第1445回 この時代の巫の力。

 2011年の東北大震災から13年が経った。
 ここにアップしている石牟礼道子さんの写真は、風の旅人の第48号(2014年6月1日発行)に掲載しているロングインタビューの時の写真で、写真データを確認したら、ちょうど10年前の2014年3月11日になっている。
 このインタビューの時、ご病気の状態は悪くて、パーキンソン病のため、お身体もずっと震えておられて、写真なんか撮れそうもなかった。でも帰り際、部屋を出かけたところで、意を決して振り向いて、思いきってお願いしたら、了承してくれ、小さなカメラを向けたら、その瞬間だけ震えが止まり、童女のような表情になった。
 こんな石牟礼さんの顔は初めて見た。
 私は、風の旅人の第45号から「3.11以降を生きる」というテーマで、作家の宮内勝典さんや丸山健二さん、染色家の志村ふくみさんと、ロングインタビューを重ねていた。
 そして48号のテーマを「死の力」と決めた時から、石牟礼道子さんにインタビューを依頼したいと考えていた。
 当時の石牟礼さんのご病気が重篤であることは、石牟礼さんを尊敬する人たちのあいだでは常識だった。
 しかし、風の旅人の第47号で志村ふくみさんをロングインタビューした時、雑談のなかで、「昨日、石牟礼さんと電話で会話をした」という話が出た。さらに、志村さんは、石牟礼さんと懇意なので、自分のロングインタビューを石牟礼さんに送ってくれと私に依頼した。
 それで、石牟礼さんには、まだそういう力が残っているのだと思ってしまい、私は、ロングインタビュー依頼のお手紙をお書きした。
 すると、若い頃の石牟礼さんの才能を発掘し、その後ずっと支え続けてこられた渡辺京二さん(2022年に他界されたが、この方の『逝きし世の面影』という本に私も多大な影響を受けた)から、石牟礼さんは、年末年始からご病気が一段と酷くなって、状態が良い時はあるにはあるが、約束できる状態ではない、来ても話ができないかもしれない、それでもということならばと、非常に微妙なご連絡があった。
「死の力」というテーマでお話を聞けるとしたら、日本に、石牟礼さん以上の方はおられないということを渡辺さんもご理解されていて、だから、運命に賭けるしかないだろうということだと、私は受け止めた。
 そして、本の発行が6月1日なので、病状が落ち着くまで、3月末まで待とうと思っていたが、4月になってしまい、ほぼ諦めたところ、突然、付き添いの方からお電話があった。今ならお話ができるかもしれないと。それを聞いて私は、すぐに羽田に向かい、その日の夜のうちに熊本入りをした。
 だから、実際に石牟礼さんをインタビューしたのは、2014年3月11日ではない。にもかかわらず、撮影した写真データに、2014年3月11日と刻まれている。
 その謎はともかく、インタビューは、自分で言うのはなんだが、奇跡的な内容となった。
 きれぎれの言葉であったが、病状の重い石牟礼さんから、「生類の命と、大調和の世界。」という内容に相応しい広がりと深みのある話を聞くことができた。
 この奇跡が実現したのは、二つのシンクロがあったからだ。 
 一つは、石牟礼さんが、白川静さんをこの世で一番偉い人だと思うほど深く尊敬していたことで、私が、白川さんに依頼した連載の最後にあたる風の旅人第15号の「人間の命」を、インタビューの場に持参していたこと。
 そして、前日の深夜に熊本に着いて、適当に素泊まりで安い宿を予約したら、たまたま湯の児温泉だったこと。真っ暗な中、宿に到着し、朝起きて窓を開けて初めてわかった。目の前の不知火海の風景は、石牟礼さんの「椿の海の紀」の舞台であり、石牟礼さんが子供の頃、過ごした場所だった。
 石牟礼さんにお会いしてすぐ、そのことを伝えたら、石牟礼さんはすごく喜んでくださって、目を輝かせて、子供の頃の話をたくさんしてくださった。
 今、ここで石牟礼さんの話をしているのは、ここ数日、古代の巫の話を書いてきたのだが、石牟礼道子さんというのは、まさに現代の巫だと思うからだ。
 その石牟礼さんは、白川静さんのことを、「私が探し求めているところを、先に行く人」、「古代の神さまは、きっとこういう人だったろう」と言っていた。
 私は、風の旅人を50号で終えてから「日本の古層」の本を、これまで4冊作ってきたが、全てに、白川さんの言葉を引用している。日本の古層の取り組みは、白川静さんと石牟礼道子さんという神さまと巫とのご縁を、自分では意識しながら続けている。
 神さまのことはともかく、巫とは何なのか?
 これは預言者であると私は思う。未来の出来事を告げる予言ではなく、預言とは、きたるべき世界を前にして、人々の心構え、行動の指針を示すことを意味する。
 そして石牟礼文学の預言は、心構えとしての「のさり=自分の及ばぬ大いなるもののはからいを引き受ける」と、行動の指針としての「悶えて加勢する」に凝縮しているように思う。
 古代の巫は、その霊力で王を支えたと、昨日のタイムラインで書いた。
 こうした構図が、源氏物語にも反映されていると。
 ならば、その霊力とは何なのか?
 それは、特殊な超能力ということではなく、石牟礼さんの「のさり」と「悶えて加勢する」という言葉のように、人の苦しみも、大いなるもののはからいを引き受けるという境地で、自分ごととして引き受けて悶えて加勢する力なのではないかと思う。
 理性分別で自分の損得を考えてしまう人間にはできないという意味において、これは特殊な力なのかもしれないが、現代では「コンパッション」という言葉が使われる。「相手を深く理解し、役に立ちたいという純粋な思い、相手と共にいる力のこと」だと説明されるのだが、巫は、その力がかなり強力で、時に応じて自己犠牲も厭わない、むしろそれを喜びとするくらいのものが、巫の霊力だったのではないかと私は思う。
 苦境に陥っている人間を救う力は、まさにこうした巫の霊力だった。
 現代社会のなかの価値観では、こうしたことはバカバカしいと思う人が多いかもしれない。
 どちらかといえば、現代社会には、自分が人に何かをやってもらうこと、自分が楽な状態であることを幸福だと思わせるバイアスが強くかかっている。そして、そういう「幸福」を得ようとして、うまく立ち回ろうとする人も多いかもしれない。
 そういう人にとって、巫は、愚かで悲劇的で不幸な存在にしか見えないだろう。
 しかし、いくら美味しいものを誰かに食べさせてもらって、いろいろなところで遊ばせてもらって、何の不自由もなくても、自分が誰の役にも立っていない、人に必要ともされていない状態が、果たして人間にとって幸福だと言えるだろうか。
 それは、誰の心にも記憶されないということでもある。
 古事記などに登場する女性の多くは悲劇的であり、その悲劇の主人公は巫の立場であるが、そもそも、歴史上、今日まで伝えられている文学の大半は悲劇である。
 その主人公は、人に尽くしていない人間ではなく、人に尽くしたり、誰かのために犠牲になっている人間である。
 悲劇は、人間の心に強い働きをする。だから記憶される。
 こうした巫の在り方は、社会状況によっては、現代のように、暗いとか重いなどと敬遠される。
 それは、自分が安住している世界の土台を揺るがせたくないからだろう。
 しかし、いくら見ないふりをしても、人間の現実は、そうはいかない。そもそも、人間は、生老病死から自由ではない。
 人間にとって、本当の意味で“生きる”とはどういうものなのか?
 人それぞれで構わないと脇に流すことができるのは、安泰した状態にいる時だけで、いつまでも、それが続くとは限らず、誰しも人生のどこかの時点で、人間の現実に直面することになる。その時に、本当の救いがどこにあるか真剣に考えざるを得ない。
 巫というのは、古代も現代も、人間の理性分別によって曇らされた生の本質を、身をもって示す存在だ。
 それは文学の世界に限らない。3.11の震災の後、私は、現地で奮闘する介護会社の人たちを取材し続けたが、その人たちの言葉や行動は、まさに現代の巫だった。
 自宅に残された高齢者を助けようとして、逃げるのが遅れ、津波に飲み込まれて九死に一生を得た人もいる。
 その時、その人の心の状態は、ひたすら「必死」だった。この必死が、自らの犠牲につながることもあるが、生きていることの証でもある。
 後のことを計算せずに、「必死」を積み重ねるだけで人生を全うする人もいる。「必死」を経験したことのある人は、「必死」のない状態では、心に張り合いがなくて、生きている気がしなくなるからだ
 後のことの計算ばかりしていて、必死を経験せずに、それで本当に幸福になれるのかどうか。
 巫は、古代も現代も、人のために必死になれて、そのことを本望だと潔く受け止めて、生を全うしている人なのだろう。
 そういう姿勢は、人の心に間違いなく力を与える。霊力というのは、オカルト的な超能力ではなく、リアルに生命力につながったものなのだ。

 

 

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