第1081回 歴史的転換期の中のコロナウィルス騒動

 現在起きているコロナウィルス騒動で、専門家が、もしアメリカで何も対策を講じなければ、死亡率が爆発し約1,000万人が死亡するとシミュレーションをしている。アメリカ人の約75%が感染し、4%が死亡した場合、それは1,000万人の死亡、つまり第二次世界大戦でのアメリカの死の約25倍になるのだと。

 そうした数字を示されると、説得力があるように思わされるが、この分析で使われている死亡率の4%という数字は、感染が判明している人(症状がある程度重くて病院に行ったりするから判明する)のうち、これまで亡くなった人の数で算出されているわけで、もしも症状が出ておらず病院に行っていない感染者数が膨大だったら分母が大きく変わってくるので、死亡率が4%という前提が狂う。

 さらに現在まで亡くなった人の多くは高齢者と持病のある人で、その死亡率を、健康な若者も含めた人口の全体に当てはめているのも、いくら危機感を煽るためだとはいえ矛盾している。

 はっきりしたことはわからないが、アメリカでコロナウィルスに感染している人は、症状の出ない人も含めて、もうすでに何千万人に達していて、それらの人々は免疫を持っている可能性だってある。

 アメリカでは最近になって急に感染者数が増えているが、それは急に感染が広がり始めたからではなく、これまで発熱などの症状ぐらいでは誰も病院に行かず、検査が行われていなかっただけだろうし、インフルエンザで亡くなったとされている14000人以上の人も、コロナウィルスの検査をしていなかっただけで、本当の死因はわからないのではないだろうか。

 専門家は、データーをもとにシミュレーションをしているわけだが、その数字に大きな影響を与える不確定要素を無視して数字を作り出している。

 抽象的な数字は人に恐怖を与えるが、閑散とした街中の様子は具体的な不安感へとつながる。飲食店などを経営している人にとって経営悪化の具体的恐怖は、はるかに大きいものがあるだろう。

 そうした近未来のこととは別に、今回の騒ぎが、今後、長い目で見た時に、どのような社会へと導いていくかが気になるところだ。

 経済状況が急激に悪化し、治安も悪くなり、国民の不満を外に向けるために対外戦争を始めるなどという、第一次世界大戦第二次世界大戦のあいだの状況にならないとは言い切れない。アメリカでは銃の売れ行きが伸びているというし。

 そんななか、フランスの農相が自宅待機から農作業への切り替えを市民に提案しているというニュースに興味を持った。

 というのは、もしかしたらコロナウィルス騒ぎをきっかけに、現代社会の一部の人は、古代ローマ帝国が時間をかけて衰亡していった軌跡を辿っていくのかもしれないと、ふと思ったからだ。

 古代ローマが滅亡した理由として、映画などではネロやカリギュラの暴政や、市民の堕落などがよく描かれているが、実際は、ネロやカリギュラが生きたAD1世紀頃、ローマは最強で、もっとも繁栄していた。古代ローマの終焉はもっと後のことで、いくつかの段階を踏んでいった。

 まず、人々が都市を離れて地方へと移住していった。金融システムの崩壊など抽象的な経済への信頼感がなくなり、自分の手で食べ物を生産することを選択する人々が増えていったのだ。そうすると必要以上のものを生産する必要がなくなり、鉄器などを使った大規模生産でなく木器などで生産する人も増えた。そうして全体の生産量も減っていった。それに伴い人々の欲心が減退していき、その頃から、キリスト教の普及が広まった。

 ローマが最強で凶暴な存在だった時、弾圧されていたキリスト教は、人民の心が穏やかになるとともに急激に広がり、AD313年にコンスタヌティヌス帝によってキリスト教が公認され、392年にテオドシウス帝によって国教となった。すると、さらに人々から欲心がなくなり、当時、北方から家族や家畜とともに大規模に集団移住していたゲルマン人が、すぐそばに定住し土地を耕し始めても、諍いが生じず共存するようになった。

 教科書で学ぶ476年の西ローマ帝国の滅亡は、ゲルマン人傭兵隊長が皇帝を退位させたことによる形式的なものにすぎず、ローマ人とゲルマン人の戦争の結果ということではない。

 ローマ帝国内では、少しずつローマ人とゲルマン人は融合して大地に根付いた暮らしをするようになり、ヨハネ至福千年の神への感謝をきっかけにしたロマネスク巡礼や十字軍が起こるまで、それぞれの土地から動かず生きていくようになる。そしてローマ帝国時代に用いられていた高度な技術は、ルネッサンスまで忘れ去られる。

 ルネッサンスのきっかけは、巡礼や十字軍によって、人々が他の世界と交流を始めたことにある。人の動きとともに技術や知識の交換が行われ、眠っていた欲心が呼び覚まされていった。ロマネスク巡礼が行われていた頃は、安全で旅することが簡単だった。しかし、その後、犯罪が増え、旅することは、とても危険なことになっていく。

 ロマネスクの巡礼拠点が、やがてゴシック都市になり、人々が集まることで伝染病が流行り、ペストで半分以上人命が失われたとされる。そうしたカタストロフィの後、人間の自立が始まる。ノアの洪水の後、生き残った人の祖先が、バビロンの塔を築くように。

 そして、その傲慢さに対する神の裁きで言葉が乱れる。多言語になるということではなく、情報化社会、抽象化社会になって意思疎通が難しくなることで、その後に、ソドムとゴモラ最後の審判の時代となり、欲心と執着のないアブラハムが神に祝福される。

 歴史は繰り返されているのだ。

 現代世界もまたバビロンの塔以降の言葉の乱れの世界=最後の審判の時代。経済から何から何まで、極限まで抽象化が進んでいて、抽象化の中で各種のシミュレーションが行われ、そのシミュレーションに自分の人生や生活を合わせていくことが余儀なくされている。

 経済の行方を左右する金融などは、その最たるものであり、それを守るためだけに、日銀は12兆円もの大金を、今年一年で投じると宣言した。

 国民一人あたり10万円、4人家族なら40万円に該当する金額だ。

 その結果、日銀は、今年中には、累計で50兆円もの大金を日本の上場企業の株に投入することになるが、日本の東証1・2部やマザーズジャスダックなどの市場に上場しているのは約3600社にすぎず、そうでない日本の企業は、全体で 400万社になる。日銀が資金を投入しているのは、ごく一部の企業だけなのだ。(もちろん、中小企業は下請けとして、それらの上場企業に従属しているわけだけれど、今のような非常時に、従属先から助けてもらえるわけではなく、むしろ、脅かされて無理なことを強要されたりする)。

 われわれの年金の積立金も、株式市場で運用させられているから、それを減らすと大変なことになるということで日銀が株価を支えているのだろうが、簡単に12兆円と言うけれど、日本の公共事業6.9兆円と、教育科学5.6兆を足した総額に近い金額だ。結果、日本の上場企業の5割において日銀が大株主になっている。こんな状況は、もはや健全で自由な株式市場とは言えない。

 日銀の買い支えを嘲笑うように、今回のコロナウィルス騒ぎで、株価がジェットコースターのように急激に上がったり下がったりを繰り返している。

 世界中で経済が停止する深刻な状況にも関わらず、3月25日、日経平均が急激に上がり、上昇幅は歴代5位で、1994年1月以来26年2カ月ぶりの大きさだという。

 このように株価が大きく変わる時、エコノミストなどが、政府の景気対策を評価して株価が上昇機運だなどと発表するが、その3日後あたりに急落すると、景気対策に失望しての売りが続くと平気で言う。まったく信用できない専門家の言葉。

 投資家が、”景気対策”に本気で希望をもったり失望したりしているのではなく、政府の動きに合わせて、巨額なマネーを持つヘッジファンドが、一斉に仕掛けているだけのこと。

 株価が23000円くらいだった時に空売りも含めて一斉に売り浴びせていたヘッジファンドは、株価が16000円くらいまで下がれば、いつ買い戻しても莫大な利益が得られる。

 そして、政府の発言などに合わせて一斉に買い戻して、株価が19000円とか20000円くらいまで行けば、またいつ売っても莫大な利益が得られる。そして、またジェットコースターのように下がる。

 そうしたことを繰り返せば繰り返すだけ、先に動き始めるヘッジファンドばかりが儲かり、後からついていく人たちは損をするばかり。

 現代、世界のトップ62人の大富豪が、全人類の下位半分、すなわち36億人と同額の資産を持っているらしい。

 現在、世界の総資産額ランキングの上位には、Amazonジェフ・ベゾス氏の約14兆6千億円を筆頭にマイクロソフト創業者、ビル・ゲイツ氏の約9兆1000億円、メキシコの通信王カルロス・スリム氏の8兆9000億円、投資家ウォーレン・バフェット氏の8兆3000億円、日本人でも、柳井氏の2兆4千億、孫正義氏の2兆3千億と天文学的な資産金額が並ぶ。もちろん、その簡単には売れない自社株の価値も資産の中に入ってはいるものの、それらの巨大資産をもっている人たちは、お金を銀行に預けているはずはなく、ヘッジファンドにどっさりと預けて運用させている。

 そういう裕福な人たちの巨額のマネーを預かって運用しているヘッジファンドが手をつないで、一斉に売ったり買ったりすれば株価は急激に動き、最初に仕掛けることのできる彼らに必ず儲けが出る。裕福な人たちはさらに裕福になって富の格差は天文学的な数字となり、裕福な人たちに小判鮫のようにくっついている輩が、そのおこぼれに預かる。

 世界が何かしらの危機に直面するたびに貧富の差は広がり、富裕層な人たちのお金を政治家が期待しているから世界から危機がなくなることはない。実際の危機がない状態になると、架空の危機をつくりだす。不安や有事こそ富裕層にとって最大の稼ぎ時で、これは現在に限らず、歴史を通じていつもそうだった。

 現代人は、こうした抽象的世界を進化だ、人間の現実だと思わされているが、そんな抽象的な出来事の繰り返しで本当に生きていると言えるのか。そういう感覚を持つことは、生物として自然のことだと思う。

 抽象ではなく具体的に生きることを手探りし始める人が、今回のウィルス騒動によって、きっと増えていくだろう。そうすると、どうなるのか。

 人類は滅亡するのではなく、古代ローマ人が辿ったように活動範囲は次第に縮小していき、性質も静かに穏やかになり、消費意欲も減退する。経済至上主義の世界から見れば衰退とか後退ということになるが、心の問題に焦点を当てると、十分に満ち足りていたかもしれない。