第1006回 ありのままを伝えることの深み〜ジャン-ウジェーヌ・アッジェと鬼海弘雄の街の写真〜

撮影:ジャン-ウジェーヌ・アッジェ


 一昨日、神戸まででかけた時、もう10年以上、連絡もしていない同郷の写真家のことを、ふと思い出した。
 そして、驚いたことに、昨日、突然、その写真家からメールがきた。
「佐伯さん、お元気ですか。素晴らしい写真集を作られましたね。アッジェの写真が写真の原点だと僕は思っていますが、そのアッジェを彷彿する見事な写真です。鬼海さん恐るべし!」
 
 どうやら彼は、どこかで私が作った鬼海弘雄さんの「Tokyo View」の写真集を見たらしい。上記の褒め言葉とともに、彼は、この写真集を一冊、注文をしてくれた。
 久しぶりの連絡にも驚いたが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェという写真家の名前が出たことに、神様の啓示のようなものを感じた。
 私が、鬼海さんが40年に渡って撮り続けた街の写真を一冊の写真集にまとめて世に送り出す決意の底にある大切なことが、アッジェの写真の中にあるからだ。
 船員、役者などを経て、40歳を過ぎるころに写真家になったアッジェ。(鬼海さんも、トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組など様々な職業を経て写真家になったので、似ている。)
 アッジェは、20世紀初めのパリの街並を写真に撮り、それを、ピカソユトリロブラマンクなど画家に売って生計を立てていた。一枚の写真が、一食分だったそうな。
 ドラクロワの頃から、写真をもとにして絵を描いていた画家は多かった。19世紀、写真家は表現者ではなく、画家に素材を提供する人間であった。そして写真の発明から約半世紀を経た19世紀後半、写真技術者は、表現者として自己主張をし始めるようになり、絵画表現の後追いをするように、合成や修正などによって絵画的に見せるピクトリアリズムという小手先の技術の迷路に陥るものが多かった。(現在と状況は似ている)。
 そんな時、”写真は絵画から独立した独自の芸術である”として、「自然主義写真術」を唱えたのが、イギリスのピーター・ヘンリー・エマーソンだった。
 写真は、文学や絵画と同じように立派な表現である。しかし、あくまでも写真の特性を最大限に引き出すことが大事であり、絵画のような見せ方をすればいいというものではない。エマーソンは、ありのままの光景を写真におさめる写実主義表現を通して、写真の芸術性を追求した。
 エマーソンの影響は大きく、写真の歴史では必ず登場するアメリカのアルフレッド・スティーグリッツもその一人で、20世紀の写真表現が、そこから始まった。
 しかし、”写真という独立した芸術”という意識ばかりが先に立って、再び、作為的で意図的に画面をボカしたり粗くしたり、合成したり、見た目の印象の強さばかりを追求する写真表現が増え、それは、現代でも続いている。
 ”ありのまま”を伝えるところに他の表現とは一線を画す写真ならではの持ち味があるにもかかわらず、”ありのまま”の奥深さへの道を探求する写真家を見つけることは、今日でも非常に難しいが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェという写真家は、まさに、その象徴的存在だった。
 彼は、41歳のときから30年間に約8000枚を撮ったが、ステーグリッツなど、華々しく活動する同時代の写真家のように、自分の気持ちのおもむくまま写真を撮ったのではなかった。だから、生きているあいだに、表現者としての自己を主張することもなく、そういう評価も与えられなかった。しかし、彼の死の一年前、彼の写真はマン・レイを中心とするシュールレアリズムの画家たちに認められて、「シュールレアリスト革命」創刊号の表紙を飾ることになる。しかし、その時ですら、アッジェは、「これは単なる資料にすぎないから」と、自分の名前を出すことを頑なに拒んだと言う。
 そして、死後、彼の膨大な写真作品が発掘される。
 アッジェが撮ったありのままのパリの街並みは、作為的処理がなされていないのに、なんとも生々しい質感と存在感がある。彼は、写真最大の強みである”記録”に徹しているだけだが、単なる資料としての記録を超えて、人類の”記憶”が、そこにとどめられている。自分の魂が肉体を抜けて、その人類普遍の記憶の中を漂うことができるような、そんな感覚だ。
 肉体を持つ人間は、限られた時空の中しか経験することができないが、魂の感覚として、肉体が行けなかった時と場所を体験することを可能にする写真。この魂に食い込む感覚は、世界中の珍しい光景を記録に収めて旅心を誘う類の観光写真とは明確に異なる。
 おそらくアッジェは、匠のような鋭利な感覚と技術を備え、邪念や作為を持たず、ましてや矮小な自己承認欲求などもたず、黙々と対象と関わり続けた。だから、軸をぶらすことなく、同じことをずっと継続することができた。
 アッジェが活動したのは、100年前のフランス。
 そして、現在の日本には、鬼海弘雄がいる。人類の足跡の記録を、人類普遍の記憶にできる稀有なる写真芸術家の一人として。おそらく、そういう存在は、同時代に、一人か二人しかいない。
 その記憶を形として明確に残すために、私は、鬼海さんの街の写真集を作った。
 私が言うまでもなく、鬼海さんは今日の日本を代表する写真家であり、すでに国際的にも高い評価を得ている。しかし、その鬼海さんの評価は、浅草で撮り続けたポートレートやインドの写真に負うところが多い。鬼海さんが取り組んできた対象は、一つひとつにじっくりと時間をかけるため、非常に限られていて、この二つ以外には、トルコ、そして、今回、私が写真集を制作した東京の街くらいのものだ。
 鬼海さんの浅草のポートレートや、インドの写真は、確かに素晴らしく圧倒的で、ポートレートは、高名なダイアンアーバスを超えていると私は思うし、世界中に無数のインド写真が溢れているが、鬼海さんのインドの写真を一度でも見たことがあれば、有象無象のインド写真の中から一瞬で鬼海さんの写真を選別できる。それほど他と際立っている。
 しかし、それでも敢えて言うが、東京の街の写真こそが、鬼海さんの真骨頂なのだ。なぜなら、インドや浅草の写真は、鬼海さんの匠の腕があってこそだけれど、被写体そのものの魅力が大きい。つまり、料理人でいえば、癖があって二流の料理人では上手に料理できないけれど、一流の料理人の手にかかれば、素晴らしいものになるという世界だ。
 それに比べて、東京の街を撮った「Tokyo VIew」は、雑草の中に埋もれている山菜を見つけ出して、よけいな手をくわえずに、その繊細な味を見事に引き出している料理だ。インドや浅草の写真は、「うめえ! こんなの食ったことない!」と食べ応えもあり、感嘆の声が出やすいもの。それに比べて「Tokyo view」は、なんともいえないしみじみとした香り、ホッとするような味が滲み出てきて、余韻が広がる出汁のうまさ。色々と美味しい物を食べ尽くしてきた人、つまり色々と素晴らしい写真を見てきた人にしか、その良さは、心底わからないかもしれない。
 様々な分野のコレクターが最後に行き着くのは”石”という言葉があるが、なんでもない表情の中に、深遠なものを見出すためには、受け手側にも、それだけの経験が必要になる。
 そして、そこまでたどり着いている人は、華美なものや大仰な刺激など求めず、シンプルで深遠なものを味わい尽くすことができるので、それを毎日のように眺めても飽きることがない。
 鬼海さんの「Tokyo View」は、まさにそういうもの。
 写真は文章と違って見れば誰でもわかるものだと思っている人が多いが、実は違う。
 テレビ映像のように、注目を集めさせたいポイントをクローズアップする誘導的な映像体験に染まってしまうと、テレビのような恣意的ではない写真、見る人が自分で何かを発見しなければならない映像からは、何も感じ取れないということが起こってしまう。
 化学調味料で味付けをした刺激の強い加工商品ばかり食べていると、山菜の味とか香りがまったく感じられなくなるのと同じだ。
 悲しいかな、わかりやすく誘導的な写真に慣れすぎた人が多すぎるので、発行される写真集、評判のいい写真集、売れる写真集も、そういうものばかりになってしまう。
 だから、「Tokyo view」が、世間で評判になったり、バカ売れすることはあり得ないとわかっていた。
 しかし、アッジェの写真のように、「Tokyo View」が、歴史的な記憶になることは間違いないと確信していた。だから、コストは上がっても、写真の力を最大限に引き出す写真集でなければならなかった。数年で飽きて捨てられたり、みすぼらしくなるような安っぽい装丁にするわけにはいかない。 我々が20世紀前半のアッジェの写真に対して抱く気持ちのように、100年後の人間が「Tokyo view」の写真集を見る時、写真だからこそ現すことができた驚くべき世界を、時を超えて堪能できる喜びと幸運を感じてもらえるものにしなければならなかった。そして、アッジェの100年前のパリと同じく、40年ほど前に鬼海さんが撮影した街の写真と同じような光景が今もあることに現在の我々は何とも言えない感慨を覚えるが、100年後も、同じような深い感慨を抱く人がけっこういる筈であり、そういう時を超えたつながりを、私はイメージしている。
 いくらマン・レイに請われても自分の名前を出すことを拒んだアッジェは、いったいどんな思いで、長いあいだ、同じような写真を黙々と撮り続けたのだろう。
 鬼海さんの「Tokyo View」の写真を見ていても、40年にもわたって、鬼海さんはどんな思いで写真を撮り続けていたのだろうと、ふと考えてしまう。
 そういう他人には計り知れない気持ちを抱えたものは、人の心を惹きつける。
 ”自分の気持ちのおもむくまま”写真を撮っていると、トークショーや対談などで、誇らしげに語る写真家は多い。対象に向かう時の自己中心のスタンスの正当化は、写真業界を支える趣味の人にとっても自らの正当化につながるので心地よく、共感もされやすい。
 しかし、自己中心を語る人の写真は、それを見ても、いったいどんな思いで写真を撮り続けているのだろうという謎めいた気持ちになることはない。そこに写っている対象の奥行きよりも、撮影者の自己承認欲と自己顕示欲が、明確に透けて見えるからだ。いくら当人が、謎めいた演出を施そうとしても、そうすればするほど、意図と思惑が浮かび上がる。 
 鬼海さんや、アッジェは、自分の気持ちのおもくままではなく、対象の尊重が常に先にあった。
 政治もテレビも、”コンセプト”という狙いや思惑が透けて見えるものが多く、その中で自己の主張の仕方の優劣が競われ、そういう安易なものばかりに触れていると、人間が底の浅いものに感じられ、人間そのものへの敬意や信頼がゆるぎがちになる。
 写真も含めて芸術行為は、人工の賜物であるが、一体なぜそこまでの努力をし続けているのか、安っぽい言葉に簡単に置き換えることのできない深遠で具体的な形や物や行為に触れる時、人間の計り知れない奥行きを感じる。
 ともすればゆるぎがちな人間性への信頼を取り戻す回路こそ、今、もっとも必要なことで、芸術表現は、そのためにあると言っても過言でないと思う。
 斬新的であるとか、カッコいいいとか、すぐに消費されるような言葉で賞賛される程度のものではなく、その作品そのものが、人間とは何か、自然とは何かと、世界とは何かと、計り知れない問いをジワジワと問いかけてくるもの。
 歴史を振り返ってみても、レオナルドダヴィンチ、デューラーセザンヌ長谷川等伯紫式部俵屋宗達ドストエフスキーなど時空を超えているものは、みんなそうだ。
 写真の世界は、他の表現ジャンルと比べて歴史が浅く、他の表現分野では通用しない制作者の意図が見え見えのものが、いいね!と賞賛されたりする段階の表現分野であるが、ジャン-ウジェーヌ・アッジェや、エドワード・カーティス、そして鬼海弘雄といった人たちの仕事が、きっと100年後には、まさにこれこそが写真にしか現せないものとして、より明確に認識されているだろう。記録を記憶にする力こそ、写真に勝るものはないという認識とともに。
 今後ますますデジタル記録に依存する社会状況の中で、記録ではなく記憶こそが、人間の心を養い、満たし、救う力だと気づかなければ、因果を安易に結びつけるわかりやすさ、取り組みやすさ、数字の上げやすさ、といった効率ばかりが追求され、計算や打算が見え見えの殺伐とした現実ばかりが広がっていくことになる。
 写真の真価が問われるのは、これからなのだ。ノイズがあまりにも多くて、その真価は、見失われがちだが。
 それはいつの時代でも同じ。大事なものが本当に必要になる時、その大事なものを見る目が曇らされる。


鬼海弘雄さんの街の写真の魅力が少しでも伝わるよう、「Tokyo View」の専用ページを作りました。
https://kazesaeki.wixsite.com/tokyoview