二つの時間/境の旅 について

 風の旅人 第40号(6月1日発行)が、そろそろ書店に出始めます。 オンラインショップでも購入頂けます。
http://kazetabi.shop-pro.jp/?pid=21163417
 今回の特集テーマは、二つの時間/境の旅 です。

  東洋と西洋、北と南、現代社会の内外、日本の過去と現在、日常と非日常、此岸と彼岸etc・・・、
 このたびの特集は、ゲオルギィ・ピンカソフが撮った不可思議な北極海の写真から始まり、染谷學さんの「ニライ」と題した、沖縄〜インドネシアに至る写真が続きます。北の神々しい海域から一転して南の濃密なる海域。人間の意思など全く付け込む隙のないような北の自然と、人間と有機的につながっているように感じられる南の自然。
 人間の世界観や人生観も、そうした自然風土によって異なってくるのでしょう。
 そして、次に続くのは、昨年、イタリアのルッカで開催された細江英公さんの展覧会の、会場そのものを一つの融合作品だと捉えた細江さんの視点。 西欧のバロック建築の中に東洋のバロックが拮抗し、互いにその魅力を引き出し合います。ルッカの人達も、生まれた時からその場所にあるバロック宮殿が、細江さんの作品にいのちを吹き込まれることで、それまでと違うものに見え始めたことに驚き、自分達の文化を再認識する機会になったと喜んでいたそうです。

 その次に紹介するのがロシアの才能ある若手写真家、アレクサンドラ・デメンコヴァの『並行する時間』と題した写真群。サーカス、聾唖学校、発達障害者の病院、開発の遅れたロシアの田舎、ゲイの街、ジプシーと、写真で示される場所は、それぞれ別のものですが、一貫して同じスタンスが貫かれています。

 多くの人が生きる現代社会のシステムと別の存在の仕方をし、特別視されたり忌避されたり疎外されたりする世界。それを外から好奇心の眼で切り取ったり見下したりするのではなく、その内側に流れる時間と同化すること。 彼女は、まだ30歳ですが、5カ国語を自在に操り、ロシアとヨーロッパを行き来しながら活動しています。ソ連崩壊の後、急激に変化し続けたロシア社会のなかで、その変化を全身に敏感に感じながら、それじたいを肥やしにして育った人です。不変の価値観など、どこにも存在しない。
 時代ごとに人間は価値観を創出して、その基準に添うことで安定を計ろうとするけれど、状況が変われば、天と地、裏と表が逆になってしまうことが起こる。それが起こらないと信じている人は、そう信じたいだけなのか、よほどの視野狭窄に陥っているか、これまで運よく同じ価値観のなかで生き続けることができただけのことでしょう。
 デメンコーヴァは、驚くべきスピードと確かさと柔軟さで、裏表の境界の消えた世界へと潜入し、その痕跡を写真で残していきます。そのように示されている現実が、ロシアだけのことではなく、現在の世界全体に通じていることに驚かされます。 彼女は、間違いなく、世界でもっとも有望な若手写真家の一人でしょう。

  また今回の「風の旅人」では、「にほんの境目」と題しまして、日本の各地方の、過去と現代の境目に流れる時間を紹介します。うつしよ(埼玉の養豚場)、さはりん(樺太)、のと(石川)、みちのく(青森、秋田)、たかちほ(宮崎)、うずまさ(京都)といった場所です。
 
 これは、今年の1月15日に、このブログで公募した写真と文章に、さらに磨きをかけたものです。
 http://kazetabi.lekumo.biz/blog/2010/01/post-eb55.html


 東京だと、現在の目の前を流れる時間ばかりが目につきますが、地方に行くと、現代と過去の時間が重層的に流れていることを感じられる局面がたくさんあります。
 利便性にばかり価値を置きすぎて、自分達が生きている時間の、その重層性ゆえの豊かさを、どこかに置き忘れてはいないかと思うことが、しばしばあります。
 薄っぺらい時間の層のなかに、ペラペラとしたものをたくさん詰め込むことが今風の垢ぬけた生活だと、私たちは、何ものかによって錯覚させられているだけなのでしょう。