第962回 若冲に還る。(前半)


 若冲は、「千載具眼の徒をまつ」という言葉を残した。
 やはり若冲はすごい。東京都美術館で行われた「若冲 生誕三百年」の展覧会は、待ち時間5時間という凄まじい人気だったようだが、10月30日に行った京都市立美術館の展覧会は、「動植綵絵」など人気作品が展示されていないこともあるが、混雑ぶりはそれほどひどくなかった。しかし、繊細、大胆、融通無碍なモノクロ作品がふんだんに展示されていて見応えがあり、若冲の魅力を思う存分味わうことができた。
 若冲は、明治以降、2000年に開催された没後200年の展覧会くらいまで日本ではあまり知られていなかったし、江戸末期から明治にかけて大量の浮世絵など日本絵画が海外に流出した時も、若冲の多くの絵が日本人の家や寺などに保管されて目に触れなかったためか、若冲の凄さは西欧に十分に伝わらなかった。
 そして長い歳月を経て、2012年のワシントンナショナルギャラリーで行われた展覧会で大発見される。その時の展覧会は、同美術館歴代3位、2012年世界美術館ランキングでも第2位の熱狂ぶりだった。21世紀になって、日本だけでなく、世界的に若冲絵画の魅力がクローズアップされてきている。
 もしも、モネ、セザンヌマチスという20世紀絵画に影響を与えた画家たちが、若冲の絵を十分に見る機会があったならば、どれだけ衝撃を受けただろう。
 印象派から後期印象派の画家たちが浮世絵をはじめとする日本絵画の影響を強く受けたことはよく知られている。しかし、若冲は、さらにその先を行っていた。セザンヌたちが目指していたところに、彼らの100年も前に到達していた。
 モネ、セザンヌマチスたちの西洋絵画史の中での業績は、写実や線遠近法からの解放などと評されることがある。デフォルメした造形と大胆な色づかいによって表現は自由になり、画家の眼差しは対象から自己の内面へと向かい、20世紀の抽象絵画の先駆けとなったと。
 19世紀前半のクールベなどの写実主義の絵画と比べ、その後のモネたち印象派の絵画やピカソたちの20世紀絵画は、たしかに、色使い、構成、フォルムなどが描き手の自由意志に委ねられているように感じられるが、そういう表面的な変化を進歩ととらえてしまうと、描くべき対象を丁寧に見ることなく、自分の好きな色使いでセンス良い形にまとめればアート作品になるように錯覚されてしまう。
 モネやセザンヌマチスの苦闘は、そんなチャラチャラしたものではなかった。
 彼らが必死に試みていたことは、近代的な視点(意識)でしか見ることができなくなっている自分の眼差しを、なんとか近代的意識の呪縛から解放し、”ありのまま物事を見て表現する”ことにあったのでなかったのかと、私は思っている。
 すなわち彼らにとっての自由とは、自分の好きなように描くという自己中心的なものではなく、自分自身の視点や視野を制限する「自己」からの解放を意味していた。
 いくら他人に評価されようとも作品の傾向が固定せず常に変転していったのも、どれだけ自分から自由に描けるかが、彼らの探求すべきことだったからだろう。
 彼らの絵画表現は、まさに、”超近代意識”のためにあった。
 超近代という言葉を使うからには、”近代的な視点(意識)”を定義づけなければならない。
 端的に言うと、それは、主体と客体が分け隔てられている意識のこと。17世紀前半の哲学者デカルトの、「我考える、ゆえに我あり」の言葉が近代的意識を代表しているが、デカルトがこの言葉を創造する前に、15世紀から16世紀にかけてピークを迎えるルネッサンス時代に生まれた遠近法をはじめ、西洋人の意識は、自分と対象を分化していく方向に少しずつ準備されていた。
 そして、自己と世界が分化されれば、自己は少しずつ肥大化していく。
 「自分が見ている世界を表現する」が、「自分がやりたいように世界を表現する」となる。そして、自己都合的な自己は、それを自由精神と名付けた。
 神が作った世界を、人間の自由意志と思考と実践で作り変えていくこと。それが人間の進歩だと信じられ、近代世界の人間のすべての傲慢の土壌がここにあった。
 19世紀に入ってからの西洋絵画は、写実主義だけでなく、アングルをはじめとする新古典主義ドラクロワに代表されるロマン主義があるが、どれも近代的視点で描かれている。すなわち、自分が世界をどう見ているか、どう見たいか、どう知っているか、どう解釈しているか、どう感じているか、どうしたいかという自分の主観が強く出る。
 その後に登場する「印象派」は、近代社会の価値観を離れ自然の懐へと回帰していったが、モネこそは、その精神の代表だろう。
 モネは、「ルーアンの大聖堂」や、「積みわら」の絵を何枚も描いている。時間とともに刻々を変化していくすべての有様をキャンバスに描こうとしているかのように。
 主体と客体の関係から主体を滅却し、対象を凝視し、観察し、見ることそのものに徹しきることで生まれてくる世界がそこにある。
 そして後期印象派画家で20世紀絵画の父と言われるセザンヌにしても、静物を描く際に、正面だけでなく、上や横など様々な角度から見て、一枚の絵の中で複数の視点を統合しようとしているし、彼の晩年の絵画は、どんどんとタッチが少なくなって余白が増え、不完全と完全のあいだにぎりぎり止まることで、世界と自己の仕切り線を解消しようとしているように見える。
 彼らはともに、自分の目と手が世界を固定化してしまうことに抗うように絵を描き続けている。
 そして、セザンヌを師匠と崇めるマチスは、セザンヌの「3人の水浴する女たち」を購入し、長く手元に置いて見ていたことはよく知られているが、マチスと言えば、”線”だ。それまでの西洋絵画に、物や人を囲いこむような線はなかった。線で対象を表現するという発想もなかった。
 マチスの描く線は、ただ単に物の輪郭をなぞって囲い込んでるのではなく、線だけで、この世界にある物の様々な「質」を表現してしまっている。その線は、ボリューム感を伝え、リズムを伝え、まさに生きて存在するってこんな感じ、というリアリティがある。
 若冲のことを書くのに随分と遠回りをしてしまったが、若冲が、20世紀の画家たちに多大なる影響を与えたモネ、セザンヌマチスが目指した画境に、150年も前に到達していることを強調したい。
 若冲は、「動植綵絵」など極彩色の絵画も魅力極まりないものがあるが、その真骨頂は、モノクロの墨絵であり、彼は、マチスのように、シンプルな線だけで生命の質感や躍動を見事に伝えていている。それらの絵画には、若冲個人の思考や感情の淀みは一切感じられず、きわめて潔く、切れがいい。 
 また、拓版画で制作された「乗興舟」など風景画の面とフォルムで描き出される世界は、セザンヌの風景画の面とフォルムよりもさらにシンプルでありながら、その深みと広がりは圧倒的なものとなって観る者に迫ってくる。
 現代でもシンプルとかミニマルという主張で味も素っ気もないものがまかり通ることがあるが、若冲のシンプルは、生命感がほとばしり、宇宙の奥義に通じている。
 若冲は、モネが「積み藁」を何度も描いたように、鶏を何度も描いた。偶然に富んで思惑を超えた動きをする鶏を何度も描くうちに、若冲自身の自己は消えていき、鶏の動きを追う目だけとなる。
 若冲は、鶏や植物など、身の回りにあるものの観察・凝視に励み、その結果、竹を描くにも風に靡く葉叢の有様を見事にとらえた。若冲の絵は、そのほとんどが身近なものばかりだが、鶏にしても鯉にしても、竹にしても菊にしても、それ一つで十分に心満たされることを教えてくれ、日常の限られた時空が、広大なコスモスに感じられてくる。 
 世界の広がりというのは、地理上の広がりのことではない。物事の細部がよく見え、心を動かし、自他の境を自在に超えられる人の世界は広大であり、そうでない人がいくら世界各地を訪れていたとしても、世界は狭い。
 近代的自我は、大航海時代や宇宙探索など物理的な世界を広げることには大いに役立ったかもしれないが、自己を中心に対象を見るという判断の基準は変わらず、それゆえ対立と衝突は消えることなく、その葛藤と軋轢のために、自己は、対象を損ない続けながら、自らも不自由になっている。
 近代から現代にかけて人間は、近代的自我こそ人間を進歩させるものだと信じてきたが、人類の歴史からすれば、それは、数百年の寄り道だった可能性もある。
 そうした状況を見通していたセザンヌをはじめとする誠実なる芸術家は、制作を通じて自己からの解放を目指し、自然に還ろうとした。
 若冲は、西洋近代世界とは無縁に生きたが、彼が絵を通して歩んだ道は、西洋とか東洋の分別を超えて、自然に通じる道であった。
 自然から生まれた人間は、何度も道を外れては、長い時間を経て、ようやく物事の本質を理解し、自ずから是非を知り、自然に還っていく。
 若冲は、「千載具眼の徒を待つ」という言葉を残した。
 物事の本質を見抜き是非を判断できる人間を一千年待つと。

 (後半に続く)
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