第1257回 四国に秘められた日本の古層と、中央構造線の関係。

神山の上一宮大粟神社から2kmほど山深くに分け入ったところに巨石を御神体とする立岩神社があるが、この巨石は、青石でできている。

 魏志倭人伝に、倭人たちの風俗習慣として、体中に朱丹を塗っていたと記されている。

 朱丹というのは、辰砂(硫化水銀)のこと。

 そして、卑弥呼の治めるクニには、辰砂が存在すると書かれている。

 辰砂は、地球内部の高温、高圧の状態で生成され、何億年もの歳月をかけて地表に押し上げられ、少しずつ結晶体に成長してできたものであり、日本列島の中央構造線周辺の地殻変動の激しい地帯に多く存在する。

 とくに、中央構造線にそって北側の領家変成帯の深成岩である花崗岩地帯に多いことが知られており、奈良県の宇陀地域などが、これに該当する。

 そして、中央構造線にそった南側の三波川変成帯にも存在し、四国山地に沿った地域が該当するが、この地域は、青石と呼ばれる美しい緑泥片岩の地層と重なっていることが多く、卑弥呼の時代の辰砂の採掘場所とされる徳島県阿南市の若杉山遺跡等が該当する。

若杉山(徳島県阿南市)の辰砂の採掘跡。これまでに発見されている日本最古の鉱山で、3世紀の卑弥呼の時代に遡る。

 この青石は、何億年も前に海底に堆積した土砂が大陸プレートの沈み込みによって地下20km~30kmの深さに潜り込み、比較的低温高圧の変成作用を受けてゆっくりと形成された岩石だが、地中深くにおいて形成されたその岩石が、日本列島における大陸プレートの押し合いによって、さらに何億年という長い年月をかけて中央構造線の南側に隆起し再び地表に現れたもので、四国から近畿の吉野川流域、そして、長野の中央構造線の南側の三波川変成帯に広がっている。

 古代の四国においては、この青石を特に重視していたようで、古墳の石室や石棺にも用いられている。徳島城の石垣もそうだし、神社の石段など、聖域の至るところに青石を見ることができる。

 魏志倭人伝の中の「丹」に関する記述などから、近年、徳島県阿南市にある若杉山の辰砂の採掘跡が3世紀の卑弥呼の時代に遡るものだとわかったことで、全国的にみても辰砂を採掘する遺跡として発見された唯一のものであるゆえ、徳島こそが邪馬台国であると唱える人たちも出てきた。そして、神山と吉野川をつなぐ鮎喰川の流域にある八倉比売神社の奥の院の五角形の磐座が、卑弥呼の墓だという。

 

 これまで、卑弥呼の墓だとされてきたのが奈良の三輪山の麓の箸墓古墳で、その根拠は、この場所がヤマト王権初期の拠点であり、この古墳が、この地方の最古の巨大な前方後円墳であるからだ。しかし、箸墓古墳は、考古学的には卑弥呼の時代より新しいことがわかっている。

 また、京都府木津川市の木津川沿いにある​​椿井大塚山古墳は、石室内が朱で塗られ、さらに発掘時(1952年)、当時においては最多の三角縁神獣鏡32面が出土したことから、魏志倭人伝卑弥呼が魏の皇帝から銅鏡100枚を賜ったという記述とつなげ、膨大な鏡が出土した椿井大塚山古墳こそが卑弥呼の墓であり、三角縁神獣鏡卑弥呼の鏡だとされた。現在でも、地方の博物館で三角縁神獣鏡を収蔵しているところが、この説を掲げている。しかし、三角縁神獣鏡は、その後、各地で膨大に発見され、すでに300枚を越えている。また、同じデザインのものが中国には見られないことから、現在では日本のオリジナルだという説が有力だ。

 このように、卑弥呼の墓に関する新説は、次々と出てくるが、新たな事実によって覆されている。

八倉比売神社の奥の院前方後円墳の上に築かれている。ここは卑弥呼の墓だという人もいる。上一宮大粟神社では、八倉比売は、オオゲツヒメの別名とする。この八倉比売神社の近くの矢野遺跡は、集落の中に銅鐸が埋納され、縄文時代の辰砂の精製道具も発見された。積み上げられた石は、阿波の青石。

 それはともかく、邪馬台国=徳島説の人が卑弥呼の墓とする八倉比売神社の奥の院の五角形の磐座は、前方後円墳の上に築かれており、周辺には約200基の古墳がある。この地域の地名が国府であることからも、古代の一大勢力の拠点であったことは間違いない。

 私が気になるのは、この八倉比売神社から1kmほどのところにある矢野遺跡だ。

 ここは、集落の中に銅鐸が埋納されている全国的にも珍しいところである。

 一般的に、銅鐸は、集落の外、山との境界などに埋納されており、何かしら結界のような意味があると考えられており、集落の真ん中に銅鐸を埋納しているのは、その集落が、銅鐸祭祀を専門的に行う集団の拠点だった可能性がある。

 さらに、この矢野遺跡からは、縄文時代に遡る辰砂の精製道具が発見されており、矢野遺跡から東に1.8kmのところ、鮎喰川の対岸の名東遺跡からも、縄文時代の辰砂の精製工房とみられる竪穴住居跡が発見された。この名東遺跡では、方形周溝墓群の一角に埋納されていた銅鐸が発見され、その時代は、周辺の遺構の年代などから弥生時代中期末(約2,000年前)頃と考えられている。

 なので、鮎喰川流域は、卑弥呼の時代(3世紀)よりも古い段階から、辰砂や銅鐸といった古代の祭祀と関わりが深い場所であったことが考古学的にわかっている。

 この鮎喰川の上流部にあたるのが神山であり、神山近くの渓谷では、川の底石が青石のため水の色が真っ青になるところがある。そして至るところに青石の塊が露出している。

 この鮎喰川吉野川と合流する地点に扇状地を形成しているが、この扇状地の地下水の源泉は鮎喰川の水が地中に潜り込んだものであり、この清らかな伏流水を利用して、徳島市国府町では昔から藍染めが盛んだった。

 そもそも、なぜ神山という地名なのか? という問いに対して、この地に鎮座する上一宮大粟神社の祭神、大宜津比売(オオゲツヒメ)を抜きには答えようがない。

オオゲツヒメを祭神とする神山の上一宮大粟神社。長い石段は、青石でできている。

 上一宮大粟神社では、上に述べた八倉比売神社の八倉比売は、大宜津比売であるとする。

 大宜津比売を主祭神として祀る場所は徳島だけであるが、この神は、記紀のなかでも特殊な位置づけにある。

 なぜなら、イザナギイザナミが交わって最初に行う国産みにおいて、淡路の次に、胴体が1つで顔が4つの四国を産むが、その顔の一つとして、大宜津比売(別名が阿波国)が産み出される。九州や本州が産み出される前である。

 そして、その国産みの後、イザナギイザナミは、イザナミカグツチを産んで死んでしまうまで、大山津見神コノハナサクヤヒメの父)など、たくさんの神々を次々と産んでいくのだが、大宜津比売は、その時も、産まれる。

 アマテラス大神や、スサノオ、月読神の三貴神は、イザナミが死んで、イザナギが黄泉の国から帰って禊をする時に産まれるので、大宜津比売は、この三貴神よりかなり古い神という位置づけになる。

 その大宜津比売は、スサノオをもてなすために料理を作る時、鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していて、それを見たスサノオが、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、大宜津比売を殺し、バラバラにしてしまった。すると、大気都比売神の頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれたとの記述がある。

 この記述を一体どう解釈すべきなのか?

 月読神と保食神とのあいだでも同じような記述があるが、スサノオは嵐と関係し、月読神は潮の干満と関係するので、この二神による破壊は、洪水のことではないだろうか?

 洪水の後に土壌が豊かになり、栽培作物が豊かに育つというのは、古代文明が栄えたところの共通点だ。

 大宜津比売は、国産みの段階で阿波国として生まれるが、ここを流れる吉野川は、古くから四国三郎と呼ばれ、「板東太郎」の利根川、「筑紫二郎」の筑後川とともに、日本三大暴れ川である。

 そして、​​吉野川の洪水によって運ばれた土には、四国山地の主体地質である結晶片岩(阿波の青石)が多く含まれ、この土壌は保水力や排水性が良く、葉菜類、根菜類、果菜類穀物類など多種多様な農作物の生産を促進したと言われる。

 まさに、阿波国は、洪水によって豊かな土地となったのだ。

 また、阿波の青石で作られた石棒が、縄文時代の終わりから弥生時代のはじめにかけてのものが畿内各地で出土しているが、鮎喰川吉野川の合流点近くにある三谷遺跡の貝塚からは、破片も含め20点の石棒が出土し、ここが青石の石棒の製造場所だった可能性がある。三谷遺跡は、吉野川の河口とも近く、ここから海を渡って畿内へと運ばれたのだろう。

 畿内の古墳の敷石などに阿波の青石が使われていることからも、阿波と畿内の交流があり、青石は何かしらの精神的な役割をになっていたと想像できる。

 大宜津比売(オオゲツヒメ)が、最初、阿波国そのものとして生み出され、その後、食物の神として産まれ、スサノオに殺されてバラバラになることで多種多様な作物を生み出す力となったという神話の記述は、阿波国の主体地質とも言える青石が、縄文時代に豊穣祭祀の道具と考えられる石棒に使われ、その青石が、吉野川の洪水によって、弥生時代以降に広がった栽培作物を豊かに育てる力となったことにつながってくる。

 神山周辺の山々は、とくに青石が多く、大宜津比売を祀る上一宮大粟神社の長く険しい石段は、すべて青石で作られている。

 また、神山の上一宮大粟神社から2kmほど山深くに分け入ったところに巨石を御神体とする立岩神社があるが、この巨石は、岩全体が青石だ。

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