第968回 ドナルド・トランプの勝利と、資本主義の曲がり角⑤

 ④から続く

 今回のドナルト・トランプの勝利後の世界について、漠然とした悲観論や不安を軸にした分析を行う社会学者やジャーナリストは多い。
 そうした分析は、もしかしたら80%は”間違いではない”かもしれない。しかし、間違いではない分析だったとしても、その分析は、来るべき未来社会に対して何ら意味を持たないし、社会の活性化にもつながらないし、人間の意識も変えないし、警告にすらならない。
 警告にすらならない理由は、漠然とした悲観論や不安は多くの人がすでに共有してしまっており、やはりそうなのかと、その不安や悲観論を固定化するだけでの意味でしかないからだ。
 また、「未来は予測不可能」という言い方がなされるが、本当にそうだろうか。
 200年後の世界は予測不可能でも、20年から30年後は、予測可能ではないか。
 どの企業の株が上昇するとか、そういう具体的なことまでわからなくても、今後どういう方向性に進んでいくか、その可能性は、ある程度は想像できるのではないか。
 過去においても、15世紀後半から世界を侵略する大航海時代が突然始まったのではなく、14世紀からのルネッサンスがその準備をしていた。
 18世紀後半からの市民革命は、宗教戦争に明け暮れた17世紀前半から育まれていった近代意識が準備をしていた。
 ならば21世紀に構造変化が起こるとすれば、現時点でそれは準備されているはずだ。その準備とは一体何なのか深く考える必要があるだろう。
 たとえばソーシャルメディアにしても、今はまだ古い構造の中で使ううえでは便利なツールにすぎないが、次なる構造の下地になる可能性は秘めている。
 また、企業の海外現地生産なども、古い構造の中では生き残りのための苦し紛れの手だったかもしれないが、結果的に、現地に雇用を生み、現地から受け入れられ、新しい国際関係の切り札になっている場合もあり、その切り札が、次なる構造で大いに有効になる可能性がある。
 具体的には、例えばアメリカ軍が去って日本は中国からの攻撃を防げるのかといった議論もあるが、それぞれが自国の安定に必要不可欠な存在になった状態になることが、最大の防衛策という新しい構造ができる可能性だってある。
 人々の意識はどうだろう。たとえば自動車配車会社uberが誕生し、米国では車を購入しない若者が増えた。各種のシェアリングビジネスで、物を所有することに価値を持たず、物を持つことの不便さを意識する人が増えた。オークションサイトが当たり前のように使われ、リサイクルショップを利用する人も増えた。企業に勤めなくても収入を得る手段が増え、また安く生活する手段も増え、就職に対する意識も変わり、それとともに、進学に対する意識も変わってきた。こうした意識変化は、20世紀の大量生産、大量消費の構造を強化するために誘導された人間意識と、かなり異なり、21世紀の新しい構造を準備する人間意識となるかもしれない。
 もちろん、未来に向けての準備が、別の角度から見れば不吉なものに感じられることもある。
 たとえば数日前、イーロンマスク率いるスペースXが、4,425個の衛星を製造して打ち上げる計画を米連邦通信委員会FCC)に申請した。実現すれば、地球上のほぼすべての地域で高速インターネットが利用できるようになるという。高速インターネットを通じて、学校のない辺境の村でも、オンラインで教育が受けられて、そこから才能ある若者たちが次々と現れてくるなど、様々な新しい可能性がある。その反面、人間が作り出したものだから、それらの機械はやがて壊れる。現在、地球の上空には、すでに1万数千の人工衛星が存在し、その状況を確認することすらできる。http://www.gearthblog.com/satellites
 原発の作り出す放射性廃棄物と同様、簡単に回収できないゴミが、われわれの周りに溜まっていき、未来にいけばいくほど、それは増える。
 未来を左右する重要なカードは、これ以外に無数にあるだろう。
 未来の構造を決めていくのは、それらのカードをどう使うかという人間の意識であり価値観だ。
 ルネッサンスから17世紀に近代意識が準備されたように、未来に重要な影響を与える新しい意識が準備されているのか、それとも、人間の尊厳よりも人間が作り出す物や、お金(資本)の方に価値が置かれた近代資本主義の価値観が、これからも続いていくのだろうか。
 原発事故や原爆をはじめ、人間が作り出した物で、人間の尊厳など、木っ端微塵に打ち砕かれた20世紀から21世紀初頭。
 商品に少し欠陥があったというだけで、店のフタッフや企業の顧客窓口に、人を人とも思わない言葉でクレームをつける人の増大。
 近代資本主義というのは、資本家が、労働力以外には売る物がない労働者から労働力を買って、それよりも価値の高い商品を作り、その差額を利益として資本を増やしていくというメカニズムであった。だから、商品よりも労働者の価値が低い構造になっており、商品が、市場競争によって、また大量生産によって世の中に溢れるようになって、その価値が限りなく下がっていく(有り難みがなくなる)と、それを作ることに携わる人間の価値も限りなく下がっていく。
 物を手にいれる満足よりも、労働を提供する不満足の方が強く、その不満足を埋めあわせるために物を購入するが、それでも満たされないために次々と商品を捨てては新たな商品の購入を繰り返す。これが消費社会のメカニズムだが、この繰り返しで世の中に物がさらに溢れていくにつれ、人間の価値は下がり、不幸感が増していくという悪循環になる。
 この構造のなかでは、労働は美徳になりえない。
 労働が美徳になるのは、仮に商品に不備があっても、連絡を受けたら駆けつけてうまく修め、その対応に感謝されるような構造の中でこそだ。
 昔の職人は、そういう意味で、働くことが美徳になり得た。その人にしかできない仕事を持っている人は、現在でも、商品よりも自分を下に見られて尊厳を傷つけられるということはないだろう。
 幸福を考えるうえで、これはとても重要なポイントであり、未来の社会の構造を考える時に、このことを忘れてはならない。
 人に優しい社会などというキャッチフレーズで福祉の充実を謳っていても、ただ人にケアされるだけでは、人間は幸福になれない。一人ひとりが、他にとりかえのきかない自分であると実感できる何かが必要なのだ。
 それは、近代主義を支えてきた利己主義を”基”にした、自由、平等、権利(財産、友愛)とは違う。
 他に取り替えのきかない自分というのは、利他的なマインドを”素”にした、他者との関わりの課程で育まれるものだからだ。
 大手メーカーによる建売住宅を買った場合と、地元の大工さんと相談しながら作った家を比べればわかりやすい。
 大手メーカの住宅は、何かしらの欠陥や条件違いがあれば、契約書をもとに、場合によっては企業の顧問弁護士が出てきてやりとりをしながら、購入者は、自らの権利と自由を守ろうとし、企業の担当者も、家の価値から企業の利益や広告費やパンフレット代を引いて、下請け会社への支払いも引いたごくわずかな手数料の価値でしかないと相手に思われ、屈辱的な言葉を浴びながらの対応となる。
 地元の大工さんなら、何か不具合があればすぐに直してもらえるし、顔が見える関係なので、後々、何かあったら対応してもらえる安心感もあるし、メンテナンスなど先のことも十分に考えて仕事をしてもらえる。
 とにかく売ればいいというスタンスではない。仕事の報酬は得ても、マインドとしては、利己的ではなく、利他的なのだ。
 次なる時代の人間意識の準備が、こういうことでなければ、次なる時代も人間は幸福になれないだろう。
 近代資本主義には、人間の尊厳を傷つける構造的問題があった。しかし、だからといって、全て悪いということではない。
 近代資本主義にしろ、現在、知識人の多くが批判するグローバリスムにしろ、物がないことが不幸の原因となっている人々に物を行き渡らせる効果はあった。
 富める者を富ませ、何もない人たちを少しマシにした。世界に目を向ければ、貧困国とされていた国々の生活水準は間違いなくあがった。
 問題は、上にも書いたように、物が増えていくにつれ物の価値が下がり、それとともに人間の価値も下がるから、中間層とされる人々の下の方から、次第に貧困層になっていくということと、生きていくために労働を提供しているかぎり、商品よりも価値の低い労働という構造の中で、人間の尊厳の回復が難しいということだ。
 未来の幸福のためには、この構造を転換させていかなければならないが、これまでの問題の多い資本主義システムの中で、人間が自らの尊厳を傷つけながら作り出してきた物が、もしかしたら、構造転換の重要なツールになる可能性もある。
 そして、利己主義に基づく、自由、平等、権利(財産、友愛)では幸福になれないという気づきが、そのツールと結びついた時、それが次なる時代の準備となるかもしれない。
 そこに資本が関わっていくことで、お金の回り方が変わるかもしれない。お金の回り方が変わることで、社会の構造と、それを促進する人間意識が、より変化していくかもしれない。
 未来に対してネガティブなイメージはいくらでも想定できる。
 しかし、可能性は限られていても、そうでないストーリーも考えることはできる。
 イメージを持つことは自由であり、クリエイティビティは、自己実現の武器にはなるだろう。しかし、それだけでは足らない。
 望ましい姿のイメージと、その実現性のストーリーがあることで、クリエイティビィティは、より磨きがかり、大きな力を発揮できる。
 その結果として、わずかなポジティブの可能性が、小さな空論ではなく、もう少し大きく実際的なものになっていくと思いたい。

 ⑥に続く

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