第938回 アナログの魅力

 昨日、ブログで書いたことを少し矛盾しているが、今日、溝の口で写真家の鬼海弘雄さんと会った時に、アナログの魅力についての話しになった。
 google play musicやアマゾンのプライムビデオで、音楽や映像その他が見放題、聞き放題になることで、中途半端なものは全てそのなかに放り込まれてしまい、評論家や、商売上手な輩があれこれ持ち上げようとも、かつてほど、人々は簡単に誘導されなくなるだろう。
 しかし、そういう状態になった時、それまで商売っ気がなくて、商売上手な人達の賑やかなプロモーションの陰に隠れてしまっていたものが、きちんと評価される土壌ができる可能性もある。写真の場合も、デジタルかアナログかということが議論された時もあったが、そういう議論はもはや意味がなく、膨大なコンテンツの中に一緒くたになってしまうものと、他とは明らかに違うものが明確に分かれるだけだ。
 アナログだからいいということではないが、手間暇をかけてやらないと対象を損なってしまうという意識で丁寧に取り組まれたものは、言うに言われぬ何かが宿っており、最後は、その微妙な差が、物を言うのだ。
 鬼海さんと会って、そういうことを考えていたら、夜のニュースで、近年、CDの販売は大きく下がり、音楽配信の売り上げも頭打ちのなかでアナログのLPレコードの売り上げは伸びているというと伝えられていた。全体の中で占めるシェアはごく僅かなものだが、LPレコードとデジタル音楽の差に、価値の差があると感じている人が増えているということだろう。
 部屋の中を照らす電球にしても、最近はLEDランプの価格が下がったこともあり、電気代とか電球の耐用年数に優れているLEDに切り替えることが多くなっている。確かに、通常の場合にはそれで十分だし、経済効果も高いが、白熱球に照らされている時の落ち着きは、LEDランプだと得られない。だから、白熱球の下で費やす時間もとっておきたい。白熱球全盛の時にはそういう感覚になることはなかった。LPレコードにしてもそうだ。だから、写真もきっとそうなんだろうと思う。
 デジタル写真が社会全体を覆い尽くすのは仕方がないにしても、だからといってアナログ写真が絶滅するわけではないだろう。もちろん、効率性と合理性が求められる日用品としてのアナログ写真は存在しえないが、表現に特別なものを求めるなら、アナログ写真の希少性はとても重要だ。デジタル配信の音楽とLPレコードの違いのように、またLEDランプと白熱球の違いのように、人間の心の深いところに働きかけてくる微妙な何かがデジタル写真よりもアナログ写真にある筈で、その微妙な何かが、けっこう大きな意味を持つようになるのではないだろうか。
 そういう思いがあるからこそ、私は、超大判の紙の製本で、鬼海弘雄さんの写真集を作ろうとしている。時代錯誤かもしれないけれど、人間が人間であるかぎり、合理性では計りきれない微妙な差を大事にしたいという感覚を捨ててしまわないと思うから・・・・。

鬼海弘雄さんの最新写真集「TOKYO VIEW」は、書店での販売は行いません。ホームページでお申し込みを受け付けております。詳細はこちらをご覧ください→