第1151回 メディアの役割

オリンピック組織委員会は、文春が報じている280頁に及ぶ内部資料(昨年4月6日付)の内容は、秘密資料であり、それを公開することは、東京2020組織委員会の業務を妨害するものであるとして、抗議している。

 https://tokyo2020.org/ja/news/news-20210401-03-ja

 文春のような役割を果たすメディアが一つもなければ、大規模なスポーツの祭典に国民の意識をひきつけて熱狂させ、その陰で汚いことをやっている輩は、姿を隠すことができていた。

 2020年に予定されていた東京オリンピックは、初めの頃からずっときな臭いものが立ち込めていた。国立競技場の問題やエンブレム問題など、特定の政治的権力者のお気に入りが、明らかに優遇されてきて、そうした”政治的圧力”に媚びることを潔しとしない表現者が排除される傾向にあるということは、表に現れてくる各種の決定事項を見るだけでも明らかだった。

 ちょっと冷静に見れば、なんでこんなものが選ばれるんだと思うようなものが選ばれ、愚かなマスメディアが、一切の批評精神をもたず、お上から受け取った決定事項を右から左に流すだけで、祝福ムードを盛り上げていた。

 そして、いつも不思議だったのは、バッハIOC会長との協議においても、日本側は、森とか橋本とか丸山とか小池とか、政治家の顔ばかりで、 JOC会長の山下の存在がまったく見えないこと。

 それ以外には、武藤 敏郎という森元首相のお気に入りの元大蔵官僚が、オリンピック組織委員会の事務総長らしくて、時折、会見をしているが、どうにも政治的な臭いがプンプンする人物であるということ。

 そもそも、オリンピック組織委員会のなかでの、日本オリンピック委員会の役割が、よくわからず、けっきょく政治的な力学のなかで、オリンピック組織委員会が運営されているとしか思えない。  今回の、文春に対するオリンピック組織委員会の雑誌の発売中止と回収などの要求なども、もはや政治的圧力としか見えない。

 文春の記事が、証拠もない捏造記事だから回収しろというのであれば構わないが、秘密資料であり、それを公開することは著作権の侵害なのだから雑誌の発売中止をしろと主張している。

 実に愚かだ。 アメリカのNSA国家安全保障局)による全世界におよぶインターネットと電話回線の傍受を暴露したスノーデンは、秘密事項を漏洩したことで、それこそ、国家機関に生命を狙われる立場になったわけだが、スノーデンの事件においては、アメリカ政府は、スノーデンのデマだ、証拠がないと、主張し続けることができる。

 しかし、東京オリンピック組織委員会において行われていたことが白日のもとにさらされていることに対して、組織委員会は、秘密漏洩だとか著作権の侵害だと主張している。つまりそれはデマではなく、事実であるということだ。

 だとすると、東京オリンピック組織委員会が、人に知られたくないことを極秘事項であると言っているにすぎず、この組織は税金によって運営されているのだから、その内部で何が行われていたかを知る権利が国民にあるという文春の反論の方が、国民にとっては、筋が通っている。

 重要な論点は 秘密漏洩とか著作権侵害だといった事務手続きの問題ではなく、その中身なのだ。  そして、なぜこの膨大な内部資料が外に出たかというと、外に出した人物がいたからで、その人物がなぜ外に出したかというと、組織の中で、政治的な力で大切な物事が歪められていくことに我慢ならない者がいたからだと考えることが自然だろう。

 文春が、唯一、メディアとしての役割を果たしているなあと思えるところは、歪められた組織内部のなかで、良心や正義の心を持つ者が、その事実を公にする道を作っているところだ。

 文春という存在がなければ、秘密のベールに包まれた組織内部で汚いことが行われていて、それに矛盾を感じている人物がいても、どうにもならない。

 日本の新聞社やテレビ局に話を持っていっても、無視されるだけならマシだが、新聞社やテレビ局に潜んでいる権力の犬が、すぐに秘密暴露の件を権力者に伝え、情報暴露者は、密告者として制裁されることになるだろう。

 現在、歪められた事実の情報を持ち込める唯一の場が、文春になっており、そういう場があるというだけで、いろいろな腐った組織に対する牽制にもなる。

 もちろん、正義や良心によるものではない情報ネタもあるだろうから、そのあたりをどう扱うかによって、メディアとしての信頼度が違ってくる。

 ただ、文春は、自分たちが、どういうポジショニングであることがベストであり、結果的に、雑誌の販売につなげられるか、理解していることだろう。

 広告収入に依存するのではなく、販売益を重視するビジネスモデルならば、大衆に媚びるだけの情報伝達に傾きがちだが、その安易なやり方は、他の誰でも簡単にできるわけで、けっきょく横並びの競争のなかで独自の存在感を発揮できない。

 大手テレビ局や大手新聞社が、国民の知る権利を守るなどという言葉を吐いても、説得力はまったくない。

 捏造か否かではなく、秘密漏洩か否かで権力組織と争えるメディアは、もはや文春しかない。

 そして、秘密漏洩か否かで権力組織と争えるメディアだけが、国民の知る権利を守るため、という言葉を使うことができる。 https://bunshun.jp/articles/-/44589

 

 

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