風の旅人 復刊第2号の予告 コドモノクニ(仮)

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次号(2013年6月)の告知を、ホームページにアップしました。

http://www.kazetabi.jp/%E5%BE%A9%E5%88%8A%E7%AC%AC%EF%BC%92%E5%8F%B7-6%E6%9C%88%EF%BC%91%E6%97%A5%E7%99%BA%E8%A1%8C-%E4%BA%88%E5%91%8A/
<復刊第2号 2013年6月発行>

コドモノクニ
「時代がどんなに変わろうとも変わることのない子供らしさというものがある。そして、その普遍の子供らしさというのは、誰しもが持っていたもの。だから、そういう子供の姿を見ると、自分が重なってしまう。おそらく、300年前だって子供達は同じだったかもしれない。変わっていくのは大人の世界。そして、大人の影響を受けている子供の世界。大人の影響から離れ、子供が子供として存在する時、そこに昔も今も変わらないものが見える。だから私たちは、時々、子供を見つめる必要がある。目の前の現実よりも大切な何かが、ずっと昔から今に至るまで受け継がれていることを知るために。さらにその大切なものを、後の時代へと受け継いでいくために・・・。」

 現在の社会では、大人が子供に対して、大人の価値観をすりこんでいくことが教育だと考える傾向があります。でもそれは、子供が大人になる頃も、現在の価値観が変わらずに続いていくことが前提になっています。 大人は子供の将来が幸福なものになることを願って、様々なことを子供に伝えようとする。でもそれは自分達が作りあげたこの世界の基準に従っているだけです。もう少し昔なら話はまた違ってくる。大人は、自分が生きている世界を自分達が作り上げたとは思っていませんでした。大人は、先祖代々が少しずつ築いてきた世界を、できるだけ損なわないように子供に伝える使命を持っていた。先祖代々が修正しながら積み重ねてきた知恵に、自分の経験が簡単に太刀打ちできないことを自覚していました。 しかし、今はどうでしょう。私たちの周りに、先祖が伝えてきた知恵はどれだけ残っているのか。私たちが子供達に伝えようとしているものの中に、先祖から受け継いできたものがどれだけあるのか。私たちの時代は、何百年とかけて先祖が積み重ねてきたものを帳消しにして、私たちの時代の僅かな期間で性急に作り上げた価値観を元にして生きており、しかもそれを子供達に押し付けようとさえしています。私たちが信じている価値観が、歳月による淘汰を受けていないことに対して、私たちはあまりにも無自覚です。もしかしたら、30年後には全く通用しない幻想かもしれないのに、そのことを冷静に判断する事もなく、子供に伝達しようとしている。  私たちが拠り所にしている価値観は、長い人類史の中で極めて短い間だけ通用しているものであり、これが引き続き未来にも当てはまると考えるのは、あまりにも傲慢であり、視野が狭すぎます。 現代人は、今この瞬間だけに意識をとらわれすぎています。もっと長い目で世界を眺め渡し、時代を超えて変わらないものを見いだし、それを子供達に伝えていく必要があるでしょう。もしかしたら、その必要すらなく、子供達は子供達で、世界の普遍性に基づいて生きているのに、大人が邪魔をしているだけかもしれない。  生きることはどういうことか。それは、大人が現代の大人社会の基軸にしたがって決める事ではなく、生き物であり、人類という特殊な種でもある私たちの、世界そのものとの最善の折り合い方を見いだしていくプロセス全体を通して、発見していくこと。 「いかに生きるか」という決められた解答に従って頭でっかちに生きるのではなく、「いかに生きるか」を、環境世界のなかで手探りしながら探し求め、惑いながらも行動し、失敗を重ねながら大切なことを学んでいくプロセス全体が、生きること。それが、生れ落ちてすぐに遺伝子にインプットされたプログラムに従って行動する生き物とちがって、環境の中で育っていく過程を通して変化し続ける人間の人間らしさ。その意味で、現代の大人よりも、子供の方が人間らしい。子供から、人間らしさを学ぶことが、現代の大人の課題かもしれない。  近視眼的な考え方に陥っている現代の大人が子供を導くのではなく、人生および世界の大局観をとりもどす為に、大人は、時おり、子供に導かれればいい。頭を少し柔らかくして・・・・・。