本が売れないとよく言われるけれど・・・

 本が売れないとよく言われるけれど、それは、仕組みに問題があるのだと思う。

 本を売りにくい仕組みだということではなく、何万部も売れなければ成り立たないという仕組みじたいが問題なのだ。
 戦後社会、マスコミュニケーションが急激に発達した時代において、本にかぎらず、膨大な数の人をターゲットに商品開発が行われきた。誰にでも好まれるような内容のものを、できるだけたくさん作り、そのことによってコストを下げる。そして、大量に商品をさばく流通システムを築く。ダイエーのような、スーパーマーケット的発想が、一般の商品だけでなく本にも当てはめれられていた。一般商品のように、本もヒット商品というものが求められた。ヒットした一つの物、一つの本で、大勢の社員の給与が支払われるような構造。その為には、宣伝・広報の戦略も大事で、その仕事に関わる人間も大勢いた。
 さらに、ヒットすることによって、それじたいに市場価値が生まれ、派生的な利益も生み出した。
 マスコミュニケーションの中で育った私たちは、それが当たり前という感覚だった。しかし、本というのは、もともとそういうものだったのかという疑問がある。
 本の影響力というのは、果たして、数字で表せるものなのか。
 宮澤賢治にしても、生きている間に出した本は、一冊を除いて全て自費出版で、それぞれ千部しか作っていなかった。
 本の影響力というのは、静かな水面に落ちた石の波紋が拡がって行くように、時間をかけて少しずつ浸透していくようなものではなかったか。本来、上質なものというのは、一挙に伝わって消費されて消えていくのではなく、深く根を張るようにして伝わり、長く支持されるのではないか。
 現在、出版関係者達は、「本が売れない」とぼやく。友人の作家も、以前は何万部も売れたけれど、今は”5千部しか”売れないと言う。だから印税はスズメの涙。食べていけない。だって、一冊1600円の単行本で、印税は10%の160円。5千部売れても、80万円にしかならない。半年をかけて必死の思いで本を作っても、年収で160万円にしかならないのだ。名の知れた作家ですらそうなのだ。

 5千人も支持してくれているのに食べていけない仕組み。それはやはりどこかがおかしい。
 もしも、現在の出版を取り巻く仕組みが、何万部も売れなければ成り立たないものだとすると、その仕組み自体が問題なのに、何万部も売れないことばかりを問題にして、本が売れない売れないと出版界は言っている。
 本が何万部も売れた時代が過去にあったから、その過去の栄華に取憑かれているのかもしれないが、本が何万部も売れるという時代が、表現にとって、果たして幸福な時代だったと言えるのかどうか。


 その時代は、人々がマスコミの影響を受けすぎていた時代で、その結果、みんなが簡単に同じ方向を向いてくれた。しかし、もはやそうではなく、一人ひとりが、自分にとって何が相応しいか、きちんと吟味している。もちろん、本のなかでも、ハウツー本など、一見、誰にでも通用しそうなテクニックを伝えているかのように錯覚させる本が、不安心理につけこんで販売をのばしたりするが、次第にそれも通用しなくなってきている。というか、その種の情報はインターネットを上手に使いこなせば手に入るようになっている。

 多くの場合、何万部も売れたのは、表現の質が高かったからというより、一般受けしやすかったということだろう。その為、一般受けを狙っているうちに、次第にダメになった表現者も、その予備軍も無数にいる。後で振り返ると、オレはいったい何をやっていたんだ、と落ち込んでしまう人も多かった筈だ。
 本が、5千部売れる。それを何万部にまで引き上げようとして、一般受けを狙ってけっきょくダメになってしまうくらいならば、5千部で成り立つ仕組みを作り出すことの方が重要だという気がする。

 最近、AmazonKindleの宣伝が活発化してきたけれど、デジタル書籍だけではなく、Amazonのプリントオンデマンドを使ったビジネスが増えてきている。 http://techwave.jp/archives/51771271.html
 そして、この方法で作られた本が、すでにたくさんAmazonのサイトに並び始めている。
Kindle
の日本への上陸が、当初噂されていたのより一年も遅れたのは、もしかしたら、このプリントオンデマンドの環境を十分に整えるためだったのではないかと思うほどだ。
 昨年、Kindleが日本に上陸すると騒がれていた頃、電子書籍の分野は、既存の有名な作家などの本を電子化する権利で、日本の出版界とAmazonとの間でいろいろと攻防があったようだ。作家達も、これまで世話になった出版社からAmazonに簡単に乗り換えたりしない。それに対して、Amazonは、世界中で翻訳本を出すという条件を提示したりして揺さぶりをかけていた。

 そのような既存の作家をめぐる熾烈な闘いがある一方、プリントオンデマンドの場合は、新しい書き手を発掘し、Amazonのサイトで販売しながら、囲い込める可能性があり、Amazonは、その方面で着実に日本の出版市場に進出してきている。その体制をしっかり整えたうえでの、kindleの投入なのかもしれない。Amzonという会社は、創業以来、そういう会社だ。おそろしく慎重だ。創業間もない頃、サーバーの増設のために毎年赤字を出し続けていて、一部の投資家から批判されていたが、それは、アメリカの購買ピークにあたるクリスマス時期に合わせて体制を整えていたからだ。その時期に、サーバーがダウンすると、二度と顧客は戻ってこない。ネットの世界では、一度失った信頼を取り戻すことは至難の業だと、この会社は理解している。結果的に、クリスマス時期に合わせて増設したサーバーを、オフ期間に他会社に貸し出すというクラウドビジネスを始め、そちらの収益の方が、オンライン販売より上になった。最初からそんなことは想定していなかったと思う。顧客の信頼を失わないように盤石の手を打ったことが、次のチャンスにつながったということだろう。

 kindleは日本で売れない、電子書籍はそんなに発展しない、などと本のデジタル化に対して批判的な持論を展開する人もいる。

 しかし、kinndle等と一体化した書籍のデジタル化というのは、デジタル書籍のことだけではなく、オンデマンドも含めて、デジタルの仕組みを使って本を作り、かつ流通させることだ。読者の好みによって、デジタル書籍にするか、アナログ書籍にするか、自由に選択できるということが、大きなポイントだ。一冊単位でアナログ本を選んで印刷してもらって購入できるわけだから。

 既存の出版社が出す本のレベルが高く、プリントオンデマンドは粗悪品だと思っていたら大間違いだ。
 出版社が好んで出したがる本は、ヒットを狙うものだから、むしろ素人受けしやすく、内容が雑になっているものが多くなっている。専門的で高度な内容のものはそんなに売れないという判断で、出版社が作らず、プリントオンデマンドで少数だけ出版される可能性が高いのだ。
Amazon
でも、アメリカにおいてはジャンルごとの編集者を用意し、そのような方法で出版しようとする人をサポートしている。日本でもきっとそうなっていく。
Amazon
が登場した時、ロングテールという言葉がよく使われたが、その時点では、既存の出版社が発行している膨大な出版物を、少部数から用意できるという程度の意味だったが、オンデマンドの体制が整ってくると、ロングテールは、全ての領域において、隅々まで行き渡ることになるだろう。
 出版社も、このプリントオンデマンドのサービスを始めた。
http://www.shinchosha.co.jp/ondemand/
 この出版社のオンデマンドは、新しい才能を発掘するためのものではなく、既存の本の再生産にすぎず、スケールが小さく、中途半端だ。
 しかし、今後、日本の出版社が、積極的にオンデマンドに取り組めるかどうかとなると、非常に難しい問題がある。それは、書籍の取り次ぎ流通制度があるからだ。日本の書店網を束ねるトーハン等の取り次ぎ流通会社の大株主は、大手出版社である。出版社は、自分達が作る本を自分達に都合良く日本全土に届けるために、この流通制度を作り上げた。出版社の権威は、この書店網の上に築かれていた。本屋に本が並ぶのは素晴らしいことであり、その本を作る人も偉いというイメージによって。
 オンデマンドを突き進めていくと、色々なジャンルのきめこまかな本が作られるわけだから、必然的にロングテールになっていく。しかし、書店の棚ではロングテールに対応できない。書店の棚は、スペースが限られている。だからそこに置く本は、できるだけ多くの人が手に取ってくれる可能性のあるものになる。結果として、どこの本屋に行っても、同じような本ばかり並び、本当に欲しいと思えるものに出会う為には、ジュンク堂などの大規模書店に行くしかない。
 しかも多品種少部数になると、目的の本に辿り着くための検索機能が必要だし、さらに在庫をどう管理するかの問題があり、リアル書店では非常に対応しずらい。Amazonなどのネット書店の方が、圧倒的に有利なのだ。
 その為、日本の大手出版社が本格的にオンデマンドに取り組むと、自らが作り上げた書籍流通を崩壊させることになる。しかも、書店に置かれている本が出版社に戻される事態になると、経営的に成り立たなくなる出版社も出てくる。なぜなら、大手出版社は、本を書店に入れた時点で、売れるかどうか関係なく前受金を受けており、返本があった際に返金するという自転車操業を続けているからだ。(新規参入の出版社は、本の発行後、半年後に売れた分だけ入金されるというハンデがある)
 したがって、日本の出版社は、書店網を守りながら、オンデマンドにも取り組まなければならないという、非常に難しい舵取りをしなければならない。
 成長のために構築した堅牢なシステムが、時代環境が変わったとたん、負の遺産になってしまう。今、出版界で起きつつあることは、そういうことだと思う。

Amazonのプリントオンデマンドを使ったサービスを手がける新しいビジネスで、これまでの書籍の身分証明書と言えるISBNコードが取得できることを売りにしてたりするが、そもそもISBNは、インターネットがなかった時代の識別表みたいなもの。プリントオンデマンドでもISBNをつけさせることの意味は、Amazonのサイトで販売させることにある。もちろん、ISBNがあれば、書店でも販売できるとうたっているけれど、これだけ出版点数が多い時代に、書店が無名の本を簡単に取り扱ってくれる筈がない。

 デジタル技術の恩恵を受けて、デジタル書籍であろうが、アナログ本であろうが、本を作ることのハードルは低くなっているが、作った本を売る為には、既存の書店流通や、Amazonに頼らなければならないと思わされている。そして、それぞれから、かなりのコミッションを取られることになる。


 デジタルの恩恵は、本作りだけでなく、本の販売も含めてのものであり、トータルに考える必要がある。そうすることによって、「5000部しか売れないから、食っていけない」ではなく、「5000部も売れた。これで十分に食べていける」という状態になっていけるのだと思う。