第933回 鬼海弘雄さんが、30年も撮り続けたストリート写真の決定版。

 

20160206_223716_3

 鬼海弘雄さんのストリート写真集の決定版の完成は、まもなくです。

 鬼海弘雄さんが、30年以上もかけて、ハッセルブラッドカメラで一枚一枚、丁寧に撮り続けてきた東京の街角の写真。

 カメラさえ持っていれば、街中を歩きながら興味深そうなシーンに焦点を合わせ撮影することは誰にでもできる。事実、そうした写真は、世の中に溢れている。携帯カメラを持っていない人などほとんどいない時代の中で、かつてはカメラマンの表現スタイルだったスナップショットは、素人の偶然性にかなわないようになってしまった。報道でもそうだが、たまたまそこに居合わせた人がスマホで撮った写真やビデオが、後から駆けつけたプロの報道スタッフが撮ったものより遙かに説得力があると感じられたのは、もうあれから5年も経ってしまった3.11の東北大震災の時だった。
 絵画などに比べた時の写真の優位性は、そういう瞬間的な出来事を記録に収めることとされ、かつては写真家に、その役割が与えられた。しかし、そんな時代はもう終わった。ならば、写真家の存在意義はまったくなくなってしまったと言えるのか。
 そういう問いに対する私なりの答えが、このたびの鬼海弘雄さんの写真集の制作と発行だ。
 この写真集は、自分で言うのも何だが、街角スナップの決定版として、50年後も100年後も残り続けることを願って、写真構成、レイアウト、デザインから写真製版など、およそ2年間もかけて制作してた。鬼海さんは、決して妥協しない人だから、中途半端なものなら、それまでの苦労や努力など気にとめてくれず、「今回は辞めよう」という言葉が常に発せられた。普通なら、とりあえず作ってみて、気に入らなければ他の出版社で再挑戦しようと考える写真家もいるだろうが、鬼海さんはそういう人ではない。(今はどの出版社も写真集の出版に尻込みする時代で、自費出版共同出版など写真家負担で写真集を出すのではなく、出版社の負担で写真集を出せるだけでも幸運と考える写真家も多いが、鬼海さんは、まったくそういうことを考えない)。そういう人でないからこそ、30年以上もかけて、一切の妥協を排して、街角の写真を撮り、丁寧にプリントを焼き続けてきたのだ。
 偶然の瞬間のスナップショットは、いくらプロの方が構図やタイミングが上手だとしても、膨大な数の素人の偶然性によって撮られた瞬間を全世界的に集めることができる現在の環境の中で、太刀打ちできない。実際に、そういうものを集めたサイトで楽しんでいる人も多いだろう。しかし、30年以上という長い歳月、一切の妥協を排して撮り続けて、プリントを焼き続けて、そこに写っているものの背後の力、気配などに目を凝らしながら、何度も何度も街中に身を潜ませながら出来てきた写真は、時代を超えた何かが写っており、素人の偶然性では太刀打ちできない。
 写真家が生き残る道は、このように時間を超えた時空にアクセスしていく扉を作り出してこそだろう。そうなって初めて、数百年前の絵画や彫刻が、現在でも人々の心を打つように、写真表現、時代を超えた芸術になるのだろう。そうでないものは、その時代ごとの単なる表面的な記録でしかなく、人間の営みの普遍的真理への扉とはならない。
 鬼海さんのストリート写真集の決定版の完成は、まもなくです。800限定で制作する超大型写真集で、一枚ごとの写真を、プリント鑑賞するような感覚で味わえます。現在、予約を受け付けています。

鬼海弘雄さんの新写真集「TOKYO VIEW」を予約受付中です。


1436160284


風の旅人 復刊第6号<第50号> 「時の文(あや) 〜不易流行〜」 オンラインで発売中!

Image

*「風の旅人だより」にご登録いただきますと、ブログ更新のお知らせ、イベント情報、写真家、作家情報などをお送りします。 「風の旅人だより」登録→