コドモノクニ

 新宿のコニカミノルタギャラリーで、斎藤亮一さんの写真展をやっています。31日まで。この写真は、とてもいいです。昨日、写真展会場に来ていた写真家の小池英文さんと、子供の写真というのは世の中に溢れかえっているいるけれど、この斎藤さんの写真にすごく惹き付けられるのはなぜだろうという話になった。
 この写真展会場の子供の写真は、30年前から現在まである。でも、その違いがほとんどわからない。つまり普遍なのだ。世の中には、子供の写真を見て、その時代の風俗や雰囲気が伝わるというものはよくある。中には

、現代風の世相の中で、大人社会の影響を受けてしまっている子供の姿を敢えて撮っているものもあるし、ピースピースと、大人に媚びているようなものを子供の無邪気さだと表現する単純なものも多い。そういうものは、すぐに飽きてしまう。20年後に見て見入ってしまうようなものにはならない。

 斎藤さんの写真はそうではなく、昔話の中に出てくるような子供達で、なぜかどの写真も見入ってしまう。それは、古い記憶の中にあるような日本の子供。斎藤さんの眼差しは、そこに注がれている。時代がどんなに変わろうとも変わることのない子供らしさというものがある。それは、その国の風土が作り出す。そして、その普遍の子供らしさというのは私たち誰しもが持っていたもの。だから、斎藤さんの子供の写真を見ると、そこに自分が重なってしまうのだ。おそらく、300年前も子供達は同じだったかもしれない。変わって行くのは大人の世界。そして、大人の影響を受けている子供の世界。大人の影響から離れ、子供が子供として存在する時、そこに昔も今も変わらないものが見える。だから私たちは、時々、子供を見つめる必要がある。目の前の現実よりも大切な何かが、ずっと昔から今に至るまで受け継がれていることを知るために。

http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2012october/gallery_c_121020.html