第934回 鬼海弘雄さんの写真が誘うところ



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 昨日、鬼海弘雄さんの新作写真集「TOKYO VIEW」、印刷会社に校正紙を戻しました。


 鬼海さんの口からも、「納得のいくものになってきた、出来上がりが楽しみ」、という言葉が、ようやく出ました。

 この写真集に収められている東京の写真は、1970代の前半から最近までの40年間に及びます。日本の高度経済成長が少し陰りを見せ始めた頃からバブルの時代を経て、失われた20年が30年になりそうな今に至るまで、日本が目的を失って迷路の中に彷徨いこんでいる時に、鬼海さんも、東京の迷路の中に深く潜入していったのです。

 しかし、その迷路は、鬼海さんの目には、決して悲観的なものではないようです。

 停滞とか迷いをネガティブにとられるのは、知らず知らず、近代合理主義というイデオロギーに蝕まれてしまっているからでしょう。

 成長することと問題を速やかに解決すること。それができる人間が優秀とされ、技術が、成長や問題解決を促進する。そういう期待から次々と新しいとされる技術が作り出され、新しいビジョンが提唱される。

 しかし、多くの人が、成長を新しさと思い込んでいるにもかかわらず、実際には、次々と表面的なことが入れ替わるだけで、内実はそんなに変わっていない。便利にはなったのかもしれませんが、便利であれば生活の充実感や人間関係の密度が増すのかというと、むしろ逆のことが多いです。

 何よりも人間にとって悲劇的なことは、合理性を追求するあまり、人間じたいが合理主義の対象になってしまい、役に立つ人間かどうか性急に決められてしまい、使い捨てされること。

 にもかかわらず、停滞や迷いを極端に恐れるようになってしまった大勢の人達は、安倍首相の演説のような、内容は空疎でも、”揺るぎのない態度で発せられる、単純かつわかりやすい答による成長と発展の筋書き”に期待してしまう。しかし残念ながら、世界はそんなに単純なものではないから、結局、何一つうまくいきません。

 社会や世界という大きな舞台のことを考えることは、もちろん大切ですが、ひとまず自分自身の人生のこの40年を振り返ってみると、どうでしょう。

 近代合理主義の支配的価値観であった、「より速く、より便利に」という価値観の中にどっぷりいた瞬間を、どれだけ愛しく思い返すことができるでしょうか。

 より速く、より便利にという欲求は、自分自身の中から生まれたものというより、たとえば自分が所属する組織や、メディアの情報などに急き立てられて、みんなと同じようにそうしていただけのようにも思います。本当はもっとのんびりとしていたり、無駄かもしれないけれど興味深そうなところに寄り道したり、苦労はするけれど自分で納得いくようにやってみたかった、ということは多い筈です。

 私の場合、新幹線であっという間に通り過ぎていった時間などほとんど思い出せず、ヨーロッパでヒッチハイクをしていた時、5時間ものあいだ車が止まってくれず、ひたすら道ばたに立ち尽くしていた、あの無駄な時間を鮮烈に思い出したりします。その時は辛かったけれど、後から振り返ると、愛しく、かけがえのない時間。人生を彩るのは、そのように答えが得られず何かに耐えていた時間だったりするのです。

 消費社会のサイクルは早く、新しいとされるものはものは、またたく間に古びてしまい、人も物も、すぐに消え失せてしまい、個々の物語が無化されてしまいます。

 鬼海さんが撮る写真のユニークさは、そうした消費社会の価値観から排除されたり落ちこぼれてしまったものの側から、人生の本質の扉を開けていくところです。

 標準化されてステレオタイプに処理されてしまう新しさではなく、個々の、語れば長くなるだろう特徴的な物語が、そこにあります。だから、どの写真も古びた感じがしないのです。

 おそらく、多くの人は、まだ近代合理主義の価値観に囚われたままですから、鬼海さんの写真を不思議だなあと思うことはあっても、そこに潜む魅力にすぐに気づけないかもしれません。

 それでも、これらの写真をじっくりと見続けていると、見えてくるものがある筈です。

 資源も、人生も、無限ではありません。限られた中で、速さや合理性を競うことのナンセンス。食べ物と同じで、その味わい方を深めていくべきだという当たり前の真実。

 鬼海さんの写真は、IT技術のような入れ替わりの激しい新しさとは無縁だけど、一枚一枚の味わいの深さが飛び抜けており、そういう意味で、時代のメルクマールなのだと思います。
鬼海弘雄さんの最新写真集、「TOKYO VIEW」は、800部限定です。

鬼海弘雄さんの新写真集「TOKYO VIEW」を、ホームページで予約受付中です。

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