第1018回 核と鎮魂(2)

 昨日、参加してきたイベントは、「核と鎮魂」であり、決して、「核の鎮魂ではない。
 「と」と「の」の違いだけれど、この違いは目が眩むほど大きい。イベントの途中、この違いの大きさをわかっていない登壇者もいたが、この違いが行き渡るような場でなければ、核の問題に対する考え方は、対立構造が深まるばかりで、先には進まない。
 「核の鎮魂」という具合に、二つの言葉のあいだに「の」を使ってしまうと、「鎮魂」という言葉を使って高レベル放射性廃棄物の処分について検討するという、”厄介ものの始末”という程度の意識でしかなくなる。
 それに対して、二つの言葉のあいだに「と」が入ってくると、”核”と”鎮魂”が並列であるということだ。
 核(高レベル放射性廃棄物)は、始末できるかどうか、わからない。もしかしたら永久に始末できないかもしれない。
 ずっと人類のそばに残されたまま人類を脅かし続けるかもしれない。安全に片付けるための方法など聞いても、それは気休めにすぎない。だからといって、その片付け担当に指名されている人に対して、本当に大丈夫なのか!と攻撃しても何にもならない。特定の担当者で始末できるような問題ではない。
 高レベル放射性廃棄物は、どういう手を打とうが、絶対に安全とは言えない状態で、ずっと残り続ける。そういうものを人類は作り出してしまった。
 自分もその人類のひとりとして、この人類に対してどう向き合えるのか。鎮魂の問題はそこにある。
 この問題は高レベル放射性廃棄物だけとは限らない。
 鎮魂の問題を考える時、水俣病のことで作家の石牟礼道子さんが紡ぎだした祈りの言葉を思い出さざるを得ない。『苦海浄土』は、2000年後、私たちがソクラテス老子ブッダを記憶しているように記憶されているだろう。
 なぜ紀元前500年の頃、古代ギリシャ、中国、インド、オリエントで、現代においても色あせていない、それどころか益々重要な感じがする普遍的な思想哲学が生み出されたのか、現代に生きる私たちは、あらためて考えてみる必要がある。
 現在の原爆や高レベル放射性廃棄物水俣病と同じように古代人が深刻に受け止めざるを得ない問題があった。 
 その恩恵によって耕作地が広がり食料も増え、人口も増えた。同時に、それまでになかったような激しい殺戮と自然破壊と、自然が破壊されたことによる報い、たとえば山の木がなくなったことで頻発した洪水や土石流があった。古代の聖典に描かれている、地域は違えど似たような「最後の審判」の模様。
 それは、時代と関係なく、人間の行うことの行き着く果てには同じようなことが起こるという啓示であり、そのことを知っていた預言者は、過去を引き合いに、これから何が起こるかを説いていた。
 2500年くらい前に頂点に達した文明の起点となったのは、鉄器が一般社会に普及したことだ。
 鉄という新しい手段は、それまでの生産や戦闘の在り方を劇的に変えた。
 現代を生きる我々にとって、「鉄」と「核」では、比較にならない。しかし、初めてそれを手に入れる時に起こる人間の内面の変化や社会変化は、そんなに違わない。それを使って、今まで以上に生産性を高めたい、それを使えば、今まで以上に自分を脅かす敵にダメージを与えることができるという妄念。そして、それは必ず、仇となって自分に帰ってくるという結末。その結末に向き合わざるを得なくなった時に生じる傷みと、その治癒のための哲学の創造。時代を超えて、この展開は変わらない。 
 まったくの独断だけれど、高レベル放射性廃棄物の問題に関して、けっきょく日本人は、日本人特有のメンタリティで対処することになるのではないかと私は思っている。
 日本人は原理的な対応は苦手だ。つまり、どこか一箇所(六ヶ所村)で再処理をして、どこか一箇所に永久に埋めるという結論に日本人は至ることができない気がするのだ。
 良きにしろ悪きにしろ、古くから日本人は、物事に対して、その場しのぎの形で、なし崩し的に対応しながら、そしてそれに手をくわえながら、やってきた。
 原理を解明して物事を進めるのではなく、目の前の現実にとりあえず対応すること。それは震災国ゆえの生存学だった。
 このメンタリティはそう簡単に変わらない。だから、高レベル放射性廃棄物の扱いの今後の流れは、私の予測では、中間貯蔵施設での仮置きというのが定番になっていかざるを得ないという気がする。
 今のままでは、放射性廃棄物の処理が進まない六ヶ所村のプールは満杯、そして日本全国の原発のプールの水の中で危うい状態で置かれている高レベル放射性廃棄物は、プールのキャパシティが限界のため仕方なく間隔を詰めて保管しようという恐ろしい発想になっている。
 このまま各原発のプールに置いておくわけにはいかない、かといって六ヶ所にも持っていけない、とりあえず今よりは安全な形で、再処理をしていない状態のものを保管せざるを得ない。とりあえず50年という上限を決めて。
 仮置き期間の上限を決めたら、むつ市のように、それを承諾するところが出てくる。原発が存在して、そこのプールに高レベルの放射性廃棄物が置かれているところは、3.11の震災の時の4号機の恐ろしい状況を知っているから、原発がある近くに、今よりは安全の仮置きという大義名分で中間貯蔵施設を作ることを受け入れるしかないのではないのではないだろうか。
 そのようにして、各地に中間貯蔵施設ができる。50年経てば、また新たな施設を作って、そちらに移す。そうしながら、最終的にどうするべきか対話を進めていく。
 つまり、性急な始末などできず、長い時間をかけて、覚悟を決めて恐る恐る付き合っていくしかない。そのプロセスにおいて、私たちが作り出した文明に対して、どのように向き合い、意識を深め、これまでと違う哲学と価値観のもと、暮らしの作法を変えていけるかどうかが大事なポイントのような気がする。