消費税の問題と、ひとりひとりの人生

 実際に自分で確かめたわけでもないし、正確に事情を把握しているわけでもないのに、教育やメディアの報道が刷り込まれて、そういうものなんだと思い込んでいることがよくある。

 たとえば、ここ数日、解散総選挙の気配が漂い、その焦点になりそうな消費税の問題がある。
 財政の健全さと経済への影響のどちらをとるのかという争点になりそうだが、実際に、消費税が8%から10%にあがると、税収入がどれだけ増え、どれだけ借金が減るのかは、ほとんど論じられない。また、街頭インタビューなどで「社会保障を充実してくれるのであれば消費税があがるのはやむを得ない」と答える人も多いが、現在、どれだけの金額が社会保障に費やされているかを知ったうえで答えているとは限らない。   
 このグラフを見れば明確だが、http://www.asahi.com/business/yosan2014/
 2014年度の一般会計は95兆円で、社会保障費は30兆円を突破している。そして国債の返済および利子が23兆円。この二つで50兆円を超えているわけだが、税収は50兆円しかない。
 50兆円のうち消費税による税収は、5%の時で10兆円程度がずっと続いている。所得税法人税は、だいたい16兆円ずつ。
 そうすると、消費税を5%から10%にあげて、売り上げがまったく変わらない場合は、10兆円の税収アップになる。しかし、景気対策とかで数兆円のお金を使うし、増税で売り上げが減ったら10兆円の税収入アップも期待できるかどうかわからない。 
 だからといって、法人税所得税で10兆円の増収を確保しようと思えば、それぞれを1.3倍ずつ徴収しなければならず、国民が了承するとはとても思えない。
 いずれにしろ、社会保障に関しては、既に30兆円という税収全体の半分以上も費やしている状態であり、社会保障の為なら増税は仕方が無いと簡単に言い切れない。
 しかもグラフを見てもわかるとおり、社会保障費は、ずっと右肩上がりが続いており、これを見ていると、このままどうなってしまうのか恐ろしくなる。
 社会保障にこれだけお金を費やしているにもかかわらず、その恩恵がきっちりと行き渡っていないという実感があって、だから社会保障をさらに充実させるべきだという意識を多くの人びとが持っているのであれば、社会保障のお金の使い道に問題があるのではないかという議論をしなくてはならない筈だ。
 この部分は非常に言いにくいことで、必ず反発を買うので誰もはっきり言わない。とくに、政治家にとっては得票数の多さ、さらに投票所に足を運ぶ確率も高い高齢者に関する問題なので、自分が不利になるようなことを言う筈がない。
 一般的には「超高齢社会の問題」という一言で片付けられる。そして、超高齢社会は、今後いっそう深刻になる。そして、私自身も日本社会に難題を与える一人になる。
 私は、この7年間、病院に行ったことがないが、7年前、やむなく病院に行かざるを得なかった。仕事が忙しい時だったので、できるだけ仕事に影響が出ないように通常より早起きして出かけた。にもかかわらず、受付には順番待ちの高齢者がズラリと並んでいて愕然とした。そして、けっきょく長時間待たされることになった。高齢者は早起きで、4時とか5時から一日が始まるのだろうが、その高齢者の為に、仕事の忙しい勤労者が、結果的に仕事に影響を受けてしまうのは何とも理不尽だと感じた。その時、仕事をしていない高齢者専用の時間を昼間に作ればいいじゃないかとさえ思った。
 朝早くからズラリと病院の受付に並んでいる高齢者は、もちろん、それぞれが色々な症状を抱えているのだろう。医者に看てもらって薬を処方されて一日が始まる。これが常態になった人が国民の大半になって活気のある健やかな社会が実現される筈が無い。
 すでに人口の4分の1は65歳以上の高齢者で、そのうち半分は75歳以上の後期高齢者である。
 2035年には3人に1人が高齢者で、そのうち6割が75歳以上になる。  
 http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/zenbun/s1_1_1_02.html

 現時点で社会保障費に50兆円の税収が費やされているが、10年後にはどうなっているのか。2004年からの10年間で、歳出に占める社会保障費は1.5倍になっていて、10兆円が増えている。
 しかも、社会保障費全体には、およそ100兆円のお金が費やされていて、そのうち50兆円は、給与などから天引きされ、雇用企業が半分を負担している社会保険料でまかなわれている。高齢化とともに就労人口も減っていくわけだから、将来も50兆円の保険料収入が確保できるかどうかわからず、この金額が減少すると、税金で負担する割合も増えざるを得ないだろう。
 政府が、何がなんでも成長経済と雇用拡大を唱え続けるのは、そうした理由もある。政府は、「国民の暮らしの向上」という曖昧な言い方をして、経済と政策を結びつけているが、その言葉の背後には、今のシステムで成長経済と雇用拡大が実現できなければ、この国のシステムが一挙に破綻することが目に見えているのだ。だから異次元の金融緩和を行なって何とかしようとする。
 しかし国民の心理としては、経済より大事なことがあるという気分が広がりつつあるので、政府がいくら景気刺激策を行なっても結果に結びつかない。政府にとって経済と社会保障は表裏一体だが、国民の感覚は違う。システムを健全に維持して行く為には経済を活性化させるしかないという構造の中で我々は生きており、どんな策をうっても経済活性化は不可能、もしくは経済より大事なものがあると思うなら、システムそのものを変えていくしかないのだ。そして、経済の分母が小さければ成長も大きくなるが、これだけ経済の分母が大きい状況で、大きな成長を実現できる筈がないということも理解しておくべきだ。足りないものばかりの時代ではないのだから。

 私は、現在52歳で、このとんでもない状況を冷静に判断すると、20年後の72歳になる頃、自分より年上の75歳以上の高齢者も莫大にいるわけで、現在の高齢者が受けているような保障を自分が受けられる筈がないと信じている。色々なデーターを見て判断すると、こんなシステムが維持できる筈がない。
 だったら今から自衛していくしかない。病気になったらおしまいだ。自分だけでなく子供達にも大きな負担をかけてしまうことになる。
 もちろん、どんなに努力をしても病気にかかる可能性はある。しかし、その確率を少しでも下げたい。だからといって人生をストイックに何の楽しみもなく過ごすということではない。
 楽しみ方を変えればいいだけのこと。身体を動かすのがめんどうではなく、それで気持ちがよくなるのであればいいわけだし、豪勢な旅行を数年に一度するくらいならば、貧乏旅行を何回もして、心身に刺激を与えた方が楽しいし、気持ちがいい。
 家事は義務ではなく、ずっと机の前に座って仕事をしているよりも気分転換にもなるし、身体を動かすことにつながると考えた方がいいだろう。会社組織などにおいて、ポジションが上になると口だけ動かして、肉体を動かすことは若い部下にやらせる人が多いが、私は、そういう発想はなかった。高齢者をいたわりすぎて、肉体を使う作業を取り上げる人が多いが、それも間違っている。
 あれこれ分別をつけるのではなく、自分の目の前にあることを何でも積極的にやればいい。
 高齢化社会を心配するのではなく、70歳をすぎても50歳並みの体力と気力のある人は大勢いる。
60歳くらいで80歳の人より老け込んでいる人もいる。
 数字上の年齢ではなく、実際年齢こそがとても大事。
 もう一つ大事なことは、引き際だ。若い人に道を譲るタイミングを知っている人は、人生を深く生き抜いてきた人だろうと思う。
 そして、引き際のなかでもっとも重要なのは、死に際だろう。
 死をどのように引き受けるか。このことは、死の瞬間だけの問題ではなく、それまでの人生のなかで、どれだけ物事を深く考え、どのように判断し、どのように実践してきたかが問われる。その人の本質を明らかにする問題なのだろうと思う。


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