写真の力というものは一体何なのかということを改めて考えさせ再認識させる素晴らしい成果だと思う。
 音楽や絵画などは、表現行為の前に、血の滲むような修練が必要になる。それに対して写真は、カメラさえあれば、誰でも簡単に風景を切り取ることができる。今ではスマホのカメラでも十分に綺麗な画像を作ることができる。そういう写真領域において、絵画もどきのものを作ることで表現ぶったところで一体何になるだろう。また、絵画もどきの写真を作って、デジタルかアナログかとか、写真の未来がどうのこうのと語ったところで一体何になるだろう。
「これは写真にしかできないすごいことだ」と写真業界およびその周辺の人以外の人たちを唸らせるものを見せなければ、写真表現者に対するリスペクトなど生じず、内輪で盛り上がっているだけで終わってしまう。実際に、写真界およびその周辺では知られていても、それ以外の人が見たら、何の感銘も受けないという写真は多い。
 視覚表現である写真の力や可能性は、絵画もそうかもしれないけれど、人間の見る力を拡張することであり、視点を変えさせる力だと思う。見る力が養われ、視点が変われば、意識が変わる。意識の変化の集積は、価値観の変化につながり、その力は社会を変えうる。
 にもかかわらず、写真を専門とする人たちが、見た目の面白さ、奇抜さ、物珍しさ、話題になる事件の記録だけを競い合うなら、プロよりも膨大なアマチュアの偶然の集積で十分ということになる。
 経済発展をがむしゃらに追い続ける戦後の日本社会に疑問符を投げかける形で北海道で自給自足の生活を行っていた、当時、78歳の弁造さんと出会った奥山さんは、その後、92歳で弁造さんが亡くなるまで、北海道に通って撮影を続けた。一人の人間に対して、これだけ丁寧に、誠実に、敬意をこめて向き合い続けるという人間の魂の崇高さが彼の写真に溢れている。
 思えば、私が奥山さんと会ったのは、ちょうど10年前だが、その時、彼は、彼が住んでいる岩手の風土の中で生きる人たちを撮り続けていて、その写真の方を、私が編集制作をしている「風の旅人」の誌面で発表したいと考えていた。
 しかし私は、奥山さんが取り組んでいる写真をいくつか見せてもらい、その中で、世の中に発表するためのものではなく自分自身の中の言うに言われぬ思いにしたがって撮っていた弁造さんの写真に惹かれ、そちらを風の旅人に掲載したいと提案した。彼は、まだ未完であるからと躊躇したが、私の考えは変わらず、風の旅人の第31号(2008年4月発行)で、数点の写真ではなく、写真と文章の構成で、かなりのページを割いて発表した。
 その後も、奥山くんは何年ものあいだ弁造さんのもとに通い続け、亡くなってからも北海道にある弁造さんのアトリエや手作りの庭に通い続け、このたびの写真集を完成させた。自分の仕事を人に誇示するためではなく、弁造さんの魂の足跡を形にするために。そうして、弁造という無名の芸術家は、無名ながらも一人の芸術家として、その人生とともに歴史に刻まれるような存在になった。一人の人生としてこんな幸福なことはないと思う。

 最近、古代への関心を深めるにつれ、あらためて、時代を超える普遍性というものについて考えている。
 芭蕉は、西行の生き方や西行が創造した世界に憧れていたが、西行が生きたのは、芭蕉の500年前。そして、西行が生きた時代から、柿本人麿が生きた万葉の時代までも約500年の間がある。
 それに対して、芭蕉が生きた時代から我々の時代まで350年ほどしか経っていない。
 芭蕉西行の世界を自分ごとと感じたように、西行万葉集の世界を自分ごとと感じたように、そして、芭蕉が、西行が感じた万葉集の世界を自分ごとと感じたように、つまり500年や1000年の時空の隔たりと関係なくつながったようには、我々は、過去の普遍につながりにくい時代を生きている。
 しかし、奥山さんのこの写真集の世界に没入していくと、芭蕉西行万葉集の世界とつながっているものがあると感じられる。
 自然と通い会う心、人間の孤独、人と人との心の通い合い、しかしそれだけなら、芭蕉西行の凛とした美しさ、気高さのようなものにならず、自然や人と人との触れ合いの大切さを説く現代社会に特有の啓蒙活動や、政治的スローガンに利用される資料にしかならない。
 奥山さんと弁造さんの世界にあるのは、集団の流れに乗ることがなく、媚びたり迎合することもない、一人の在り方としての矜持、自恃の、透明な美しさだ。
 芭蕉西行の矜持と自恃が、その時かぎりの美しい営みとして歴史の流れに消えていかなかったのは、歌や俳句という形を刻むことに、一途な思いを持ち続けたからであり、奥山さんが撮った弁造さんの生き様もまた、同じだった。弁造さんは、絵を描くことによって何かを刻もうとしていた。その言うに言われぬ何か、人間は、実益や地位や名声や合理的目的など小賢しい分別によって物事を行うだけではなく、どれだけの努力をはらっても成し遂げようとする何かがある。他者にはなかなかわからないその複雑精妙な純真は、矛盾も孕んでいて危ういものであるけれど、おそらく、古代から変わらず人間はその感覚を持ち続けてきた。だから、1000年の年月を超えても通じるものとして感じられる。
 奥山さんは、弁造さんの中に秘められた一途な何かに惹かれて、手探りで、写真という方法によって、弁造さんの痕跡を刻んでいった。
 そのように他者の内面に深く沈潜していく奥山さんの持続的な探求の結果、弁造さんの姿から滲み出てくるものに対して、10年前にも直感したことだが、芭蕉西行が残したような”普遍性”を、私は強く感じる。
 こういう作品が、たった300部しか作られていないということは、残念であるというより、歴史の普遍性とは常にそういうものだった、とも思う。普遍的なものは、同時代の水平軸には広がらなくて、500年、1000年の時空を超えて垂直につながっていく。

奥山淳志ホームページ。写真集の販売はこちらから
http://photography.atsushi-okuyama.com/