第960回 もののあはれを知る二つの東京 (第4回・完)

 (第3回から続く
 時は不可逆であり、過ぎたことを悔やんでもどうにもならない。
 それが、ものの限界である。しかし、ものの限界を知る時に初めて、ものの価値をリアルに感じられることもある。
 ”限りあるもの”との出逢いは偶然であり、二度と同じ形での出逢いはない。私たちの人生は、偶然が無限に積み重なってゆくが、それらの出逢いを通じて自分の中に生じる喜怒哀楽、感謝や尊敬や畏怖などは、自分にとっての必然である。
 そうした個々のかけがえのない縁の大事を知り、限りあるものとの関係の仕方を弁えていることが、もののあはれを知ることであり、それが日本文化の要であった。
 1000年前に書かれた源氏物語が、もののあはれの文学と言われるのは、それがゆえんであった。
 源氏物語の中で理想的人物して描かれる光源氏は、その外見よりも、内面がより重要であり、もののあはれを知るとはどういうことかが、言葉で幾層にも重ねて綴られている。
 さらに、この物語のなかで、主人公である光源氏さえも、限りある存在であることが当然であるから、ホームドラマで描かれるように主人公が死んでドラマも終わるということにはならない。物語の途中で、光源氏はいつの間にか消えてしまい、遺された人々の心の中に生き続けながら、子孫の物語は、まだまだ続く。こうした物語の展開のさせ方にも”無常観”が反映されており、桜や紅葉に対する思いと同じで、日本人の美意識の基本である。
 世の無常に対して絶望し、投げやりになるのではなく、そういうものと弁えたうえで、限りあるものに心を尽くすこと。
もののあはれを知る二つの東京 第2回」で取り上げた鬼海弘雄さんの写真集「Tokyo View」と、


有元伸也さんの写真集「Tokyo Circulation」は、人物が写っているかいないかの違いがあるが、共通しているのは、限りある人やものとの偶然の縁を大事にして深く心が尽くされていることである。だから、必然的に、全ての写真から作者の心の機微が滲み出てくる。

 そもそも写真行為の原点は、自分の目の前のものを、この瞬間だけでなく後々まで残したいという願いであった筈だ。
 今、見ているものがいつまでも、どこにでも存在するとしたら、写真など撮る必要がない。
 ものには必ず限りがあるという意識が、写真行為と直接的につながっている。どんな表現活動も、永遠を願う気持ちとつながっているが、なかでも写真行為は、一瞬の偶然と、永遠の必然との間の大きなギャップを埋めることを目指す表現である。
 自己表現ブームの中で、素人とプロの区別なく、自己をアピールするための手段として写真行為が行われるようになった。被写体となる”もの”は、間に合わせの素材でしかなく、使い回しをされる広告代理店の企画書のように見栄えよく飾られるものとなった。
 それゆえ、被写体も、それらの写真も、消費社会の中の入れ替わりの激しい消費財の一つにしかならなくなった。
 私たちが身体を持つ生物であるかぎり、一瞬と永遠のあいだのギャップからは、死ぬまで解放されない。
 しかし、私たちの宇宙は全体と細部が相似形であるから、一瞬と永遠は相通じ合っている。
 だから、今、目の前にあるものを疎かにすることは、永遠へと至る道を放棄することでもある。
 今、目の前にあるものの価値を切実に感じることが、もののあはれを知ること。それは、心のどこかで申し訳なく思い、心のどこかで感謝し、そのものを深く愛すること。
 写真を撮る人間が、自分の目の前にあるものに対して、こうした愛を感じているならば、簡単にシャッターを切れないし、シャッターを切っても、安易に現像しプリントを焼くことなどできない。世間の評価を得るために、コンピューターをいじって画像処理することにも躊躇が生じるだろう。
 そういう畏れ多い気持ちと同時に、限りあるものを永遠に遺したいという愛着や哀惜も強いゆえに、撮影行為を止めるわけにもいかない。どんなに時間がかかっても、何度もくじけそうになっても、一日中歩き続けて一枚もシャッターが切れなくても、ひたすら続ける。それは祈りの巡業に似たものだ。
 鬼海弘雄さんは、そうして40年にもわたり靴底をすり減らしながら撮影を続け、「Tokyo View」という一冊の写真集に昇華させた。有元伸也さんは、10年で「Tokyo Circulation」という形にしたが、おそらく、この仕事は、まだまだ続くだろう。
 それだけの思いで長く続けてきた写真行為であるから、これらの写真を収める写真集も、その心づくしに相応しいものでなくてはならない。一瞬を永遠と重ね合わせるために、写真集の発行元の禅フォトギャラリーも、かぜたび舎も、一切の妥協を行っていない。
 田舎の古い家にいくと、神棚の傍にご先祖様の肖像写真が掲げられていたり、写真館で撮った立派な家族写真が額装されていたりするが、そうした写真からは強いオーラが滲み出ていて、限りある一瞬のものが永遠に昇華されていることを感じずにはおれない。
 ”もののあはれ”を知ることは、ものには終わりがあることを知るだけでなく、終わりがあるがゆえに永遠に近づけることを知る感覚だ。
 そういう意味で、写真というのは、もののあはれが、もっとも強く現れ出やすい表現だろう。親しかった故人を振り返る時なども、写真ほど胸を締め付けられるものはないのだから。
 しかし、写真は、”もののあはれ”との関わりの深い俳句が陥りやすいように、「仏作って魂入れず」になりがちな表現行為でもある。
 それは、これらの表現スタイルは、観念による説明分別よりも実際の物事を重視するため、考えに考え抜いた末に思考から自由になる境地と、何も考えていない状態が、形としては同じになってしまうからだ。
 しかし、何も考えないと、悔いや惑いも生じず、ものの限界を痛切に知ることができない。
 そこには、”あはれ”はない。
 日本が、伝統的に”もののあはれ”を知る文化を育んできた背景には、台風や地震などの天変地異が多く、四季があり、山や海など多彩な自然環境に恵まれ、生物の生と死の循環を頻繁に目のあたりにする自然風土があった。
 釈迦が説くように、「およそ生ずる性質のものは、全て滅する性質のものである」。
 「夏草や兵どもが夢の跡」芭蕉
 必滅の真実を受けとめ、喪失の哀しみや苦しみを美に転換させること。この国の芸術表現の神髄は、そこにあり、だからこそ表現は祈りであり救いであった。
 全ての限りあるものは、何一つ無意味なものはなく、普遍を構成する巨大な織物の中に、精密に組み込まれている。いのちを与えられることは、有機物か無機物に関係なく、その織物の中で何かしらの役割を与えられていることであり、その気づきこそ、瞬間が普遍につながるタイミングである。
 鬼海弘雄さんと有元伸也さんは、現代の東京という、日本人が経験したどの時代よりも物事が激しく移り変わる場所で、必滅が定められているものの写真を一枚ずつ織りこみ、普遍の模様と循環を描き出している。
 それを見る者は、一瞬と永遠のあいだに立って、慈しみや哀れみ、畏れや敬い、といった感慨を覚えるかもしれない。それは、限りあるいのちを大切にしたいという気持ちとどこかでつながっている。
 日本人が時を超えて育んできた”もののあはれ”を知ることは、この二つの写真集のように、表現の形を変えながら、過去から未来に向かって、一期一会を繰り返しながら連鎖していくのだろう。(完)


 『Tokyo View』(写真家 鬼海弘雄)の詳細はこちら→
 『Tokyo circulation』(写真家 有元伸也)の詳細はこちら→